昨日図書館に行った折、リサイクル書棚を覗いたら「山本夏彦」の本があったので戴いてきた。
この前、兵庫県現代詩協会の読書会で「おしゃべり」した時にちょっと出した名前だったので。
『笑わぬでもなし』(昭和51年・文芸春秋)というエッセイ集。
いくつかのエッセイを読んだが、歯切れのいい文章だ。
センテンスが短くスピード感満点。
そこで「あとがき」を見てみた。
こんなことが書いてある。
《二十年私は(文を)短くする稽古をして、めでたく短くなったのはいいが、次第に早口になった。短兵急にすぎて、まるで怒られているようだと言われるようになった。冗談にもせよ、人か鬼かとその語気を評されるようになった。いくらコラムでも,用だけ足りればいいというものではない。多少の紆余曲折がなければならないと教えられ、前非を悔いてその多少を加えたのが本書である。》
そうか、これでも長くなったのか。ただし、センテンスはやはり短いと思う。
さて、わたしの書くものはどうなんだろう?
『コーヒーカップの耳』
『触媒のうた』
この前、兵庫県現代詩協会の読書会で「おしゃべり」した時にちょっと出した名前だったので。
『笑わぬでもなし』(昭和51年・文芸春秋)というエッセイ集。
いくつかのエッセイを読んだが、歯切れのいい文章だ。
センテンスが短くスピード感満点。
そこで「あとがき」を見てみた。
こんなことが書いてある。
《二十年私は(文を)短くする稽古をして、めでたく短くなったのはいいが、次第に早口になった。短兵急にすぎて、まるで怒られているようだと言われるようになった。冗談にもせよ、人か鬼かとその語気を評されるようになった。いくらコラムでも,用だけ足りればいいというものではない。多少の紆余曲折がなければならないと教えられ、前非を悔いてその多少を加えたのが本書である。》
そうか、これでも長くなったのか。ただし、センテンスはやはり短いと思う。
さて、わたしの書くものはどうなんだろう?
『コーヒーカップの耳』
『触媒のうた』