紅坂一里塚を過ぎ、立場茶屋(休憩処)のあった深萱という集落に向かって石畳を下って行く途中、その石畳に、不思議な紋様の岩が紛れています(上段写真)。
これは昔から「ぼたん岩」と呼びならわされてきた岩で、学術的にもたいへん貴重な岩なのだとか。
さて、旧中山道はこのあとも、激し過ぎるほどに坂の上り下りを繰り返し、
“十三峠におまけが七つ”
とはよく言ったものだ、と汗を拭き拭き感心していると、その急坂の両側には、そびえるように「権現山一里塚」が。
ここからさらに進むこと約三十分、急坂を下りると、ようやく人家の集まる地域へと入ります。
ここがすなわち、大井宿から三里半(約14㌔)の、大湫(おおくて)宿。
峠道との激闘に疲れ果てた心身に、ホッとやすらぎを与えてくれるような、山中の静かな宿場跡です。
↑写真の土蔵の家は、かつてはかなりの分限者が住んでいたと思われますが、現在では空家のようです……。
これは昔から「ぼたん岩」と呼びならわされてきた岩で、学術的にもたいへん貴重な岩なのだとか。
さて、旧中山道はこのあとも、激し過ぎるほどに坂の上り下りを繰り返し、
“十三峠におまけが七つ”
とはよく言ったものだ、と汗を拭き拭き感心していると、その急坂の両側には、そびえるように「権現山一里塚」が。
ここからさらに進むこと約三十分、急坂を下りると、ようやく人家の集まる地域へと入ります。
ここがすなわち、大井宿から三里半(約14㌔)の、大湫(おおくて)宿。
峠道との激闘に疲れ果てた心身に、ホッとやすらぎを与えてくれるような、山中の静かな宿場跡です。
↑写真の土蔵の家は、かつてはかなりの分限者が住んでいたと思われますが、現在では空家のようです……。