喫茶 輪

コーヒーカップの耳

野元正さんの同人誌評

2019-04-25 13:26:49 | 文学
今朝の神戸新聞文化欄の「同人誌」評です。

←二段階クリック。

評者は作家の野元正さん。
冒頭にこんなことが書いてあります。

《小説は常に心豊かな人生とは何かを探求し続けている。》

平凡なようで、「あ、そうか」と思いました。
というより、思いがけない気がしました。
わたしなんかの老齢者が読むと、目をそむけたくなるような小説もありますのでねえ。
ついていけないような気も若干していたのでした。
でも、このように言っていただけると安心です。

評の内容ですが、それぞれの作品を的確に評しておられますね。
とは言っても、わたしは評された作品をどれも読んだことはありませんが。
しかし、野元さんの文を読ませていただくと、その小説の骨格がしっかりと見える気がするのです。
よく読み込んで評しておられるのがよくわかるということです。
評された人もうれしいでしょうね。
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「ははのれんあい」

2019-03-24 23:18:59 | 文学
神戸新聞に連載されていた小説「ははのれんあい」、251回目の今日が最終回だった。



作者は窪美澄という人。わたしは初めて読んだ。
毎日楽しみに読んでいたのでちょっとした感慨がある。
しかしこの小説、大した事件が起こるわけではない。
どちらかというとホームドラマかな?
普通の家庭で日常に起こりうることばかりが連なっていた。
しかし、「もう読むのをやめよう」とはならなかった。
わたしは新しい新聞小説がスタートしたら、とりあえずしばらく読んでみることにしている。
ところがそのうち自然にやめてしまうことが多い。
なかなか毎日読もうと思う小説は少ないということだ。
さて、次の新しい小説はどんなだろうか。
いつまで読むだろうか?
それとも最後まで読むだろうか。
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「六甲」987号

2019-03-14 13:25:52 | 文学
「六甲」987号です。


来年には、1000号になるのですねえ!
これはスゴイことです。
そこに3年前から随想を書かせていただいています。
今号は「牧水の恋」と題して。
←二段階クリック。

これは「つづく」とは書いてませんが、次号に続きます。もう原稿は書けてますが。

と、話はこれでは終わりません。
実は今日、「六甲」短歌会の会員さんのお一人が「喫茶・輪」にご来店くださいました。
「いつも随想を読ませていただいてます」と言って。
これは初めてのことで、うれしかったですね。
いろいろとお話させていただきました。
そのSさんの短歌、3月号から一首ご紹介しましょう。

「入院し予定すべてをあきらめてぽっかり白い時間を漂う」

これはわたしも昨年体験しましたのでよく解ります。
入院の歌、八首並んでます。
そうか、この人も最近入院体験をされたのだ。
ちなみにSさん、拙著『触媒のうた』も購入してくださっていました。
ありがとうございます。
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「ロータス」第16号

2019-03-04 08:31:46 | 文学
徳島の詩人、梅村光明さんからお贈り頂きました。

徳島県連句協会会報です。
わたしは初めてお目にかかるもの。
連句は日本的にも活躍しておられる鈴木漠さんに誘われて2,3度参加したことがありますが、わたしには少々ハードルが高い。
でも、この会報には各人の散文が載っていて、それは楽しめます。

鈴木漠さんは「蕪村と若冲」と題して書いておられるが、博識です。
中で、蕪村という号について書いておられる。前にもこの論はどこかに書いておられて読ませていただいたことがあり、漠さんの発見なのでしょう。
《号の「蕪村」は、傾倒した五世紀東晉の詩人陶淵明の『帰去来の辞』に謂う「帰りなんいざ、田園将に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。」の「蕪」、すなわち「蕪(あ)れた村」に因ると思われます。明治期、人々から忘れられかけていた蕪村を再発見し、世間に称揚したのは正岡子規ですが、漢籍に詳しかった筈の子規が不審なことに、蕪村と陶淵明の関係に全く気がつかず、随想「俳人蕪村」の中で「蕪村とは天王寺蕪(かぶら)の村といふ事ならん、和臭を帯びたる号なれども、字面はさすがに雅致ありて漢語としてみられぬにはあらず。」などと、およそピント外れの意見を述べています。》
この後も例を挙げながら理由づけをしておられます。

梅村光明さんは「俳諧奇談・連句雑談」と題して、楽しい話。
『醒酔笑』という本からの逸話を例にして。
梅村さんも博識です。
《宗祇東国修行の旅の途上に、二間四面の綺麗なお堂があり、立ち寄って腰を掛けて休んでいると、堂守が「客僧は上方の人でしょうか」「いかにも」「それならば私が発句を詠むので、付けてごらんなさい」と詠んだのが、
  新しく作りたてたる地蔵堂かな
という句。それに
  物までもきらめきにけり
と、宗祇が付けたところ堂守が「これは短いのう」と言うのに、宗祇は「あなたの発句にある哉を足してごらんなさい」と言い返したという話。》

レベルの高いユーモアですねえ。この後も薄田泣菫の『茶話』などを引きながら楽しい話を書いておられます。

わたしはまだ全部を読んでいませんが、楽しませていただきます。梅村さん、ありがとうございます。  

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椎名麟三の旧居

2019-02-19 08:26:31 | 文学
今朝の神戸新聞「正平調」です。
神戸新聞さん、記事拝借お許しくださいね。
←クリック。

姫路出身の作家、椎名麟三の旧居のことが書いてある。
椎名麟三の顕彰については、現在尼崎にお住いの田靡新さんが関わってこられている。
椎名と直接に深い交流のあった人だ。
昨秋には「喫茶・輪」にお越し下さり、親しくお話を伺ったのだった。
そのこと『書写恋しや夢前夢後』と題して、拙ブログに書いた。
「正平調」によると、旧居が荒れ放題になっているとのこと。
田靡さん、悲しいだろうな。
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「歳旦三つ物」

2019-01-01 18:03:32 | 文学
いただいた年賀状の中に「ん?」と思うのが何枚かあります。
そのうちの一枚。

「歳旦三つ物」とあります。
わたしは知らない言葉でしたが、俳句をやる人にとっては馴染みの言葉だそうで、
調べてみると、元旦に詠むミニ連句のようなものとのこと。
いい勉強になりました。
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「六甲」2018年12月号

2018-12-04 14:07:56 | 文学
短歌誌「六甲」12月号が届きました。



巻頭のページです。←クリック。
牧野秀子さん、田岡弘子さん、志方弘子さん。志方さんのは次のページにあと4首あります。

それぞれからわたしが印象的だった1首。

牧野さん 「人生、上出来でした」いつの日かわれも言ひたし希林さん逝く
     希林さんの人生、憧れですが、なかなかこうは行きませんよね。   

田岡さん 短歌人口百万、安直な文学、と新聞に読む さうなのですか
     田岡さんの怒りがふつふつと…。

志方さん 足許の弱くなりたり転んだよ大声あげて家人に告げる
     自虐的ユーモア。よく解ります。

他のページの気になった歌。

石原智秋さん キキキーンガリガリキーンジュジュージュ体こちこち虫歯の治療

石飛敏郎さん 新聞の「読者の声」欄、高齢の日和見主義な幼稚な意見
       新聞の「発言欄」はリタイアのサンチョ・パンサの怪気炎多し
       新聞の読者発言欄、本日は意表つかれた一文のあり


佐竹京子さん 誰だって青春ドラマの主人公その後の長い続編もあり

じっくり読めば他にもいっぱい心に残る作品があるのでしょうが。
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「現代川柳」第64号

2018-11-24 15:52:30 | 文学
神戸の川柳作家、中野友廣さんから「現代川柳」第64号をお贈りいただいた。



中野さんには「輪」へもお越しいただいたことがあります。
「現代川柳」の編集部のスタッフの皆様と。

さて「現代川柳」ですが、重厚な本です。
84ページあります。
それが充実してます。
これだけのものを隔月で出すにはかなりのエネルギーが要ります。
スタッフの皆さんの能力がよほど高いのでしょう。
中身は川柳の羅列だけではありません。
自選作品、選評、初心講座など勉強になることがいっぱい。
そして、エッセイ欄が充実してるのです。
これは、みなさんのかつての師、時実新子さんの影響でしょう。
新子さんはもちろん、現代川柳の旗手と言われた人。しかしまた、エッセイの名手でもあった人です。
わたしは十分楽しませて頂きました。

後になりましたが、巻頭文「川柳の目」を中野さんが書いておられます。
その一部。
《本誌には、文芸としての現代川柳を愛し、作っていこうという人たちが集まっている。過去の文芸川柳、そして時実新子の川柳を大切に読み継ぎつつ、自身の川柳を研いていこうという人たちと共に本誌は歩んできた。(略)川柳は人物そのものを描く。額に浮かぶ一滴の汗や涙のにじむ瞳、戸惑いを隠せない手の動きまでクローズアップして、人間そのものを描くのだ…》

そして巻末の「事務局雑記」の中で、渉外担当の門前喜康氏がこんなことを書いておられる。
《サラリーマン川柳ほか、一般的に知られる”川柳”から生まれる誤解を解くような、文芸の薫るユーモア句の作句に頭を悩ませました。》
このことは大切なことで、生前の時実新子さんが口を酸っぱくするように言っておられたこと。
<川柳をバカにするような風潮を生むのは、新聞やその他媒体が、ふざけた笑いを川柳と勘違いして流布させている。>
だから川柳は俳句や短歌などほかの短詩形文学の一段下に見られてしまうと。
新聞などでも、ちゃんとした選者ではなく、手っ取り早い自社の記者などの素人を選者にしたりして、文学としての”川柳”を貶めていると。
彼女はそれを糺そうとして必死だったと思う。
そして彼女が頑張ったお陰で、川柳の文学的価値が上がったのだった。
ところが、彼女が亡くなって10年が過ぎ、また以前のように川柳をちょっとした娯楽だけの文芸と錯覚する人々が増えてきている気がする。
あの世で彼女はさぞ悔しい想いをしているだろう。
と、そんな風潮を打破すべく、中野さんたち「現代川柳」の人たちは頑張っておられる。
それがこの本、「現代川柳」を読むとよくわかる。
中野さん、頑張って下さい。
そしてありがとうございました。

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椎名麟三の縁

2018-11-04 09:10:08 | 文学
昨日、kohを連れて「街の草」さんに行った話を書いた。
それに関連しての話。

今朝、一冊の冊子が店の窓の所に置かれてあるのに気づいた。



メモがあって、「閉店?残念」との言葉が。
休みの日にも「閉店しました」の紙を窓の所に置いている。
だから午前中で閉店したと思われたのだ。それとも廃業したと思われたか?
来店くださったのは、作家の田靡新さんだった。
わたしも残念である。
田靡さんは以前「夕暮れ忌」で姿を見ることはあっても話を交わしたことはなかった。

冊子を先ほど読み始めたのだが、驚く偶然が次々と。
寄稿している人の中に、わたしも親しくさせて頂いている飯塚修三さんがあったり。
それよりなにより、田靡さんのご住所は尼崎です。
尼崎からやってきてくださったのだ。
そしてその時間、わたしとkohは尼崎の「街の草」さんに行っていたのだった。
さらに偶然は、冊子の中の田靡さんの文章に「街の草」さんの話が出てきて”二度ビックリ”ならぬ”三度ビックリ”だった。
まだ、あと読んで行ったらもっと何か出てくるかもしれない。
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詩集刊行

2018-10-04 09:04:36 | 文学
新しい詩集を刊行しました。
『恒子よ』です。
ここ半年間に作ったものをザッと並べました。
といってもわずか14篇。
今のところ限定1部。門外不出です。
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「現代川柳」

2018-09-24 14:40:10 | 文学
「現代川柳」63号(2018年9月)をお贈りいただいた。
事務局で企画・事業・校正担当をしておられる中野友廣さんから。

時実新子さんがお亡くなりになったあと、お弟子さんたちがその遺志を継いだかたちでの川柳誌。
隔月でもう63号だから、新子さんがお亡くなりになって間もなくから発行されている。
100ページ近い立派な本です。
読ませていただくと、新子さんの匂いがあふれている。
新子さん亡くなって10年にもなるのに、みなさん熱心なことです。
お贈りくださった中野友廣さんが今号に発表しておられる5句を紹介しましょう。

  相談にのってほしいと神が呼ぶ
  二人で降りて一人旅立つ無人駅
  乗り換え駅で聴いたよ亡父のハーモニカ
  父を探して泣いて歩いたことがある
  忘却の中へは消えぬ八月忌

現代川柳は、ちょっと難かしいですね。
でも、言葉をそぎ落として余韻をふくらまし、読む者に想像を許す作品となっていますね。
それぞれの句に作者自身の個人的想いはあるのでしょうが、受け取り方は読者に任せると。
作者と読者と二人で作り上げるといってもいいような。
中野さんの今回の句にはそんなことを考えさせられました。
ただ、新子さんの句は、作者の血が滴るような作品も多かったような気がします。
それでも発表されてしまえばもう、その解釈は読者の自由ではあるのでしょうけれども。

本号の中で印象深かったのは次の句。
同人の小林康浩さんが「群舞を読む」で評論しておられる、谷本錦泉さんの、
「この国の総理大臣さんなのね」です。

小林さんはこう評しておられる。
《この時事吟はすごい。「 」のせりふのみで一句を成す。今年、原爆忌の平和祈念式典において総理大臣は、被爆国の代表者としてとても不甲斐ない、無感情且つ無味乾燥な式辞を朗読した。それを聞いた多くの国民、そして外国人までが、この、錦泉さんの句の言葉を漏らしたに違いない。そしてこの句は、女性の言葉である。多くの、特に女性を失望させた現実を、総理大臣さんには真面目に考えていただきたい。久々に胸のすく時事吟に出会った。》
わたしも小林さんに同感です。

この本、一冊で大分楽しませてもらえます。



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「半どん」170号

2018-07-28 15:01:20 | 文学
兵庫県芸術文化団体「半どんの会」から、文化雑誌『半どん』170号が届いた。



奥付にある発行日は6月30日となっているから、何かの事情で遅れたのだろう。
先の大雨災害が関係あるのかもしれない。

この号に、俳人の増田まさみさんが拙著『触媒のうた』を取り上げて下さっている。
ありがたいことです。
実に心のこもった評だが、内容はユニーク、というか個性的です。
どちらかといえば、一方面から光を当てての論評。
あれもこれもではなく、焦点を絞っての評なので、読む方はインパクトを受けるだろう。
さすがに俳句をやる人の視点だと感心しました。

←二段階クリックで。



この雑誌には兵庫県の色んなジャンルの芸術家が作品を発表していて、
わたしの知る人も多いのだが、現代詩を一篇紹介しましょう。
渡辺信雄さんの「摩耶」です。

←二段階クリックで。

わたしは勝手にこの詩を、二人の詩人への追悼詩だと思っている。
”傾斜の急な坂道を 駆け降りてきた”のは、T・Tさんではないだろうか?
また”白髪の老人”はI・Sさんではないだろうか?
最期の(西日が眩しすぎるじゃないか)が印象的です。
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「六甲」7月号

2018-07-03 16:20:27 | 文学
短歌誌『六甲』7月号が届いた。



巻頭のページ。
←クリック。 

石原智秋さんの作品が面白い。
わたしのような門外漢にもよく解る。

そしてベテランのお二人。

牧野秀子さんと田岡弘子さんです。
牧野さんの、「公園のベンチに数ある傷跡は座りし人らの記憶のような」が印象的です。
そして田岡さんの「為すことのありつつ何も成せざりし一日短し一生短し」が身につまされます。

今号の「湯気の向こうから」は「こころ屈したときは」と題して書かせていただきました。





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稲垣足穂のこと

2018-05-30 14:33:14 | 文学
もう三日も前の新聞記事です。
←二段階クリックで。
日曜日の神戸新聞「本」欄。
日曜日は朝早くからバスツアーに出かけたので新聞をちゃんと読めていませんでした。
この記事、稲垣足穂のことをフランス文学者で作家の鈴木創士さんが書いておられる。
「足穂の天文学への憧憬」と題して。
で、わたし「オッ」と思ったのでした。
というのも、半年ほど前の拙ブログに、それに関連する記事をアップしたのでした。
「『星の學者』稲垣足穂」と題して。
そして、『KOBECCO』3月号にも「星の學者」と題してエッセイを書かせていただいています。
『星の學者』は、足穂の詩作品とは趣が大いに違い、いたってまともな本でした。
詩作品には大きな飛躍がありますけどね。
この本は天文学のことが正統的に書いてあります。
で、新聞記事だが、『星の學者』のことには触れておられない。
当然ご存知なのだろうけど、ちょっと気になります。
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「瓦版 なまず」

2018-05-19 15:48:54 | 文学
古いファイルを触っていたら、こんなのが出てきました。
「瓦版 なまず」(2006年10月7日・通巻20号)。
季村敏夫さんが発行する冊子だが、これは宮崎翁から送られたもの。だからわたしはその時、宮崎翁の記事だけを読んだのだと思う。
この度、寄稿者名を見て、「ああ、そうだったのか」と今更に思った。
杉山平一、林哲夫、安水稔和、そしてその当時は存じ上げなかった、扉野良人さんの名が。
ということで読ませていただきました。
杉山先生の探偵小説に関する話、興味深いものがありました。
林さんについても、そのころはお名前だけを知る程度の人でしたが、「久保田さんの笑顔」は感動的でした。
そして、扉野さんの「街の律動を捉えて 編集グループ(SURE)のこと」というのもしみじみと良かった。
わたしの古いファイルには思わぬものが入っているので油断がならない。
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