昨日から神戸新聞で始まった連載「兄弟のダモイ」
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約5万5千人の日本人が死んだ、旧ソビエトによるシベリア抑留の話である。
実は、わたしの父親も抑留された。
父はモンゴルだったが同じである。
わたしが子ども時代、自分の体験をよく話してくれた。
というより、人に話しているのを横で聞いた。
わたしに直接話したわけではない。
今のわたしなら、こちらからもっともっと詳しく尋ねたことと思うが、残念ながら父は昭和36年に47歳で死んだ。
わたしが覚えている歌がある。
蒙古北風吹きすさぶ
零下50のその中で
宿舎に帰れば板の間に
傷む身体も休まれず
たしか3番まであったが今は1番しか覚えていない。
抑留仲間の誰かが作ったのだと言っていた。
曲もはっきり覚えている。メロディーラインは、昔流行った「お座敷小唄」だったが、もっとスローで哀調を帯びた曲だった。
二度とそんな時代が来ないことを祈ります。
全ての国が「憲法9条」を持つのが理想ですが。
どんなに辛い生活だったか 私には想像も出来ませんが
父の兄も弟も抑留生活を経験しています。
兄はシベリア 弟はラバウル
仕方がないとは言えむごい話です。
ちなみに父は兵役検査の時には身長が足りなくて丙種合格。
地元警防団でお国のために働いたと話していました。