早朝にラジオ放送で寶生流の「殺生石」を聴く。
まだまだヒトの密集する場に出掛けるべきでないと決めてゐるなか、“本物”に接することの叶ふ大事な機會。
重厚に揃った地謠に、水道橋の能樂堂でこの流派の能を安心して樂しめる日が早く来てほしいと、しみじみ思ふ。
そのためには、支那發人災疫病との對峙が重要のはずだが、今やすっかり狎れに陥ったヒトの増へてゐるのが現實。
それは角界とても例外ではないやうで、さうした関係者を除外した上で、まずは大相撲の九月場所が開幕する。
今場所は蒙古人横綱が二人そろって休場、優勝争ひが樂しみとなるはず──
今場所は蒙古人横綱が二人そろって休場、優勝争ひが樂しみとなるはず──
なれど、こちらも残念ながらイマイチ人を得ていないと、観てゐて思ふ。