明治から昭和初期にかけて“絲都(しと)”──絹糸産業で繁榮した信州岡谷へ、その痕跡を見に行く。
戰後に設立された農林省蚕糸試験場岡谷製糸試験所跡に建てられた、「岡谷蚕糸博物館 シルクファクトおかや」を訪ねるのがまずは手っ取り早く、
武州の富岡製糸場で明治五年創業時に實際に使用されてゐた佛式繰糸機、
そして博物館に併設されてゐる昭和三年創業の宮坂製糸場内で、昔ながらの糸繰り作業を間近で見學できるのが特色。
だが私は、作業場の湿度を含んだ熱氣と、お蚕様のにほひに強烈な印象を覺え、こればかりは資料を讀んだだけではわからない。
博物館には改良を重ねて効率的になっていった歴代繰糸機の實物展示のほか、過去の繁榮ぶりが力強く語られてゐるが、この時代に實際に繰糸機の前で作業をしてゐた工女たちの姿は、それらからは見えてこない。
山本茂實の名著「あゝ野麦峠」に見る、“口減らし”のため飛騨地方などからいくつもの峠道を越えてやって来たうら若い女性たちの、肺結核の危険に晒されながら良質の糸を繰るやう長時間追ひ立てられるなど、第三者の目には過酷に映る勞働の實態については一切黙殺され、さも健全な勞働をしてゐたかのやうにアッサリと流してゐるからで、館内の解説文にはもちろん、山本茂實の名も、「あゝ野麦峠」も出てくるわけがなく、賣店に件の本などは、言はずもがな。
戰後に精密機械工業で息を吹き返した現在の岡谷の町から、絹糸業華やかなりし頃の面影はわずかにしか見出せない。
若い女性の身には過酷すぎた繰糸作業に耐へかねた工女たちが、よく入水自殺を図ったため、「湖底が淺くなった」とまで云はれた諏訪湖のほとりに立ち、
私は手猿樂のために持ってゐる絹製の装束を、より大切に扱わうと思ふ。