滋賀の瀬戸口美代子さんから『くらしプリズム』(編集工房ノア)をお贈り頂いた。
表紙絵は森哲弥さんのフロッタージュによる。
丁寧な跋文を森哲弥さんが書いておられて、論は尽きているように思うが、私見をちょっとだけ。
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特別なことが起こるわけではない。日々の人間の生活の様子が、淡々と正確に叙されてゆく。
一作ずつキチッ、キチッと書かれている。安心して読める。いわゆる現代詩にありがちな独りよがりの難しい比喩は使われていない。読んでいて心地よいのである。これは何でもないようでなかなか難しい。巧まざるこの滋味ある言葉の運びは長年の修練があってこその文章術であろう。
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「ニホンミツバチと金稜辺」の終4行
悪戯をしない限り人を刺さない鷹揚さと/見かけは地味ながら奥深いところで/さりげなく人をひきつける底ぢからを/大群のニホンミツバチにみせつけられている
「羽黒とんぼ」の後半
前にしか進まないから/勝ち虫とも呼ばれる縁起ものというのがいい//深く病んだ人々の再起を願うごとく/ときにはこうして/なにげなくやってきて/ひと知れず祈っているのかもしれない
「破れ鍋に綴じ蓋」の
結婚して四十八年/音量の高いテレビの大きな画像が/茶の間の空気を膨らませている
「わたしの値段」の
今回もまた家族に金運はなし/七時間の時差ぼけのまどろみのなかで/何ごとも無くわたしは日常に引き戻された
などのように、詩の終盤に読む者を惹きつけるものがある。前半を割愛したので分かりにくいかも知れないが、面白いのである。大げさではなくサラリと軽いユーモアが。これを跋文で森氏は「終連の名工」と表現しておられる。わたしも同感だ。
巻末の一篇を
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仮の宿
肺炎で四十六日間の入院の末に
九十六歳の天寿を全うした母は
霊柩車に乗せられ仮の宿に向かった
久々の母との長い夜のドライブだった
車のライトが照らす通い慣れた道も
明日からもう振り向くことは無いだろう
仮の宿に着くと間もなく
やすらぎセンターの職員に促され
わたしは旅装束の着替えを不器用に手伝った
枕経に駆けつけた初孫の手で
棺に移された母は
子守唄を聞くように小さく眠っていた
その夜は母にとって
最初で最期のたった一人の宿泊だった
真っ暗な部屋の鍵を受け取ったが
こんなことならひとまず
家に連れてカエルべきではなかったかと
最期の親不孝を深く悔いた
思い返せばおとなになってから
母と泊りがけの旅をしたことが無かった
何度か温泉旅行に誘ったものの
わたしとゆっくり家でくつろいでいるのが
いちばん好きだときっぱり言い切る人だった
「女三界に家なし」
が口癖の母にとっては
所詮わたしの住まいも仮の宿であったのか
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これはしみじみと読まされました。