昭和56年だから、今から41年前。
尊敬する足立巻一先生から与えられた宿題があった。
折に触れ気にしていたのだが、それが今日、突然解決した。
当時、詩の新聞投稿欄で、足立先生に特選にとってもらった詩の評に、先生はこう書かれていた。
《庄野潤三氏にこれと少し似た美しい短編小説のあるのを思い合わせた。》と。
その後わたしは、庄野潤三の作品に興味を持ちながらも集中して探すということはしなかった。
機会があって読む時には気にするという程度で。
で、今日読んでいたのは、先日図書館のリサイクル図書の棚から戴いてきたこの本。
これに載っていました。
41年ぶりに宿題を果たした気持ちです。
このこと、エッセイに書きます。
多分11月号の「KOBECCO」に。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
尊敬する足立巻一先生から与えられた宿題があった。
折に触れ気にしていたのだが、それが今日、突然解決した。
当時、詩の新聞投稿欄で、足立先生に特選にとってもらった詩の評に、先生はこう書かれていた。
《庄野潤三氏にこれと少し似た美しい短編小説のあるのを思い合わせた。》と。
その後わたしは、庄野潤三の作品に興味を持ちながらも集中して探すということはしなかった。
機会があって読む時には気にするという程度で。
で、今日読んでいたのは、先日図書館のリサイクル図書の棚から戴いてきたこの本。
これに載っていました。
41年ぶりに宿題を果たした気持ちです。
このこと、エッセイに書きます。
多分11月号の「KOBECCO」に。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。