先週、バンビのお友達が亡くなった。
それはあまりに突然の悲しい別れで、誰もが事実を受入れられず、戸惑うばかりで...。
私にとっても いろいろなことを考えさせられた。
そのことについては これ以上ここでは書けないけれど。
そのお友達のご一家はクリスチャンで、会葬御礼にいくつか聖書の言葉が記されていた。
「主が与え、主が取られた。主の御名はほむべきかな。」
私はクリスチャンではないけど、キリスト教系の学校に通ったのでキリスト教概論の勉強をしたことがある。
その言葉は、その時習った旧約聖書の「ヨブ記」にある。
高潔な人物で敬虔な信者でもあるヨブという人が、サタンに試され
子供や財産を全て失ったり、自身が重い病気になったりと次々と不幸に見舞われる。
それでも揺るぎない信仰心で言う。
「主が与え、主が取られたのだ。主の御名は誉むべきかな。」
この後、因果応報だと責める友人の言葉にも屈せず、自身の潔白を訴え続けるヨブ。
不条理な苦しみはさらに続き、ヨブは嘆きの言葉を発する。
「主よ、私はあなたに向かって叫んでいるのに、あなたはお応えにならない。」
そして...
という風に続いていく、とても奥の深い?話なのだけど。
当時まだ若かった私には 正直理解できなかった。
”神様から幸せを受けたのだから、不幸も受け入れるべき”という考えは、きれいごとにしか思えなかった。
バンビに障害があるとわかった時も、”何故?どうして私の息子が?”と嘆き悲しみ、神様を恨んだりもした。
でも、それからさらに歳月を経て、今ならわかることもある。
苦難のない人生なんてないんだ。
命あるものは必ずいつかは死ぬのだし、生きていれば誰だって年取ればなおさら病気になったりもするし
うまくいかないこと、思いどおりにならないことなんていくらでもある。
そういう苦難に打ちひしがれ、生きる希望を失うこともあるだろう。
それを ”すべては神の御業”としてある種の諦観の元に受け入れていくことは
心を強くする1つの術なのかもしれない。
信仰は、いやそこまでいかなくても そうやって何かを信じて現実を受入れる気持ちは
生きる支えになるんだろう。
実際、私がそうだった。
このブログにも書いたけど「神様には特別の計画がある。」という言葉が当時の私を支えてくれた。
聖書の中にある言葉は きっと何千年も前の人々の生み出した生きる知恵なのだろう。
私達もその言葉に救われて生きていく。
どうにもならない不条理も 神様はただ沈黙しているのではない。
私達と共にあって、私達の想いを受けとめてくれている。
そう思えば少しは前向きに生きていけるということなんだろうか...
亡くなったお友達のご冥福と
そして遺されたご家族がこれからもずっと神様に守られますようにと
心から 本当に心からお祈りします。
メールはこちらまで → yakkoxhs@gmail.com
それはあまりに突然の悲しい別れで、誰もが事実を受入れられず、戸惑うばかりで...。
私にとっても いろいろなことを考えさせられた。
そのことについては これ以上ここでは書けないけれど。
そのお友達のご一家はクリスチャンで、会葬御礼にいくつか聖書の言葉が記されていた。
「主が与え、主が取られた。主の御名はほむべきかな。」
私はクリスチャンではないけど、キリスト教系の学校に通ったのでキリスト教概論の勉強をしたことがある。
その言葉は、その時習った旧約聖書の「ヨブ記」にある。
高潔な人物で敬虔な信者でもあるヨブという人が、サタンに試され
子供や財産を全て失ったり、自身が重い病気になったりと次々と不幸に見舞われる。
それでも揺るぎない信仰心で言う。
「主が与え、主が取られたのだ。主の御名は誉むべきかな。」
この後、因果応報だと責める友人の言葉にも屈せず、自身の潔白を訴え続けるヨブ。
不条理な苦しみはさらに続き、ヨブは嘆きの言葉を発する。
「主よ、私はあなたに向かって叫んでいるのに、あなたはお応えにならない。」
そして...
という風に続いていく、とても奥の深い?話なのだけど。
当時まだ若かった私には 正直理解できなかった。
”神様から幸せを受けたのだから、不幸も受け入れるべき”という考えは、きれいごとにしか思えなかった。
バンビに障害があるとわかった時も、”何故?どうして私の息子が?”と嘆き悲しみ、神様を恨んだりもした。
でも、それからさらに歳月を経て、今ならわかることもある。
苦難のない人生なんてないんだ。
命あるものは必ずいつかは死ぬのだし、生きていれば誰だって年取ればなおさら病気になったりもするし
うまくいかないこと、思いどおりにならないことなんていくらでもある。
そういう苦難に打ちひしがれ、生きる希望を失うこともあるだろう。
それを ”すべては神の御業”としてある種の諦観の元に受け入れていくことは
心を強くする1つの術なのかもしれない。
信仰は、いやそこまでいかなくても そうやって何かを信じて現実を受入れる気持ちは
生きる支えになるんだろう。
実際、私がそうだった。
このブログにも書いたけど「神様には特別の計画がある。」という言葉が当時の私を支えてくれた。
聖書の中にある言葉は きっと何千年も前の人々の生み出した生きる知恵なのだろう。
私達もその言葉に救われて生きていく。
どうにもならない不条理も 神様はただ沈黙しているのではない。
私達と共にあって、私達の想いを受けとめてくれている。
そう思えば少しは前向きに生きていけるということなんだろうか...
亡くなったお友達のご冥福と
そして遺されたご家族がこれからもずっと神様に守られますようにと
心から 本当に心からお祈りします。
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