迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

太刀を柄杓に持ち替へて。

2018-10-07 18:19:28 | 浮世見聞記
横浜能楽堂にて、企画公演『風雅と無常──修羅能の世界』より、第2回「修羅能と狂言」を観る。

修羅能、つまり源平合戦の武将を描ひた能では、當人が亡霊となって現れ、その時の様子を再現して見せるのがほぼ定番だが、狂言におゐては後世の庶民の目線から、洒落といふ装ひを以て描かれる。





初めの語「那須」は本来、能「八島」で小書(特殊演出)が付ひた時に演じられる間狂言で、それだけに格調の高さが求められる。

皆紅の扇を射落すやうに示す船上の女性、原典の「平家物語」では“上臈”だが、狂言では“遊君”となってゐるところが、私には興味深ひ。

つづく「薩摩守」は、“薩摩守忠度”がわかっていないと最後の“青のり”の意味も伝わらず、今日の見所(けんしょ)のやうに、曖昧な笑ひで終わってしまふ。

しまひの「通円」は能「頼政」の完全なる模倣であり、その出来映へを純粋に楽しむべき、遊び心いっぱいの傑作。

「頼政」は観世流と金春流でそれぞれ観てゐるが、逆縁ながらこの「通円」がきっかけで「頼政」を観てみたいと思ふ人がゐたら、

今日の公演は大成功だ。




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