平岡地区から机地区を通ると坂を下り、釜無川を渡って瀬沢地区へと入ると、今度は上り坂(上段写真)に。
山間を行く甲州道中らしい道が続きます。
やがて右手に、江戸から47里目の一里塚で、東側のみが現存する「重修一里塚」が見えてきます。
写真は裏側から撮ったもので、形がきれいに残されていることがわかります。
このすぐ先の道筋は、現在は企業の私有地となっていて1㌔ほどが消滅しているた . . . 本文を読む
「応安の古碑」↑を右手に見ながら丘を下り、桝形を通って国道20号線に合流したところが、かつての蔦木宿。
中段写真の右側が本陣跡。
いまは表門を遺すのみで、裏は公民館となっています。
旧宿場町の雰囲気を復活させようと、過去に復元活動を行なったらしく、どの家屋も正面にかつてそこに存在した旅籠などの屋号を墨書した札を掲げ、
空地には同じく立て札で示してありましたが、この地区自体にはまった . . . 本文を読む
次の蔦木宿までの1里6町も、上教来石地区で僅かに国道と合流する以外、長閑な旧道風情がつづきます。
上段写真は、その合流区間から再び分かれる地点で、右手の旧道と左手の現道(国道20号線)との今昔対比が、興味をそそります。
この先の坂を上りきると、↓のように
道が一直線に見通せますが、それはいまの話しで、明治2年まではこの場所に「山口の関所」が設けられており、現在は道端にそのことを伝える標 . . . 本文を読む
白須下地区で鈎の手に右へ折れて台ヶ原宿を過ぎると、次の教来石(きょうらいし)宿までの1里14町は一部区間を除いて旧道がほぼのこされており、アスファルト舗装がされていなければ、古写真そのままのような風情が堪能できます。
教来石宿は流川を渡り、坂を上った先にあるわずか数百メートルの小宿。
現在その面影はまったくありません。
この珍しい宿場名の由来は、ずばり「きょうらいし」と云う巨石にちな . . . 本文を読む