今日から水無月となり、浮世では營業抑制がさらに解除となる。
先月末の昨日あたりは、街のあちこちで前夜祭のやうな賑はひ云々。
母娘連れは百貨店の混雑に、
「あんなに混んでゐるとは思ひませんでした」
──みんな、アナタと同じことを考へて出てきたのだ。
スーパー銭湯の受付でお客が従業員に、
「マスクをしたままで、浴槽に浸かるのでせうか?」
──そんなことを気にするくらゐなら、出て来なければよい。
“浮世見聞記”に相応しく、しばらくはかうした珍奇迷言を採取する樂しみが出来さうだ。
一方の北九州では、事實上の“第二波”が始まってゐる。
感染の再発生當時、
「なんでかうなったのかわからない」
と地元民の聲、
そして福岡県知事の、
「不気味だ」──
これこそが、支那疫病の本質を端的に言ひ表してゐる。
だが東京圏では、文字通り“對岸の火事”といった雰囲気。
しかしこの病菌は、對岸の支那から渡ってきたものだ。
いっとき巷を賑はした“県外ナンバー車”の横溢にみる如く、長距離だらうが簡単に移動出来るこの時代、ただの營業抑制解除を「日常が戻った!」などと幻覺症状を起こして小躍りするなどまさに尻輕、支那病菌にとってはいいお客サマだ。
これから事態が全國規模で拡大しても、為政者は再び“お手上げ宣言”を発出することはないだらう。
そもそも國民への生活補償をケチり、自力で再建させるために解除したのだから。
しかし、どこかで踏ん切りをつける必要があったことも事實。
いまは試行錯誤の段階、と言へば聞こえがよいが、實態は國民を検体にした人体實験である。
だから私は、城と地元から徒らに動かないと決めたのだ。
北九州の現状も、そしておのれのマヌケで大失敗した“韓流防疫”も、常に明日の我が身である。
せいぜい東京都の「ステップ2」とやらが、そのまま「第二波」と和訳されませぬやう……。