早朝の北天に名残りの月を見て、今日も頑張って生きるべき一日が始まるのだと知る。
三十四年前の今日、昭和天皇が崩御云々。
三十四年前の今日、昭和天皇が崩御云々。
昭和六十四年は七日までにて、翌日より「平成」と改元云々。
まだ小學生だった三十四年前のこの日のことは、いまも憶えてゐる。
その日は雪でも降りさうな曇天で、冬休みを利用して鐵道冩真を撮りに行かうとしてゐる時、ラジオで崩御が報じられたのだ。
その瞬間、悲愴なBGMが耳朶を打ったことも記憶してゐるが、いまにして思へばその放送局は、あらかじめさういふ音樂(おと)を用意してゐたわけで、さうした手回しの良さはこの際いかがなものか、といまさらながら疑問が沸かぬでもない。
昭和天皇と云ふと、戰中戰後の“テンノウ ヒロヒト”を「一人の人間」として描いた、露人映画監督アレクサンドル・ソクーロフの「太陽」が印象深い。
劇中で昭和天皇を演じたイッセー尾形にとても魅せられて、上映館だった現在は無い銀座シネパトスへ日参したものだ。
軍人たちに「軍神」などと祀り上げられた前半生、自分も「人」であると告白して日本國民の象徴へと祀り上げられた後半生──
扱ひは変はれど宿命は変はらぬ。
映画は昭和天皇を好意的に描いてゐて、それが日本で高評価を得た一因であるが、ラストシーンはそんなミカドの立場を皮肉ったやうにも觀て取ることが出来、それは日を照らせば必ずどこかに蔭が出来る道理にもつながる。
萬民に落差があることで、浮世は平衡が保たれてゐるのだ。