喫茶 輪

コーヒーカップの耳

山下春彦さんのこと

2019-11-04 08:58:07 | 
『一九三〇年代モダニズム詩集』(季村敏夫編)を読んでいたら、思わぬ名前に出会った。
「山下春彦」。
覚えがある。
昔わたしが所属していた同人誌「風媒花」に一時期加入しておられた津山市の人。
自ら「神戸詩人」の生き残りと言っておられたのだった。
但し、わたしはお会いしたことがない。
静かないい詩を書く人だったという印象だ。
今またバックナンバーを出してきて読んでみたが、やはりいい。
「風媒花」には1992年2月から1995年7月まで所属しておられる。
その1995年に初の詩集『誰もいない』を出しておられる。
わたしも恵送いただいたはずだが、今見つからない。
それから、『1930年代モダニズム詩集』からの情報だが、なんと『漱石全集を買った日』(山本善行・清水裕也)に山下さんのこの本のことが書かれていると。

『漱石全集を…』もわたしは先に読んでいたのだが、このことは読みぬけている。
注意力が足りませんねえ。
その山下さんが「風媒花」に短い随想を一度載せておられます。
《五十数年、中断していた詩が、ここ二、三年来、何となく甦り、近頃は詩を思うことが楽しくなりました。若い頃に較べると、今はずっと楽しんでいるようです。
人さまにどう思われようと、自分の感じたまま、そのままを言葉にする、それでよい。
大正ロマンの残照があれば、そこに自分の青春を置いたのだから、それはそれでよい、とも思うのです。
家業に埋もれていた五十年の間も、美しいものに対する少年のあこがれがまだ生きていて、今、甦ったことを詩神に感謝し、子供達や孫たち、そして一族の者たちに、私の過してきた生を、そして今の自分のあるがままの姿を残しておいてやりたい。ただ、それだけのことです。》

ここには、好々爺の姿しかありませんね。
わたしもこんな心境になりたいものです。
山下さんはこの随想を書かれた5年後の1997年にお亡くなりになっています。
この人も一度お会いしておきたい人だった。

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