団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

子ども

2009年10月27日 | 素晴らしい日本語

  

この部屋を始めた頃当たり前のように「子供」と書いていたのですが、ネットか何かで「子ども」と「供」をひらがなで書くべきという説を見て注意してみてみると確かに「子ども」と書かれているようです。と言うわけで深く考えもせず体制に流され「子ども」と書くように注意していました。しかしながらそれがどんな理由からそうなったのか不思議に思いながらも調べることもしませんでした。

 ところが、とんでもない理由があったようです。

  YOMIURI ONLINEより

 10月24日付 編集手帳

 漢字と仮名の使い分けには神経を使う。「臭い臭い」を「くさいにおい」と読んではもらえまいから、「におい」は仮名で書くことが多い◆「こども」「子ども」「子供」…新聞ではどれも用いるが、国民の祝日〈こどもの日〉を除き、小欄はもっぱら「子供」と表記してきた。しばし考え込むのは政府の打ち出した〈子ども手当〉を取り上げるときである◆「子ども」派には「供」の字から「お供」を連想し、大人の付属物とみなす差別意識を嫌う人も多いという。英文学者、柳瀬尚紀さんの著書に共感する一節があったので引く◆〈(差別だとは)…お笑いです。「子ども」では「ガキども」「野郎ども」「男ども」「女ども」を連想して、かえって子供に申し訳ない。ぼくはずっと「子供」で通しています〉(新潮社「日本語は天才である」)・・・以下略

  まかさこんなくだらない理由があったとは想像もしませんでした。これは私も直ぐに「子供」派に帰ります。それにしても、自虐史観じゃないですがなんだか理由にもならない理由でこうした日本の言葉がゆがめられるのは腹立たしい限りです。テレビや新聞なども差別用語などと言って「不適切な発言がありました」などとお詫びしたりしていて不自由きわまりないですね。

 妙に正義ぶって不自由な表現を強いる一部の差別反対の人たちこそ本当の意味の差別者じゃないかと思うのはわたしだけでしょうか。

極端は止めましょう!