迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

あふぎはやはりつよし。

2015-03-15 22:59:14 | 浮世見聞記
公共施設の舞台で開催された能楽の会にて、数年来の念願だった「羽衣」を舞い仕り、また地謡も数番仕る。


さりながら、いざ開演といふ段になってとつぜん緞帳が故障して上がらなくなり、会場を急遽ロビーへと移すことに。


つまり、演者は観客と同じ平面、視線に立って舞うことなったわけで、半円に囲んだ見物人たちと至近距離で接しながらの仕舞は、誤魔化しがいっさい利かない緊張感のなかに、まるでサロンで舞っているやうな独特の贅沢さも。


「能は、演者が扇一本さえ持っていれば、どんな場所でも出来る」―


その事実は、ここでも遺憾なく証明されたわけである。


その一本の扇で、今回のわたしは三保の松原と、そこから望む富士山を讃えた舞を舞う。

謡の本文にも、「のどかなる浦の有様」とあるごとく、あくまでもゆったりと、のどかに―


そんな情景を一本の扇で観客に見せられるようになるまで、わたしはこれからもこの曲を、舞い続けるだろう。
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