
ラジオ放送で、寶生流の「朝長」を聴く。
學校では教へない部分の「日本史」を、謠曲でたくさん識ることが出来て私の財産となってゐるが、源頼朝の兄にあたる朝長(ともなが)の存在も、また然り。
平治の乱で敗走する際に膝を矢で射貫かれ、父義朝とやうやく辿り着いた美濃國の青墓宿で自害する、わずか十六歳の若武者──
その夜の悲劇を、宿の女長者が朝長の墓前で所縁の僧に静かに語って聞かせる前場が、私は特に好きだ。
わずかな時間の出会ひだった女長者との縁が、しかしそれがきっかけとなって長く續く──
縁とは“長さ”よりも、むしろ“深さ”である深さを、私はこの大曲を聴くたび新たに想ふ。