「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”政治とカネ”論議の悪夢はもう結構

2014-10-21 05:58:50 | Weblog
小渕・松島女性両閣僚が二人して辞任した。原因はつきるところ”政治とカネ”にあるようだ。二人の辞任を受けて、NHKが野党党首を登場させて意見を聞いていた。その一人、生活の党の小沢一郎代表が、なんだか、まことしやか事をしゃべっていたが、代表には失礼だが内容は忘れてしまった。小沢氏といえば、”政治とカネ”の元祖であり、民主党政権時代国会を賑わし、このために日本の政治が停滞してしまった。あの悪夢が僕には蘇ってきた。

”政治とカネ”といっても僕の認識では、今回の両閣僚の辞任は小沢一郎氏の場合とは違うようだ。小渕氏の”観劇会”にせよ松島氏の”お祭りの団扇”にせよ、公職選挙法を巡る解釈や会計処理のずさんさが原因しているみたいだ。松島氏は辞任後も”団扇の配布は犯罪ではない”といっている。僕も彼女をかばるわけではないが、これに似た行為は与野党を問わず、各所にみられるのではないか。問題は公職選挙法にあるのではないか。

2009年から国会議員は1円以上の支出についてすべて領収書を添付することになったようだ。政治資金の流れのの透明化には理想的なことだが、実際問題としては至難に近いのでは。多忙な議員にとっては、小渕氏がいみじくも言っているように”なんで、こうなったのか判らない”というのが実情かもしれない。国会では、おそらく民主党が、女性閣僚二人の辞任を巡って安倍総理の任命責任を追及することになろう。民主党政権時代の鳩山元総理や小沢一郎氏への”政治とカネ”問題で国会が空転した事が思い出されるが、その二の舞は困る。

せっかく、第二次安倍内閣になって、日本の政治が落ち着きを取り戻し回復路線に乗り始めた。民主党得意の”揚げ足取り”で、日本の政治が逆戻りすることを心配する。それ以上に安倍政権は、第一次内閣の失敗の轍を踏まないよう心をしきしめて頑張って欲しい。

皇后陛下の傘寿のお祝いと地久節の時代

2014-10-20 06:15:31 | Weblog
今日10月20日は皇后陛下美智子さまの80歳であるのを改めて新聞で知った。傘寿のお祝いである。おめでとうございます。皇后陛下とは、お目にかかったことはないが、何か特別な親しみを感じる。第一は同じ昭和1ケタ世代として戦中戦後のあの時代を体験されてきたこと。第二は個人的なことだが、戦前、陛下が少女時代を送られた正田家の実家が、僕の少年時代の遊びの”古戦場”だった池田山(五反田)だったこと。第三は正田家のご先祖の地、群馬県館林が、僕の先祖の地に近いことなどである。

先日、皇后陛下は天皇陛下とご一緒に戦争中沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が沈没され大勢の犠牲者が出た悲劇を追悼され、沖縄の慰霊碑を参拝された。両陛下は、まさに「対馬丸」の学童と同世代である。天皇陛下は学習院の集団学童疎開で学友たちと奥日光で生活されているが、皇后陛下は昭和19年から終戦までの1年間、ご先祖の地、館林から、別荘のあった軽井沢の国民学校(小学校)を転々とされている。それだけに、両陛下にとっては「対馬丸」事件は忘れられない。

皇后陛下の誕生日は戦前まで地久節と呼ばれた。老子の「天長地久」から出た言葉で”大地が永久に変わらぬ存在であること”つまり皇室の悠久の繁栄を歌った言葉で、天皇の誕生日は「天長節」と言い、皇后陛下の誕生日は「地久節」であった。昭和天皇の皇后、香淳皇后の誕生日は3月6日であった。「天長節」は国の祝日で学校も休みであったが、「地久節」は一部の女子校だけが休日だった。しかし、今でも僕は3月6日が「地久節」だったことを覚えている。

天皇皇后両陛下ともにお元気である。しかし、両陛下とも80歳をこえたご高齢である。出来るだけ必要なご公務は別として皇太子殿下ご夫妻にお譲りになったほうがよろしいのではないか。同世代の年寄りとしてご進言したい。

小淵優子経産相はお辞めになったほうがよい

2014-10-19 05:19:17 | Weblog
国会では政治資金の処理と選挙活動をめぐって松島みどり法相についで小淵優子経産相が野党の追及にあっている。松島大臣は、自分の選挙区のお祭りで自分の似顔絵の書いた団扇を配りながら”団扇のようなもの”と強弁し、野党の質疑を”雑音”呼ばわりした。正直言って連舫議員がこの問題を持ち出した時、僕も”雑音”とまでは思わなかったが、またぞろ民主党の揚げ足取り作戦が始まったのかとがっかりした。しかし、これに次いで小淵経産相の観劇会をめぐる不透明支出である。これは僕が見ても言い逃れはできない。政治の空白を生まないためにも大臣をお辞めになったほうがよい。

野党になった民主党は3年3か月の政権時代の”政治とカネ”の問題で懲りたのであろう。この問題について神経質になっている。結構な話だ。老妻宛てに送られてきた女性区議の”励ます会”の案内にも”この会は政治資金規正法第8条の2に規定する政治資金パーティである”と記されている。新聞報道で見る限り、小淵大臣の観劇会は、あまりにも杜撰すぎる。年度によっては収支決算書もないし、本人も観劇会に参加していなかったという。

政治の世界には疎いが、何故そんなにカネが必用なのだろうか。観劇会もそうだが、色々名前を付けたパーティもそうである。つまるところは政治活動である。老妻宛ての案内状には菅直人・元総理など民主党の幹部が3人、世話人として名前を連ね、区長の名前まで載っている。政党には政治活動を助成するための交付金がでているはずだ。国家にとって重要法案が山積している。政治とカネの問題で国会が空転しては困る。小淵経産相はいさぎよくお辞めになったほうがよい。

後期高齢者医療保険の値上がりと年金生活者

2014-10-18 05:15:16 | Weblog
厚労省が2016年度実施を目指して75歳以上の約半分に当たる800万人の後期高齢者の医療保険料の値上げを検討していると新聞に出ていた。その対象者は所得が低く、2008年、この保険制度の発足時、特例措置で負担の軽減を受けていた層が中心とのこと。わが家は、この報道を見る限り、値上げの対象ではないが、この値上がりの連動で、僕らの層にも影響があるのでは、ないかと心配している。僕ら夫婦の場合、年金(厚生年金・国民年金)は税引き年約200万円あるが、後期高齢者保険支払も年35万円ある、収入に対する医療保険負担は17・5パーセントもある。

今年5月まで僕ら夫婦の医療費窓口負担は”現役なみ”の3割負担であった。毎月のメディカル・チェックと常用薬の支払いだけでも5千円札を用意せねばならなかった。幸い?昨年暮、膝に人工関節を入れ、身障者と認定され、税の控除を受けた結果、今は1割の窓口負担となった。3割と1割では負担の実感が全く違う。毎回の通院で支払う額が1千円以下でおさまる。

保険は制度の性格上、収入により応分の違いがあることは理解している。しかし、1割と3割の違いで見るようにあまりにも違いすぎる例がある。今回初めて僕は低所得層に対する現行の軽減措置のを知り、あまりの特典に驚いた。それも690万人もの加入者が、この特典を受けていたという。これでは、現役世代から不公平だと苦情がでるのは当たり前だ。

しかし、大半の高齢者は一定の年金で生活している、また加齢と共に医療費が増大してくる。それが僅かといえども値上がりするのは、おうげさにいうと死活の問題でもある。今回の値上がりが、果たして低所得層のみで、他の層への連動はないのかが心配だ。

「神嘗(かんなめ)祭」とハロウィンの季節

2014-10-17 06:15:00 | Weblog
このところ東京首都圏は気持ちの良い秋空が続いている。昨日、膝のリハビリをかねて近所の住宅街を散歩したら、豪邸の門前にカボチャのランタンが置かれ「Trick or Treat」(いたづらか、それとも、もてなしか)のハロウイン(10月31日)の表示が早くも飾られていた。戦前、僕の子供時代にはなかった外国のお祭りが、この季節の風物詩みたいになってきた。

今日10月17日は「神嘗祭」である。といっても、それを知っている日本人は今では皇室と伊勢神宮など一部の方である。秋の収穫を感謝して、その年獲れた初穂を神に捧げる宮中の行事である。戦前この日は国の祝日の一つで学校も休みであった。初穂を初めて神と一緒に食する11月23日の「新嘗(にいなめ)祭」と共に、当時の国民には、稔りの秋を感じさせる身近な休日であった。

戦後こういった皇室に関係のある休日は、占領軍によって廃止された。しかし、神嘗祭にしても新嘗祭にしても、もともとは農耕民族の日本人が秋の収穫に感謝する御祭りであった。モノの本によると、ハロウインも起源も古代ケルト人の収穫祭であった。それが、いつのまにか今では、子供たちを中心としたお祭りになり、仮装を楽しむ日になっきた。最近とみに、疎外感が強くなってきた老人だが、これに文句をつけるわけではない。しかし、一方では神話の時代からあった、日本古来の収穫祭が忘れられて行くのは寂しい。

40数年前、札幌に住んでいた時、七夕の日に子供たちが夜家々をまわり”ろうそく寄こせ、出さなきゃ、かっちゃくぞ”とお菓子を貰って歩いた。ハロウインの「Trick or Treat 」と似ていて面白い。多分札幌で子供時代を暮らした人にとっては想い出として残っているに違いない。不謹慎かもしれないが、祭りは”演出”の仕方かどうかである。せっかく、神代の時代から続いた御祭りである。なんとか「神嘗祭」も国民行事として復活させたらどうだろうか。



認知症は知っているだけで安心だろうか。

2014-10-16 05:49:38 | Weblog
昨日どさっと入ってきた新聞の折込広告に混じって、厚紙のB5版4ページのお知らせが入ってきた。折込広告にはあまり関心がなくすぐ捨てるのだが、老妻にいわれて目を通した。東京都福祉保健局高齢福祉対策部在宅支援認知症支持係が発行元の「知って安心認知症」という栞である。二人して記載のチェックテストをしてみた。20問の設問に対して20点以上なら”認知機能や社会生活に支障が出ている可能性があるとのこと。幸い、二人とも20点以下でほっとしたがー。

膝の手術後のリハビリを兼ねて毎日近くのミニ・スーパーへ買い物に出かけているが、先日路上で「見守り隊」と赤い襷(たすき)をかけた男女のカップルから挨拶された。近所の独居老人の見守りをしているボランティアの人たちだが、同時に徘徊老人を見守っているのかもしれない。確かに「認知症」の老人が急増し、社会問題化してきている。わが家で購読している読売新聞も昨日から「認知症」の連続企画を始めたが、読んでみると「認知症」患者も大変だが、それを支える家族や福祉関係者も大変だ。

東京都の"ジゲムジゲム”のような長い名前の役所の係が発行した「知って安心認知症」がムダだとは言わないが、現実はもっと厳しいのではないのだろうか。幸い僕らは同じ屋根の下で三家族一緒に住んでおり、老人福祉の情報も入ってくる。しかし、若い人と同居していない、知人に聞くと当然受ける資格があるのに介護や支援を受けていない。地元の包括支援センターの場所さえ知らない。”ジゲムジゲム”の昔ながらのお役所仕事では、実際の福祉現場が遠すぎるのではないだろかー。

(続)「アジア女性基金」の”慰安婦強制”文言は即時、削除せよ

2014-10-15 05:34:28 | Weblog
外務省が「アジア女性基金」に対して行った拠金呼かけ文(1995年)、から”多くの女性を強制的に慰安婦として軍に従わせた”という文言がHPから削除されたと、読売新聞に出ていた。これは先日の衆院予算委での「未来の党」山田宏議員の指摘によるもので、当然の措置だ。しかし、これでは、まだ充分とはいえない。2007年に解散した「アジア女性基金」の「ディジタル記念館」というサイトをみると、依然、東南アジアの女性の中には日本軍によってレイプされ、慰安婦にされたと書いてある。このサイトはハングルと英語で発信されているから驚きだ。これを読んだ外国人は、かって日本兵は、やはりこんな悪行をしていたのか、と”性奴隷”を本当に信じこむに違いない、

「デジタル記念館」にはこんな記述がある。「(慰安婦の多くは)都市部や軍の駐屯地で、業者の経営する慰安所に送り込まれ慰安婦とされたほか、東南アジアの前線の部隊では、農村部の女性をレイプし、部隊の宿舎に連行し、屋内に一定期間軟禁しレイプを続けるケースが確認されている」参考までに英文を紹介すると「When many comfort women worked in comfot stations managed in private manageres ,set up in city area and garison site,it was recognized that in rural areaes many of the native women were raped and abuducted to Japanese gaison buildimg and were raped contiously there for a cerain time」

日本語の原文に”東南アジア”とあるが、英語訳にはなく、どこの国だか判らない。”確認されている”(It was recognized)というが、どこで誰が確認しているのか、これも判らない、普通、”前線”といえば、敵と対峙している戦場のことを言い、女性と戯れているどころではない。戦争中アラフラ海の孤島で空腹を抱え戦っていた先輩は、戦記の中で、司令部本部から”慰安所の設置か、酒保(食堂)か”との問合せに対して全員”饅頭が食べたい”と返事をしたという。

政府は昨日の閣議で”客観的事実に基づく正しい歴史認識が国際社会で形成されるよう”、対外発信を強めて行くことを決定したという。しかし、外務省とと総務省が共同拠金して設立された政府のお膝元ともいえる「アジア女性基金」が、こんな文書を依然世界に発信している。即時こういった不確かな文書は削除すべきである。

80歳の「体育の日」と体力

2014-10-14 05:34:02 | Weblog
昨日10月13日は、”ハッピー・マンディ”制による「体育の日」であった。80歳半ば近くの老体には、あまり意味もなく関係のない休日になった。”かってない”ほどの勢力を持つ台風19号の襲来を前にして、終日テレビの前で全国各地の被害状況を見て暮らした。家人の危険だという言葉を守って一歩も外出しなかった。全く「体育の日」の日にふさわしくない一日であった。

産経新聞に”70代イキイキ5歳若返る”という記事があった。文科省の調べによると、70歳代の男女の体力が、握力など種目の調査結果がすべて過去を上回り、5歳は若返ったというのだ。高齢者の一人としてご同慶の至りだが、調査は75歳ー79歳までで80歳以上はない、70歳代といえば、昭和9年から19年生まれの方だ、僕ら昭和1ケタ同様、戦中、戦後のあの苦しかった時代を共に生きてきた世代である。

僕ら1ケタ世代とあえて違う点があるとすれば、僕ら世代に比べて現役引退後の生活が多趣味で、多方面にわたっていることだ。無趣味な僕らに比較して積極的に社会活動にも参加し、地元のスポーツクラブに通っている人が多い。それを裏付けるように、文科省の調査では70代の40パーセントがフィットネス・クラブ通いをしているという。

僕の70歳代を振り返ってみた。地域の早朝ラジオ体操にも参加し、つとめて一日5000以上歩くようにはしていた。しかし、歩行の仕方が悪かったのか、いわゆる”ロコモティブ・シンドローム”になり、半月板が摩耗して結果的には人工関節のお世話になってしまった。でも、いくつになっても体力の維持は必要である。医師の指示に従って、踵から着地する正しい歩き方で散歩し、5キロのバーベルを一日二回50回上げることにしている。

4泊5日で退院出来た老妻の乳がん

2014-10-13 06:10:54 | Weblog
乳がんで入院していた老妻(81)が、昨日元気に退院してきた。初期がんの早期発見がよかったのであろう。入院してたった4泊5日で退院である。病院側は3日で退院してもよい、ということだったが大事をとって一日延して貰った。乳がんと診断された時は、大変なことになったと慌てたがが、急速な医学の進歩である。白内障なみに日帰り手術も可能になるかもしれない。

欧米並みのライフスタイルの変化からか、日本でも高齢者の乳がんが増えているそうだ。老妻は”この齢になって”と恥ずかしがっていたが齢には關係はないようだ。老妻のがんを知り、ネットで俄か勉強したが、高齢者の乳がんは、一般的にいって悪質なのは少ないらしい。80歳という年齢を考慮して事前に病院側で色々でチェックが行われ、手術に耐えられると判断された。老妻の場合、患部は1.5センチと比較的小さなものだったが、全身麻酔の手術で2時間ほどで終了した。もちろん、乳房温存の手術だ。

今後の治療法はホルモン療法で、抗がん剤をのむ必要はないそうだ。老妻は4日5白の入院中、病院側の都合で希望の4人部屋がとれず、通常料金で3泊個室に泊まれた。そのためもあってか、入院前より元気で帰宅した。娘たちにいわせると、元気になった最大の原因は、4泊5日とはいえ、僕の口うるさい”文句”から解放されたためだというが。

来月入院を控えている僕は、老妻が元気で退院できてほっとしている。老妻の手術後経過が悪く、入院が長引けばどうしようかと悩んでいた。夫婦二人が共に長生きするのは大変なことである。娘たちの進言に従って、あまり老妻に文句をいうのを慎むことにしよう―と思うのだが。僕らの世代の悪癖だとは分かっているのだが、困ったものだ。

アジア女性基金サイト”Digital 記念館”も削除せよ

2014-10-12 05:54:43 | Weblog
衆院予算委で岸田文雄外相が山田宏未来の党幹事長の質問に答え「アジア女性基金」拠金呼びかけ文にある慰安婦の強制連行を匂わせる文言を外務省のHPから削除することを検討すると約した。「アジア女性基金」は1995年、村山内閣の時、いわゆる”従軍慰安婦”問題解決のため、政府の拠金と民間からの寄付で設立された団体。韓国始めフィリピン、インドネシアなどの慰安婦に対して総理の”お詫び”の手紙を添えて補償金を支払うという事業だったが、当初の期待していた成果を得られぬまま2007年解散している。

この「アジア女性基金」が、活動の記録を”デジタル記念館”として村山富市理事長の挨拶を載せ、日本語のほか英語、ハングル文字で全世界に発信している。朝日新聞系のサイト「SYNODOS」に、私立大学の教授(女性)が”慰安婦問題基礎知識Q&A”を書き、これらは、すべて日本政府と「女性基金」の資料と報告によるものだと、断り書きがしてあり、僕の専門のインドネシアの慰安婦についても、女性基金の歴史考証委員(Program underscoring of history)の一人倉沢愛子慶応大学名誉教授の研究を引用している。

”デジタル記念館”のその一文には、”倉沢愛子氏の研究によれば、インドネシアでも、部隊が独自に女性を強制的に連行して自分たちの駐屯地に慰安所のようなものを作った例がみられます。これは西ジャワ地区に多くみられます”―と書いてある。これは多分、倉沢氏が1996年、名古屋大学大学院教授だった時、地元の中京テレビ制作の番組のコーディネ―たー役として、西ジャワのスカブミに行き、おカネを目当てに名乗り出た2万2千人の慰安婦を”取材”したときの報告であろう。2万2千人という数は当時のジャワ駐屯の日本軍より多い。

こんな出鱈目不確実な記録を、政府も出費している団体がいまなお世界に発信している。考えられないことだ。ちなみに、基金の歴史考証委員の倉沢氏は戦時中スマトラブキティンギにあった第二十五軍軍司令部で防空壕建造の際、現地の労務者が虐殺されたという100パーセントウソの話を自著「20年目のインドネシア」の中で書いている人物だ。