今度、わたしに無実の罪が着せられることになっているのだが、
そのよってくる罪状は「詩人」としてのものということになっている。
これには少しわたしに違和感がある。
というのも最近わたしは詩をあまり書いてはいない。
以前参加していた詩の同人誌「火曜日」が終刊になったということもあるが、
このところ散文を書くことが多いのだ。
なので、「詩人」としての罪状には同意しかねるのだが、
これも浮世の義理として受け入れねばならないのだろう。
足立巻一先生は晩年、こんな詩を書いておられる。
「補聴器」
竹中郁の通夜の折
故人の机の上に白い小鉢があって
そのなかに金銅色の補聴器が一個。
だが――
(略)
わたしはもらった補聴器にTと大きく彫りこんだ。
耳にあてると大声が聞こえる。
――アダチ君
年をとったら詩を書きたまえ。
こんな詩だが、わたしもそろそろ詩を書こうか。
そのよってくる罪状は「詩人」としてのものということになっている。
これには少しわたしに違和感がある。
というのも最近わたしは詩をあまり書いてはいない。
以前参加していた詩の同人誌「火曜日」が終刊になったということもあるが、
このところ散文を書くことが多いのだ。
なので、「詩人」としての罪状には同意しかねるのだが、
これも浮世の義理として受け入れねばならないのだろう。
足立巻一先生は晩年、こんな詩を書いておられる。
「補聴器」
竹中郁の通夜の折
故人の机の上に白い小鉢があって
そのなかに金銅色の補聴器が一個。
だが――
(略)
わたしはもらった補聴器にTと大きく彫りこんだ。
耳にあてると大声が聞こえる。
――アダチ君
年をとったら詩を書きたまえ。
こんな詩だが、わたしもそろそろ詩を書こうか。