東京都ではなく、神奈川縣であることを意外に思ひかけて、さういふ既成觀念でこの人災疫病を捉へてはいけなかったと反省する。
変異種による死者の數は、實際はすでにもっとゐるはずだ。
いまの有様では、「起こるべくして起きた」としか、云ひやうがない。
近頃は公演や催事の案内を眺めても、感染症對策云々がすっかり形骸化してゐる印象を受けることが多い。
その印象を赤信号と解釈する自分を、私は信じる。
志村けんさんが亡くなって、あと半月で早くも一年となる。
あの當時は、この疫病が変異進化するなど思ひもしなかった。
そして、半日なにも手につかなくなったあの虚脱感──
それも人災疫病の恐ろしさだ。