熊谷宿から歩くこと約2時間、途中歩道の無い区間で車がスレスレを通り過ぎて行く恐怖を味わいながらも、ようやく深谷宿の入口、「見返りの松」までやって来ました↑。
深谷宿は当時、商業だけでなく、中山道きっての色街としても有名で、翌朝旅人と遊女はこのあたりで別れを惜しんだことからその名が付いたとか。
国道17号線を渡って少し行くと、右手に宿場の入口を示す常夜灯が↓。
常夜灯から熊谷宿方面の歩道には約1キロにわたって、写真左に見るような銀杏が両側に植えられています。
これは昭和59年、かつて旧街道のこのあたりが並木道であったのを復元するために植えたものだそうですが、歩道のど真ん中にデンとあるのは、かえって通行の邪魔になっているような…。
色街としての面影は現在では全くありませんが、当時のままの米店の土蔵や造り酒屋の建物などはちらほらと残っていて、しかも今も営業を続けているなど、商業で賑わっていた頃の面影を伝えています。
しかし、旧宿場の中心地は道路の拡幅工事の予定があるようで、わずかに残る旧街道の風情が壊されるのも、どうやら時間の問題のようです…↓。
深谷宿は当時、商業だけでなく、中山道きっての色街としても有名で、翌朝旅人と遊女はこのあたりで別れを惜しんだことからその名が付いたとか。
国道17号線を渡って少し行くと、右手に宿場の入口を示す常夜灯が↓。
常夜灯から熊谷宿方面の歩道には約1キロにわたって、写真左に見るような銀杏が両側に植えられています。
これは昭和59年、かつて旧街道のこのあたりが並木道であったのを復元するために植えたものだそうですが、歩道のど真ん中にデンとあるのは、かえって通行の邪魔になっているような…。
色街としての面影は現在では全くありませんが、当時のままの米店の土蔵や造り酒屋の建物などはちらほらと残っていて、しかも今も営業を続けているなど、商業で賑わっていた頃の面影を伝えています。
しかし、旧宿場の中心地は道路の拡幅工事の予定があるようで、わずかに残る旧街道の風情が壊されるのも、どうやら時間の問題のようです…↓。