喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「六甲」2019年12月号

2019-12-09 08:05:16 | 文学
短歌誌「六甲」12月号。


巻頭のページです。
←二段階クリック
石原智秋さんの歌。
上手いですねえ。
  「遺影見つつ思い出しおり電話口で「そやろ」と言われ頷いたこと」
なんともいえない、言葉では説明できない気配が漂っています。

そしてこれ。
  「自販機のボタンを押せばピッピッピッ牛どん大盛り出てきたりして」
ユーモアたっぷり。

←クリック
田岡弘子さんの歌。
  「携帯に番号そのまま残しおく彼の世へ電話できる日くるかも」
心に沁みますね。
  「暑い言うてた口が寒いと言ひ始め吹っ飛びし秋を呼び戻したき」
これはユーモア。

牧野秀子さん。この人は写生の歌が素晴らしいです。と、短歌の門外漢が偉そうにいうべきではありませんが、素人の感想として。
  「こぼれたる円ら実辿れば庭隅の紫式部ほろりほろほろ」
そしてこれは秀逸。
  「行き先が決まらないのか空中に一瞬静止すこの赤とんぼ」
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俳句「満月や…」

2019-11-13 14:02:29 | 文学
詩人の時里二郎さんがFBに紹介されていた俳句にびっくり。

満月や 大人になっても ついてくる

詩人辻征夫の句だという。
わたしがびっくりしたわけは、口頭詩集『ライオンの顔』にこんなのがあるからです。

巻頭の詩です。

3歳の時の言葉。

  お月さん 電気ついてるわ。
  お月さんね 車動いたら お月さんもね
  ついてくるよ。
  車止まったらね お月さんも止まる。



わたしはこの言葉に驚いて口頭詩の記録を始めたのでした。
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阿部知二と有本芳水

2019-10-23 15:23:35 | 文学
昨日は孫のkohと姫路で一日を過ごした。

まず姫路文学館へ行き、そこで5年前に取材でお世話になった学芸員の甲斐史子さんにお会いしてご挨拶。
あの時は「KOBECCO」連載のための取材。
そして発表したものをお読みになった甲斐さんは、阿部知二研究会が出している機関誌「阿部知二研究・城からの手紙」に一文載せられた。
「学芸員の窓」というページに「神戸新聞記者宮崎修二朗との交流」と題して。

そんな縁があり、一昨年出した拙著『触媒のうた』を呈上するために面会したのだった。
丁寧に対応してくださってうれしかった。

文学館を観終わって、次の美術館へは徒歩で。
途中、阿部知二の文学碑がある。

5年前にもこの写真を撮り、それは『触媒のうた』にも掲載した。
そばの川にアオサギがいました。まるで置物のようにジッとして。

そして、つい先日、姫路の孫shuntaの運動会で来たところ、シロトピア公園のそばにある、有本芳水と三木露風合作の詩の詩碑。


さらに歩いて美術館にたどり着いたのでした。
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「ホースの中を曲がる水」

2019-09-23 08:18:25 | 文学
読者文芸欄をいつも楽しみにしています。
詩の欄は全部読みます。そして俳句短歌川柳の欄は、それぞれの特選作に注目します。
今日は川柳のこの一句に驚きました。
←クリック。

「夏雲とホースの中を曲がる水」(中塚健太さん作)。お題は「曲がる」です。
見事ですね。他の入選作と比べても、キラリと光っているのが解ります。抜けてますねえ。
評を読むともう一度びっくり。
この作者のもう一句にも感心させられました。
「ブーメラン投げて刈り取る空の青」。そのセンス、お見事ですね。
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伊丹三樹彦さんが

2019-09-22 08:24:10 | 文学
今朝の神戸新聞に伊丹三樹彦氏の逝去記事が。
←クリック。
99歳とあります。
この人とは少し接触がありました。
もう何年前になるでしょうか、芦屋の詩人、三浦照子さんの何かのお祝いの席でテーブルを同じくしました。
その時は奥様の公子さんもご一緒で。
で、伊丹さんの写俳の本とわたしの『コーヒーカップの耳』とをトレードしたのでした。
同時に今は亡き奥様の公子さんの詩集も頂きました。
お手紙などもどこかにあるはずですが、すぐには出て来ません。
ご冥福をお祈りいたします。
コメント (2)
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「姫路文学」133

2019-08-30 18:26:02 | 文学
尼崎の作家、田靡新さんからお贈りいただきました。


「姫路文学」133号です。たっぷりと260ページあります。

田靡さんの作品は、やはり椎名麟三関連のもので、「米のお話」。
読ませていただいたが、ご自分の若き日を重ねて椎名文学へ続く話。
添えられた手紙に「7月に家内が昇天、急なことでハラハラオロオロ」とありました。
大変だったんですね。だからでしょうか、文章が少し荒れているように感じました。
推敲が不足しているように思うのです。誤植かと思えるところが何か所も。
ちゃんと整理点検する余裕がなかったのでしょうね。
それでもやはり、長年の氏のライフワークということで、枯れた味の文章、興味深く読ませていただきました。
それと、もう一遍「ローソクの炎はゆれて」という作品が”くれたかつお”という名前で出ていますが、これもどうやら、田靡さんの作品のようです。
やはり「米のお話」と同じように推敲が十分ではないように感じました。


「米のお話」の中に、わたしが注目する言葉がありました。
「お米は自転車に乗ると行儀が悪く、この箱の中なら安心じゃ」というもの。
これは昔、わたしが若いころ、まだ車がないころ、父の米屋の仕事を手伝って、お米を自転車で配達するときに感じたことそのままです。
久し振りに、その感触を思い出しました。
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「麦藁帽子」

2019-08-14 08:44:47 | 文学
kohが「ジーチの青春の一冊は?」というので、それならこんなのが、と
「ただ麦藁帽子のかすかに焦げる匂いがするきりで」という一行の話をしてやりました。
すると「あ、それにしよう」と。
学校からの課題で、身近な大人が推薦する青春の一冊を取り上げて感想を書き、それに推薦者がコメントをするというもの。
なかなか面白い宿題だ。
丁度年頃もkohにピッタリ。
早速ブックオフへ行くと、kohは通路に入っていったかと思うと「あった」と言って出てきた。


その小説はこう始まる。
《私は十五だった。そしてお前は十三だった。》

もう60年も昔、中学生のわたしがそのころ読んでいたのは主に江戸川乱歩、コナン・ドイルなどだった。
そんな中で、毎月取っていた学習雑誌に載っていた堀辰雄の「麦藁帽子」を読んで衝撃をうけたのだった。
「これが大人の文学なのか!」と。
そして先の一行「ただ麦藁帽子の、かすかに焦げる匂いがするばかりで」が頭に刻み込まれたのだった。



この度、60年ぶりに全編読むことになって、内容はすっかり忘れていることに愕然とした。
しかし、青春の入り口の精神状態の細やかな描写など、雰囲気はそのまま蘇ってきて、いい時間を持つことができた。
但し、kohが印象的に思った一行と、わたしの「ただ麦藁帽子の」とは違ったようで、それはまた当然でもあります。
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「国木田家のこと」

2019-08-08 09:24:27 | 文学
中尾務氏からお送りいただいた「大和通信」112号に、中尾氏が書かれている、
「国木田家のこと――富士正晴調査余滴」を読んでいて、アッと思った箇所が。
←クリック
《ドッポ・クニキダの姪であるマダム。》と書かれている。
この人のこと、以前、宮崎翁からちょっとしたエピソードを交えてお聞きしたことがある。阪急六甲の喫茶店ともお聞きしていたので間違いない。
で、翁への取材ノートを調べてみたが、残念ながらわたし記録していない。
しかし録音は残しているはず。ただ、ノートしていないと、膨大な録音時間の中から探し出すのは大変だ。
日にちが分からなければ、ほぼ不可能である。
また機会があったら翁にお尋ねしてみよう。
まだ覚えておられるだろうか?
取りあえず、このコピーを郵送しておこう。
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「大和通信」112号

2019-08-04 09:54:06 | 文学
富士正晴記念館の元スタッフ、中尾務さんからお贈りいただきました。

「大和通信」112号です。
わたし、最近、東方面の方々とのお付き合いが増えました。
以前は自分が所属する同人誌が西方面ばかりだったので、お付き合いも西方面の人が中心になっていました。
一昨年『触媒のうた』を出版して以来、このように東方面の人たちとの交流が増えたように思います。
ありがたいことです。
さて「大和通信」112号ですが、巻頭の「明珍の風鈴」(鈴木地蔵)は出版業界のことが書かれているのですが、随想と呼べるものでしょうか。
文末の数行が読む者の胸の中にシンとした思いを残します。
《そろそろ明珍の火箸の風鈴をつるす時期である。一年前に神戸で急死した従弟からもらったものだ。この鉄の音は、なぜか親しかった故人を偲ぶよすがとなる。今年は松本さんも、そして従弟もその一人となった。》

そして文中にこんなことが、《換金の保証がない(売れるか否か分からぬ商品をつくること)のに、なぜ松本さんは出版活動をつづけられたのだろうか。》
今のわたしの胸に響きます。

表裏2ページだけですが、中尾さんによる「国木田家のこと――富士正晴調査余滴」など、4段組で、びっしりと読み応えのあるものです。
中尾さん、ありがとうございます。
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あなたを祝ふ言葉を添へて

2019-07-10 20:26:06 | 文学
ちょっと遅くなりましたが、短歌誌「六甲」7月号です。



その巻頭のページ。
←クリック
牧野秀子さんと田岡弘子さんの歌が並んでいます。
お二人は作風が少々違います。
なのでそれぞれを楽しめます。
今号の私のおすすめ一首。

  グラスさあ掲げませうか向かひ合ふあなたを祝ふことばを添へて(田岡弘子作)

随想「湯気の向こうから」は今回「推敲ミス」と題して書かせていただきましたが、ここには上げないでおきます。
興味のある方は「喫茶・輪」でお読みください。
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『小島輝正著作集』

2019-06-25 17:34:28 | 文学
中尾さんにお贈りいただいた『小島輝正著作集』の第五巻「エッセイ集2」を読み終えた。
五巻あるうちの最も読みやすいものからと思ってのこと。
文章はたしかに軽妙で読みやすい。
しかしわたしにはなぜか少し硬く感じた。いや、難しいというわけではない。
総体に易しい言葉で書かれているのだが、中に、さすがは仏文学者と思うような日常的には使わない言葉が散りばめられている。
それが、キラッキラッと行間で光っているのである。
読み終えて、もっと高貴な文章が書かれているのかと思ったが、そうではなく、ごく庶民的な内容である。
なのに、行間に光る石が散りばめられているといった感じ。
大いに楽しめました。

そして次に読み始めたのが、第四巻、「エッセイ集1」。

こちらの方はパラパラとめくってみるに、エッセイとはいいながら論文調のような。
そしてわたしは、最初の「記録文学」に大いに興味を持ちました。
ルポルタージュとドキュメンタリーに分けての論評だが、さて、拙著『触媒のうた』はどうなんだろう?と。
ルポルタージュでないのは確かだが(いや、多少はあるか?)、ドキュメンタリーだとして、さてどんな分野に入るのだろうか?と。
明確な答は出ないかもしれないが、何かあぶりだされてくるかもしれない。
『触媒のうた』はジャンル分けが難しいと思うし、そう言われもしているので。
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男の嫉妬

2019-06-24 07:48:14 | 文学
神戸新聞の新聞小説「白鯨」(夢枕獏)を読んでいる。
今朝は89回目。
こんなことが書いてある。

《男の嫉妬や。えいか、小僧、よう覚えちょきや。男の嫉妬いうがは、女の嫉妬より倍は始末の悪いもんじゃゆうことをな。まあ、今はわからんでも、いずれはわかる。嫉妬はな、しゃあない。誰でも、自分よりえい仕事をする者に嫉妬するもんや。けどな、その嫉妬は男は肚にためて発条にせにゃいかんもんせ。》

フムフムと思う。
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田辺聖子追悼展

2019-06-18 16:53:45 | 文学
山田先生の写真展を見たその足で、同じ「ことば蔵」の二階で行われている「田辺聖子追悼展」に。












亡くなられてまだ間もないので、十分な準備はできなかったのでしょうね。
こじんまりした展示でした。
丁度、テレビクルーが取材に来てました。
夕方のニュースにでも流れるのでしょうか。
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書くためには

2019-06-11 18:26:16 | 文学
中尾さんに頂いた冊子。


ほぼ富士正晴が書いているのだが、今日読んでいて目に留まったのは小島輝正によるもの。
《どんなことでも、書くために、人は必ず何かを犠牲にしなければならない。犠牲なしに文学はつづることができない。あるいは職業を、あるいは収入を、あるいは家庭を、あるいは安逸を。何ものをも万べんなく手もとにそろえて待っていれば文学はひとりでに出てくるというものではない。》
この言葉が含まれた一連の文章に対して、富士正晴はこう言う。
《この小島輝正のキャップス・コーナーにわたしは実に感動いたします。この分析は正確であり、すべてを物語っております。》
そしてそのあとの方に、久坂葉子の自殺のことを書き、VIKINGの同人のうちの語学者たちが集団脱退し、小島も「くろおぺす」に移ると。
1952年の話である。
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富士正晴記念館のN氏ご来店

2019-06-06 15:23:49 | 文学
今朝、香櫨園浜まで自転車で行って、汗をかきながら帰ってきて、ホッとしているところへ、珍しいお客様。
珍しいどころか、初めてお会いします。
とは言っても書簡での交流は昨年からさせて頂いているので初対面とは思えない。
先月まで「富士正晴記念館」にお勤めだったN尾さん。
当然文学のことにはお詳しく、わたしなんぞが太刀打ちできるお相手ではない。
興味深いお話をたくさん聞かせていただいたが、N尾さんは、わたしの話なんぞつまらなかったのではないだろうか?
暑い中、遠いところを来ていただいて、申し訳ないことだった。
ちょっと気になること。
こんな冊子を置いて行ってくださったのだが、もらってしまっていいのだろうか?

貴重なものだったらお返ししなければいけません。
取りあえず楽しませていただきますが。
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