早朝にラジオ放送で、大藏流茂山家の狂言を聴く。
演目は「布施無経」。
坊さんも所詮は俗世の一員に過ぎないことを、哀しく可笑しく抉りだした傑作。
……なのだが、シテにせりふ劇と云ふより、いかにも何か見ながら喋ってゐるなと云ふ感じがあり、聴ひてゐてちっとも樂しくない。
大して上手くない朗讀を聴かされてゐるやうな。
私が檀家だったら、こんなツマラナイ坊主など敢へて何もやらずにさっさと追ひ拂ふだらう。
思へばシテの父親である人間國寶が演じた同役も、いかにもカネ欲しげな卑しさが惡癖であるところの過剰演技と相俟って、観てゐてだんだん顔をしかめたものだった。
私は再び布團をかぶる。
今日はどこかの段階で、厄拂ひせなあかん。