バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

14年を振り返って

2017年08月12日 | 障害児の親
バンビは、今朝ミニバスケ&フロアホッケーの合宿に出かけていきました。
重い重い大きなリュックとナップザックを身体の前後にしょって、傘を差して歩く姿に
たくましくなったなぁ と思ったりして。

3泊4日 先生やスタッフの方、役員のお父さん・お母さん、そして 他の子ども達との集団生活は
厳しいこともたくさんあるだろうし、もちろん お楽しみもあるだろうし。
どんな4日間を過ごして帰ってくるのか、私としても楽しみ。
(そして、私にとっては 貴重なフリータイム!



本当に ”経験は宝” だと思う。
頭でいくら想像しても、結局 実際に経験して初めてわかることって たくさんある。 

見通しがつく って、大事だよね。
特に 人一倍不安感の強いPWSの子にとって、一度経験してみて だから予測がつくってことは
心の安定に大きく作用する。



これは前にも書いたことあると思うのだけど、例え話として

親はどうしても 子どもが転んで痛い想いをしなくて済むように 平坦な道を歩かせようとしがち。
いつも手をつないで歩いて、つまづいて転びそうな石でもあろうものなら、予め取り除いてあげたくなったり...。

もちろん、最初のうちはそれでもいいのだけど
徐々に いろんな道を歩かせて、最終的には どんな道でも一人で歩けるようにするのが
親の務めなんじゃないかな と思ったりする。

転んで痛い目にあったら、次は転ばないように自分で気を付けるようになる。
石ころだらけの道なら それを回避して、他のルートを探したりするようにもなる。


ずっと手をつないで、石を除けて歩かせ続けたら
一人で歩かなくちゃならなくなった時に、不安で歩こうとしないかもしれない。
大きくなってから転んで、痛みにびっくりして 歩くことを拒否するかもしれない。

そういう話を身近でもよく見聞きする。
その子のせいじゃない、その子が悪いんじゃないんだよね。
それに、そうなってからではもう変えるのは本当に骨が折れる。

もちろん、感覚や身体能力は人それぞれだから一概には言えないかもしれないけど
小さいうちから積んできてたら 少しは違ったのかもしれないのに... と思うことあるんだよなぁ。



子どもの人生を最後まで親が見てあげられるならいいけど
大抵は 親の方が先に逝かねばならない。
繋いでいた手を離して、他の誰かに委ねなければならない時が来る。

親がいなくても生きていけるように、誰か他の人の支援を受けて生きていけるように
そのための準備を 長い長い時間をかけてしていくのが親の仕事なのかな と思っている。


だからと言って、いきなり荒れた道に放り出して、一人で歩かせるんじゃなくて
最初は 平坦な道を手をつないで歩いて、”歩くの楽しいね” と刷り込み
一人で歩けるようになったら ”上手だね” と誉めてみせ
たまに転んだら、”痛かったね、でも 大丈夫だよ。”となぐさめ、励まし
”次は こういう風に歩くといいよ、こういう道を選ぶといいよ。”と 教え、諭す。

一人で歩くようになったら、道自体を自分で選べるように ”考えてごらん。”と相談に乗り
たまにアドバイスして、後はひたすら見守る。
うん、たぶん今のバンビは もうこの段階に来てるのかも。
(いやいや、まだ派手に転んで その都度全力でなぐさめたり、励ましたり、教え諭すことも多いけどね。)


あとは、その”見守る役”を 親の私から他の誰かに うまくバトンタッチできるかどうか にかかっているのかもしれない。


バンビもここまで 14年...長い長い歳月。
でも、振り返れば 本当にあっという間。

子どもは日々育つ。後戻りはできない。(でも やり直しは可能かも?)
今日1日が勝負、今の一瞬一瞬が 子どもの将来を培っていく。

だからと言って、責任の全部を親の肩だけに乗せる必要はないと思う。
周りの支援(学校、療育、医療、福祉、地域、親戚縁者...関わってくれる人すべての)をうまく活用して
一緒に育めていけたらいいんじゃないかな。

ただ、まずは親がそういう意志・気持ちを持っているかどうか が肝腎かな と思う今日この頃。

メールはこちらまで → yakkoxhs@gmail.com

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