迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

素顔といふ狂言面。

2019-01-26 22:49:56 | 浮世見聞記
今年も国立能楽堂で、恒例の「手話狂言•初春の会」を観る。


威張る人種を山伏に象徴させて揶揄した「柿山伏」、

主人が太郎冠者に、『供はまだ決まらぬと言へ』と言ひつけるところに、雇用者の俗な計算が仄見える「素袍落」、

けっきょく男女の縁とは“諦め”であることを、妻と愛人の手車が皮肉たっぷりに笑はせる「鈍太郎」──



ろう者俳優たちが魅せるこれら赤裸々な人間賛歌に先立ち、黒柳徹子さんが「お話し」を聴かせてくれるのも、この公演のたのしみ。



今回は初めて、点字図書に携わった時のことが披露された。

スタジオといふものがまだ満足になかった時代、点字図書館の館長宅で暑い日にも拘はらず雨戸を閉め切り、毛布を被って雑音を極量遮断し、「星の王子様」などを録音したお話しに、物事の草創期に情熱をもって臨んだ人ならではの、“深さ”を見る。



いつも色々なことを考へて生きてゐる人と、

ただ息をしてゐるだけの人との違ひは、

大勢の人のなかで、

どれだけ世界が見えてゐるかで判然とする。


能狂言は、なにも舞台だけではない。


いたるところで、

さまざまな太郎冠者がドジを踏んでゐる。



上演の間、後ろの席で無遠慮な咳をする三人連れの疫病持ちを嫌悪して終演後はすぐにロビーへ出ると、手話狂言の指導者である和泉流狂言師が、ひどく不機嫌な表情で次男にキツヰ言葉をぶつけながら、楽屋へ向かって小走りしてゐる光景に出くはした。


──それが今回の公演で、もっとも面白ひ“狂言”だった。

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