迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

石橋を叩ひてやめて帰りけり。

2020-06-01 10:15:00 | 浮世見聞記


今日から水無月となり、浮世では營業抑制がさらに解除となる。


先月末の昨日あたりは、街のあちこちで前夜祭のやうな賑はひ云々。


母娘連れは百貨店の混雑に、

「あんなに混んでゐるとは思ひませんでした」

──みんな、アナタと同じことを考へて出てきたのだ。


スーパー銭湯の受付でお客が従業員に、

「マスクをしたままで、浴槽に浸かるのでせうか?」

──そんなことを気にするくらゐなら、出て来なければよい。


“浮世見聞記”に相応しく、しばらくはかうした珍奇迷言を採取する樂しみが出来さうだ。



一方の北九州では、事實上の“第二波”が始まってゐる。


感染の再発生當時、

「なんでかうなったのかわからない」

と地元民の聲、

そして福岡県知事の、

「不気味だ」──


これこそが、支那疫病の本質を端的に言ひ表してゐる。


だが東京圏では、文字通り“對岸の火事”といった雰囲気。

しかしこの病菌は、岸の支那から渡ってきたものだ。


いっとき巷を賑はした“県外ナンバー車”の横溢にみる如く、長距離だらうが簡単に移動出来るこの時代、ただの營業抑制解除を「日常が戻った!」などと幻覺症状を起こして小躍りするなどまさに尻輕、支那病菌にとってはいいお客サマだ。


これから事態が全國規模で拡大しても、為政者は再び“お手上げ宣言”を発出することはないだらう。

そもそも國民への生活補償をケチり、自力で再建させるために解除したのだから。


しかし、どこかで踏ん切りをつける必要があったことも事實。


いまは試行錯誤の段階、と言へば聞こえがよいが、實態は國民を検体にした人体實験である。

だから私は、城と地元から徒らに動かないと決めたのだ。


北九州の現状も、そしておのれのマヌケで大失敗した“韓流防疫”も、常に明日の我が身である。


せいぜい東京都の「ステップ2」とやらが、そのまま「第二波」と和訳されませぬやう……。







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