迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

これがゆとりなのだらう。

2012-11-18 23:46:06 | 浮世見聞記
雪積もる飛騨の山間の町で、その土地の伝統芸能を観る。




年に一度の楽しみを、最後までゆっくりと楽しむ―

文化とは、こういった心のゆとりから生まれるものであることを、改めて教えられる。


見えない“何か”にいつも追い立てられ、幕が閉まりきるまでのわずかの時間すらも惜しんであたふたと席を立って帰途につくやうな、そんな無駄に忙しない都会人がとっくに忘れ去った心が、ここではまだ生きている。






確かに都会は、無駄に忙しない。


しかし私はその街で、思うがままに生きてやるのだ。
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