喫茶 輪

コーヒーカップの耳

M尾忠くん

2014-09-12 19:31:38 | 懐かしい話

M尾忠が死んだと。今日が葬式だったと。ショックである。
M尾は小学校の同級生である。ニックネームを「マルチュウ」と言った。
わたしは「イマキン」だった。単純なニックネームである。
誕生日はたしかわたしと一日違い。わたしが8月16日で、彼は17日だったと思う。
彼の家にも遊びに行ったことがある。
軒下の雨のかからない所に大きなサボテンがあったのを覚えている。
彼は運動神経が良くてドッジボールも上手かった。
勉強もそこそこできたと思う。少なくとも私より成績は良かったのでは?
そして、6年生の時だったと思うが、当時の担任の横手利勝先生に、わたしは「作文を毎日書いてこい」と言われ、彼は「習字を毎日書いてこい」と言われたのだった。
ということで彼は習字が上手かった。
その彼とは中学校は同じ浜脇だったと思うのだが、小学校卒業以来、親しく話したことはなかったと思う。中学を卒業してからは彼との接触はなかったと思う。
ところが、彼のお父さんは、元警察官で後に交通安全協会の職員になっておられた。当時、二号線にあった警察署の隣のそこに、うちの店が、ストーブに焚く石炭を納品していたことがあって、わたしも配達に行き、よくお会いしていた。まだうちの父親が生きていたころのことである。
懐かしい話だ。
後の話になるが、わたしの家内が、彼の奥様と知り合いになっていて、スーパーなどで会うとよく話していたらしい。
というのも奥様が兵庫県の県庁舎内で喫茶店を経営していたことがあったり、娘さんがうちの娘のkiyoと同級生だったりで。
それで最近、彼がガンで入院しているのを知ったのだった。
そしてさっき、買い物から帰ってきた家内が娘さんに出会って訃報を聞いてきたのだった。
小学校の卒業アルバムから。

Img742真ん中の写真、ボールを取り合ってるあちら側の顔が見えるのが、M尾。背中は畑中。どちらもドッジボールが上手かった。わたしは陰に隠れた位置で写っていない。
上の写真を拡大します。

Img742_2
上段左端がM尾忠。その隣がN井泉君。彼は中学は関学に行った。その隣がわたし。その隣は難波君。彼は今津中。下段左端が畑中。彼はわたしと同じ米屋の息子。次男坊だったが後に米屋になる。

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