十年にわたった術後検査を全て克服し、やっと通院を“卒業”した──
その親族の話しを聞ひて、私は十年といふ時間の長さを、しみじみ思った。
十年前、私は自分の求めるものはここには無いことを見極め、その組織と訣別した。
そして現在、自ら立ち上げた「現代手猿楽」を、人前で舞ふことが叶へられた。
その間、十年。
いろいろなことをやって来たからこそだらうか、「長かったなぁ……」と思ふのである。
その親族にとっては、再発の心配を抱へながらの十年であったらう。
十年前、私は毎日のやうに、その親族を病院へ訪ねた。
大部屋の病室には、それぞれの病ひと闘ふ人々の姿があった。
そこには、綺麗事ではない厳しい現実が展開されてゐた。
私はこのとき、いまなお難病を感動物語に仕立てたがるマスメディアの欺瞞を、はっきりと認識した。
あれから、十年。
そしてこれからの、十年。
浮世には何も期待していない。
ただ、おのれの手猿楽が無病息災をもって続けられることを、心から願ふのみである。
その親族の話しを聞ひて、私は十年といふ時間の長さを、しみじみ思った。
十年前、私は自分の求めるものはここには無いことを見極め、その組織と訣別した。
そして現在、自ら立ち上げた「現代手猿楽」を、人前で舞ふことが叶へられた。
その間、十年。
いろいろなことをやって来たからこそだらうか、「長かったなぁ……」と思ふのである。
その親族にとっては、再発の心配を抱へながらの十年であったらう。
十年前、私は毎日のやうに、その親族を病院へ訪ねた。
大部屋の病室には、それぞれの病ひと闘ふ人々の姿があった。
そこには、綺麗事ではない厳しい現実が展開されてゐた。
私はこのとき、いまなお難病を感動物語に仕立てたがるマスメディアの欺瞞を、はっきりと認識した。
あれから、十年。
そしてこれからの、十年。
浮世には何も期待していない。
ただ、おのれの手猿楽が無病息災をもって続けられることを、心から願ふのみである。