ちょっとした原稿を書くために引っ張り出してきた冊子。
「海鳴り」3号(1987年7月1日発行)だが、これにわたしの好きな京都の詩人、
天野忠さんの「鋏」という詩が載っている。
←クリック。
もう31年も前の冊子だから覚えていないのかもしれないが、これ、天野さんの詩集に入っているのだろうか?
天野さんの詩集は大概持っているのだが、ちょっと記憶にないなあ。
天野さんらしい、やんわりした言葉から、切れ味鋭い雰囲気が漂う。
ところで、この3号「海鳴り」だが、涸沢さんが巻末に書いておられる。
《本誌「海鳴り」は、八年振りの発行です。》と。
そうなのか。すると2号は1979年だったということになる。
うちに1号2号がないのは当然だという気がする。
〇 ついでに他のページを見ていたら、藤田富美恵という人が「父のトンビ(父・秋田実のこと)」という文章を書いておられた。
秋田実なら、宮崎修二朗翁が昔かわいがってもらったとおっしゃっていた人。
そのこと、拙著『触媒のうた』の96,97ページに書いている。
京都の秋田さんの家まで原稿をもらいに行ったと。
読んでみる。
するとその頃の京都の秋田さんの家の様子が詳しく書かれている。
興味津々で読んだことだった。
「海鳴り」3号(1987年7月1日発行)だが、これにわたしの好きな京都の詩人、
天野忠さんの「鋏」という詩が載っている。
←クリック。
もう31年も前の冊子だから覚えていないのかもしれないが、これ、天野さんの詩集に入っているのだろうか?
天野さんの詩集は大概持っているのだが、ちょっと記憶にないなあ。
天野さんらしい、やんわりした言葉から、切れ味鋭い雰囲気が漂う。
ところで、この3号「海鳴り」だが、涸沢さんが巻末に書いておられる。
《本誌「海鳴り」は、八年振りの発行です。》と。
そうなのか。すると2号は1979年だったということになる。
うちに1号2号がないのは当然だという気がする。
〇 ついでに他のページを見ていたら、藤田富美恵という人が「父のトンビ(父・秋田実のこと)」という文章を書いておられた。
秋田実なら、宮崎修二朗翁が昔かわいがってもらったとおっしゃっていた人。
そのこと、拙著『触媒のうた』の96,97ページに書いている。
京都の秋田さんの家まで原稿をもらいに行ったと。
読んでみる。
するとその頃の京都の秋田さんの家の様子が詳しく書かれている。
興味津々で読んだことだった。