高島俊男さんのブログ「お言葉ですが… 最新版」の
「国語という言葉 5」にちょっと驚き。
こう始まります。
≪「国語」は場合によっては険悪な、暴力的な語である。したがって「国語学」「国語学者」も場合によっては険悪である。≫
ちょっと物騒な物言い。
その文の締め。
≪東條操『方言と方言学』(増訂版昭和十九年春陽堂)の著者東條は、こういうテーマ内容の本を書くくらいだからもとより方言の貴重なこと尊重すべきことを説いた国語学者であるが、しかしこの本のなかでこう書いている。
〈翻つて、国民思想統一の立場から考へると国語統一の必要は勿論いふまでもなく急務であり、国語教育の目的が標準語教育による国語統一にあることは疑ふべからざる事実である。〉
いやでもこう書かねばならなかった。それが戦前の国語学の置かれた立場だったのである。≫
途中も読むと納得できます。ああそうだったのかと。
「国語という言葉 5」にちょっと驚き。
こう始まります。
≪「国語」は場合によっては険悪な、暴力的な語である。したがって「国語学」「国語学者」も場合によっては険悪である。≫
ちょっと物騒な物言い。
その文の締め。
≪東條操『方言と方言学』(増訂版昭和十九年春陽堂)の著者東條は、こういうテーマ内容の本を書くくらいだからもとより方言の貴重なこと尊重すべきことを説いた国語学者であるが、しかしこの本のなかでこう書いている。
〈翻つて、国民思想統一の立場から考へると国語統一の必要は勿論いふまでもなく急務であり、国語教育の目的が標準語教育による国語統一にあることは疑ふべからざる事実である。〉
いやでもこう書かねばならなかった。それが戦前の国語学の置かれた立場だったのである。≫
途中も読むと納得できます。ああそうだったのかと。