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茶番大運動會をめぐる動きは、いま「無観客開催」が主流を占めてゐるやうだ。
もっともそれは、權をとる逆賊と手先の報道屋がそのやうに世論を誘導してゐるからで、私も含む中止論者はすっかり傍流へ追ひやられ、このやうな通信機器上で気炎を上げてゐるにすぎなくなってゐる感がある。
だからと言って、私が招致運動當初から抱ひてゐる反對の考へは全く変はらない──理由は「時代が変はって意味が無くなってゐるから」など──し、また假に無観客で開催されてしまった時は、徹底して無視することで、弱小庶民なりの意思表示は續けていく。
四日の晩に水府で強行された付け火中繼走では、反對の意思表示のつもりか、道端から走者へ水鉄砲を發射した老婆がゐた云々。
もし反對派だとしたら、會場に出かけてしまった時點で、負けである。
それにしても、それまで見て見ぬふりをされてきた茶番大運動會の茶番ぶり──つまり“闇”──が、これほど白日の下に曝された例も珍しいのではないか。
と同時に、日本國は民主主義國でもないことが白日の下に曝されたわけで、これにより無理押しゴリ押しが平気でまかり通ると云ふ、後世へ深刻な“前例”をつくってしまったと私は考へる。
もし後世に、この歴史をちゃんと真正面から捉へる研究者が現れたとき、その人はどのやうに評価を下すのか、私は自分の目と耳でそれを知るため、いよいよしっかり長生きしてやらうと決心するのである。