喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「触媒のうた」

2013-02-19 19:17:15 | 宮崎修二朗翁

『KOBECCO』4月号の「触媒のうた」の草稿を昨日、宮崎翁にFAX送。
その日のうちに、少々校正があって返送されてきた。
そして、今朝、再校をFAX送しようとしたら、受信されない。
で、電話したら、「故障かな?」と。
午後、「治りました」と電話あり。
もう一度送信しました。
そして、ちょっとだけ再校正があって、OK.

しかし、この「触媒のうた」は、本当は貴重な話なのですがねえ。
もっともっとたくさんの人に読んでもらいたいし、記録として残して頂きたいものなんですがねえ。
どうも『KOBECCO』の読者だけが読むには惜しい気がします。
わたしの文章に値打ちがあるわけではなく、宮崎修二朗翁のお話しになっている内容が貴重なのです。
わたしがもしも有名人なら、きっと世の中に広く伝わるものなのでしょうが、残念。この後も、そのようなことにはなりません。
けど、こうして残しておけば、いつか、誰か、具眼の士が読まれることがあるだろう。そう思って書き続けるしかないか。頑張ろう。そしていつか宝くじが当たったら本にしよう。
けど、十年早く始めたかったなあ。今、宮崎翁は91歳、わたしも今年の夏には70歳になってしまう。わたしは遅筆だし、時間が無い。

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アンカーボルトが!

2013-02-19 09:25:32 | 懐かしい話

古い写真をスキャンして拡大してみると思わぬ発見がある。
これは、わたしが3・4歳のころだと思う。着ているオーバーだが、薄茶色の着ごこちの悪いものだったと覚えている。言わばドンゴロスのような。

Img176
場所は今の「喫茶・輪」のある所。
父が耕していた畑だ。後ろには鶏舎がある。これも父の手になる小屋だ。この写真を拡大して見て思い出した。ニワトリを2・3羽飼っていたのを。
畑には大根。
この畑から、あの恵比寿大黒像が出て来たのだった。

Cimg6028
実は焼け跡なのである。
わたしが写っている後ろに、家の基礎跡がある。拡大するとアンカーボルトが見える。この場所に戦前に住んでおられたのは、田淵さんと、もう一家ということだった。

 

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