団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★光子物語

2024年02月09日 | 日本の女性

 子供の頃何故かミツコという香水があることを知っていました。映画か何かでみたのかもしれません。
  それが、日本の女性の名前であることを知ったのはねずさんのブログでした。それからも何度も書いてくれています。
  それにしても、戦前の日本女性の凄さには驚かされます。やはり、日本は女性が支えていたのでしょう。
  こんな凄い女性が今の日本にどれ程おられることか。男も一緒ですね。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本   2023/02/06 

  光子物語

  ・・・略
  
  第一次大戦後、「民族独立」のスローガンの中で、オーストリア・ハンガリー帝国は分断され、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなどが新国家として独立し、ポーランドやルーマニアにも領土を割譲されて、解体されてしまいました。
大戦で疲弊した上に、28もの国がアメリカの2/3ほどの面積でひしめき合ったのです。
 https://nezu3344.com/blog-entry-5862.html
民族対立の火種を抱えたままでは、いずれヨーロッパに再び大戦が起こり、世界の平和が脅かされます。
ならば、逆に欧州は統一した連邦国家となるべきではないか。
リヒャルトのこの大胆な提案と思想は、敵対と対立、対立と闘争という概念を煽られ、それしか知らなかった当時の欧州において、日本的な「和の精神」をもたらそうとしたものです。
そして、リヒャルトの母が日本人であるという事実に、さまざまな新聞が当時、光子に新しい名称を贈りました。

 その一例を示すと、
「欧州連合案の母」
「欧州合衆国案の母」
「パン・ヨーロッパの母」等々です。

 リヒャルトの生涯をかけたた理想と運動は、その後もヨーロッパの政治思想に大きな影響を与え、第2次大戦後のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、そして現在のヨーロッパ連合(EU)に至っています。

 リヒャルトは母・光子についてこう述べています。

 「彼女の生涯を決定した要素は
 3つの理想、すなわち、
  名誉
  義務
  美しさ
 であった。
 ミツコは自分に課された運命を、
 最初から終わりまで、
 誇りをもって、
 品位を保ちつつ、
 かつ優しい心で甘受していたのである。」

 名誉と義務と美しさと、誇りある品位。
これらは日本人が日本人であるがゆえの美質です。
そしてそれは、世界が求める万国共通の美質でもあります。

 「名誉と義務と美しさと品位」
そんな日本を取り戻したいと思います。


 それにしても・・・
幕末から明治にかけての一介の長屋住まいの町民の娘の子供の頃の躾(しつけ)が、西欧貴族社会のどの家庭の躾よりも厳しかったという事実。
そしてそんな日本は、西欧社会の日本に渡航してくるような当時のVIPたちからみて、「日本人ほど子供を可愛がる国はない。日本の子供たちは実に伸び伸びしている」と言わせた事実。
このことが示す意味は、とても大きいと思います。

 昨今では、子供たちにガマンすることを教えません。
たとえば逆上がりができなければ、「できる子もあるし、できない子もある」と放置されます。
けれど私たちが子供の頃までは、できなければ、できるまでやらされました。
放課後に残ってでもやらされました。

 狼に育てられた子供は、狼のままで人に戻ることはありません。
人は、人として躾(しつ)けられて、はじめて人になります。
人とのしての躾のない者は、人ではなく「人の皮をかぶったケモノ」です。
現代日本人は、いま国をあげてケモノつくりに励んでいます。

 教育は人を育むものです。
本来の日本の教育を、しっかりと取り戻したいものです。

  それにしても、こんな教育を捨ててしまった戦後の日本は余りにも情けない。何としても取り戻したいものですが、教育界自体にその気概が無いのが余りにも情けないですね。
  やはり、正しい国家観も歴史観も持たせない教育で育てられた情けない日本人が目覚めない限りは不可能でしょう。


★愛と青春の旅だちー松崎慊堂物語

2024年01月15日 | 日本の女性

日本の女性が如何に尊重されていたかは、ねずさんが何度も取り上げてくれているこの話を見れば良く分かります。
  女性差別を騒ぐ左翼の人達はこういう事実をどうとらえているのでしょうか。こんな国は現代でも少ないのじゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本   2023/01/12

  愛と青春の旅だちー松崎慊堂物語


  ・・・略

  ここで大事なことが二つあります。
ひとつは、掛川藩にお抱えになったばかりの松五郎が、売春婦であるおすみを妻に迎えているという点です。
もし日本人が、売春婦を卑しい職業と考えていたのなら、松五郎がおすみを妻にすることはありえません。
これから藩の若侍たちに学問を教える人物が、卑しい職業の女性を嫁にするなど、許されることではないからです。

 ところが掛川藩は、松五郎の妻のことを全く問題にしていません。
それどころか藩の重要な任務となった朝鮮通信使の通訳兼交渉役にさえ、松五郎を抜擢しています。

 もうひとつの大事なことは、おすみが宿屋の売春婦でありながら、松五郎に仕送りしたり、ならず者にからまれてカツアゲされたときに、そのお金を代払いしている点です。
戦後の時代劇などで、売春婦たちは子供の頃に女衒(ぜげん)によって連れてこられ、売春宿の主人に借金漬けにされ、年季があけるまで無理やり働かされたという設定がなされています。
要するに、そういうのは全部噓っぱちだ、ということです。

 女衒に買われてきたのは事実です。
仕事ですから、つらいこともあったでしょう。
けれど経済的には、彼女たちは実に豊かでした。

 当時の売春婦というのは、十七歳から二十七歳くらいまでしか働かせてもらえません。
それ以降は、それまでに貯めたお金で、自分で小さなお店を開いたりしました。
売春婦たちには、それくらいの稼ぎと経済的余裕が、実はあったのです

 お店に買われてきたのは六〜七歳のときです。
店に出るまでの10年は、お店がその娘に徹底した教育を施しました。
和裁、着付け、三味線に小唄に長唄、読み書きそろばん、日本舞踊、太鼓、琴、小料理など、女性が生きるのに必要なあらゆる分野の教育が行われました。
幼い頃から雇い入れ、申し訳ないけれど商売に使わせていただく。
その代わりに、彼女たちが一生食うに困らないだけの貯えと、教養と技能を、しっかりと身につけさせようというのが日本の風俗の伝統であったのです。
そのために、店に出るまでの10年間、店のお金で徹底した教育が施されたのです。
 
  商売以上に、人を大事にする。
それが、私たちの日本です。
これを可能にしたのは、権力者の上位に、天皇というありがたい存在です。
権力者は天皇の民である私たち民衆を私物化することができない。
これが日本古来の国のカタチ(構造)なのです。

  その後、松五郎は、松崎慊堂(まつざきこうどう)と改名して、日本を代表する学者になりました。
その弟子が、渡辺崋山や、高野長英など、江戸後期の名だたる学者たちです。
その学者たちが、まだ学生だった頃、その子達の生活の面倒の一切をみたのが、おすみでした。
 おすみは、育った学者たちから、一生を通じてまるで母のように慕われ、この世を去りました。

 日本人は、どのような社会的立場にあっても、あるいはどのような職業に就いていても変わらない「人としての矜持(きょうじ)」を大切にします。
職業には貴賤があっても、その職業を行う人の魂に貴賤はない、というのが日本人の古来の思考です。

 日本人はどのような職業であれ、どのような社会的立場であれ、魂を高貴なものに保つことを大切にしてきたのです。
なぜならそれが日本人にとっての矜持(きょうじ)だからです。
  
  今や、この矜持が失われている日本のように思えてなりません。日本はどんどん退化していると言っても間違いなさそうです。
  何としても、この矜持を取り戻さなければ日本の再生は有り得ないでしょう。


★西洋の女性観、日本の女性観

2023年12月09日 | 日本の女性

 ネットのお陰で日本の女性が世界とは真逆の扱いを受けていたことを知ったものです。
  それにしても、日本は凄い国だったことに驚きと共に感動です。この凄さを日本人が認識していないのが余りにも情けない。
  特に左翼の女性蔑視の認識は本当に情けない。やはり、自国の歴史を知らないことは最悪です。

  ねずさんが今回も女性観の違いとして日本と西欧を比べてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。  

  ねず さん のひとりごとより   2023/12/05

  西洋の女性観、日本の女性観

  ・・・略 

   神話は、その国や民族等が持つ文化の根幹を形成すると言われています。
別な言い方をするなら、神話は思考際の価値判断の基準を形成するものであるということができます。

 西洋の場合、様々な民族が入り混じって互いに殺し合いを繰り広げた結果、それぞれの民族ごとに持っていたであろう神話が失われ、結局、ルネッサンス運動による「ギリシャ・ローマの時代に帰れ」という標語のもとで、ギリシャ神話と、旧約聖書に依拠するものとなりました。

 ギリシャ神話では、オリンポスの十二神に、ゼウスの妻のヘラ、娘のアテナ、愛と美と性の女神のアフロディーテ、狩猟と貞操の女神のアルテミス、穀物の女神 のデメテル、炉の女神のヘスティアなどの女性神が登場しますが、それらはあくまで神々のみ、初期の人類には男性しかいなかったとされています。

 では人類初の女性は誰かと言うと、これが有名なパンドラです。
そう、パンドラの箱の、あのパンドラです。・・・中略

 さて、明治以降、西洋化が文明開化だとされて、日本社会にも西洋式の軍制が導入され、哲学や男女についての考え方にも、西洋風の思考が随分と取り入れられるようになりました。
そこから秦の時代の関尹子(かんいんし)に書かれいた「夫唱婦随」や、それ以外にも「男尊女卑」などという言葉がさかんにもてはやされるようになりました。

 なるほど江戸時代でも「男女七歳にして席を同じうすべからず」と言われましたが、これは間違いが起こらないようにという大人の配慮を意味するものでしかありません。
むしろ、江戸時代までの一般的な慣習として、旦那の給料は、その家に支給されるものというのが、日本の大昔からの考え方です。
そして夫の小遣いを含めて、家内の一切のやりくりや面倒を見るのは、女性である妻の役割とされてきました。

 その意味では、旦那の俸禄は、お殿様からいただいているというより、現実的には妻からもらっているようなものであり、何事も家族で責任を持って行うというのが、日本における普通の常識であったということができます。

 おそらくですが、たとえば世界の企業における給料の支払いや、銀行口座の管理の一切が、その家の妻の役割ということが世界の常識となったら、世界から戦争の多くは無くなるし、今般のアメリカ大統領選挙のような不正もなくなるのではないかとさえ思います。

 いまから数千年の昔、世界の文明を開いたのは、間違いなく、縄文人たちによる実績です。
しかしその後の世界は、暴力と殺戮、しかもその暴力や殺戮を、なんと「女性のせい」にするという悪辣さを持つに至るようになりました。

 そうした世界の歪みを、あらためてまっすぐに正していく。
もしかするとそれがこれからの日本人に与えられた、神からの遠大な使命なのかもしれません。

  それにしても、日本の女性観の凄さに改めで感動します。それを理解できない左翼の女性達は本当に哀れですね。


★光子物語

2023年02月17日 | 日本の女性

 日本の女性の素晴らしさをねずさんが思い知らせてくれています。この話も何度も書いてくれていますが何度読んでも感動します。
  この素晴らしさを殆ど失ってしまった今の日本には未来はない。もし、ねずさん達の教えで日本人が目覚めることが出来るならまだまだ望みはあるのでしょうか。

  この光子さんが庶民の出であることも驚きです。ヨーロッパの貴族の社会に乗り込んで対等以上に渡り合ったことには日本の教育の凄さをおもいしらされます。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より     2023/02/14
  
  光子物語

  ・・・略

  民族対立の火種を抱えたままでは、いずれヨーロッパに再び大戦が起こり、世界の平和が脅かされます。
ならば、逆に欧州は統一した連邦国家となるべきではないか。
リヒャルトのこの大胆な提案と思想は、敵対と対立、対立と闘争という概念を煽られ、それしか知らなかった当時の欧州において、日本的な「和の精神」をもたらそうとしたものです。
そして、リヒャルトの母が日本人であるという事実に、さまざまな新聞が当時、光子に新しい名称を贈りました。

 その一例を示すと、
「欧州連合案の母」
「欧州合衆国案の母」
「パン・ヨーロッパの母」等々です。

 リヒャルトの生涯をかけたた理想と運動は、その後もヨーロッパの政治思想に大きな影響を与え、第2次大戦後のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、そして現在のヨーロッパ連合(EU)に至っています。

 リヒャルトは母・光子についてこう述べています。

 「彼女の生涯を決定した要素は
 3つの理想、すなわち、
  名誉
  義務
  美しさ
 であった。
 ミツコは自分に課された運命を、
 最初から終わりまで、
 誇りをもって、
 品位を保ちつつ、
 かつ優しい心で甘受していたのである。」

 名誉と義務と美しさと、誇りある品位。
これらは日本人が日本人であるがゆえの美質です。
そしてそれは、世界が求める万国共通の美質でもあります。

「名誉と義務と美しさと品位」
そんな日本を取り戻したいと思います。

 それにしても・・・
幕末から明治にかけての一介の長屋住まいの町民の娘の子供の頃の躾(しつけ)が、西欧貴族社会のどの家庭の躾よりも厳しかったという事実。
そしてそんな日本は、西欧社会の日本に渡航してくるような当時のVIPたちからみて、「日本人ほど子供を可愛がる国はない。日本の子供たちは実に伸び伸びしている」と言わせた事実。
このことが示す意味は、とても大きいと思います。

 昨今では、子供たちにガマンすることを教えません。
たとえば逆上がりができなければ、「できる子もあるし、できない子もある」と放置されます。
けれど私たちが子供の頃までは、できなければ、できるまでやらされました。
放課後に残ってでもやらされました。

 狼に育てられた子供は、狼のままで人に戻ることはありません。
人は、人として躾(しつ)けられて、はじめて人になります。
人とのしての躾のない者は、人ではなく「人の皮をかぶったケモノ」です。
現代日本人は、いま国をあげてケモノつくりに励んでいます。

 教育は人を育むものです。
本来の日本の教育を、しっかりと取り戻したいものです。

  やはり、教育の凄さを思い知らされます。この光子さんの息子さんが情熱を注いで作り上げたEUの現状を見ると残念です。
  やはり、欧米の人達もまだまだ日本の素晴らしさには追いつけないのじゃないでしょうか。
  その日本がこの教育では欧米に追い抜かれる日も近いのかも。


★たおやかにやまとなでしこ咲きにけり  りんと気高くたじろぎもせず

2023年02月15日 | 日本の女性

 日本人の劣化を毎日のように書いていますが、男の劣化も悲しいものがありますが、女性も同じ以上なものがあるように思うのはわたしだけでしょうか。
  素晴らしい男達を育て家庭を維持してきた日本女性の素晴らしさも大勢取り上げてくれています。
  その凄さには毎度ながら感動させられます。

  やはり日本人は何としても先人の素晴らしさを取り戻さなければなりません。

  この話も何度読んでも感動しかない。今の日本にこれだけの女性が何人おられることやら。
   早く、教育に手を付けないと日本は残っても日本じゃなくなるでしょう。

  ねずさんの学ぼう日本より     2023/02/11
  
  たおやかにやまとなでしこ咲きにけり  りんと気高くたじろぎもせず

  ・・・略

  女性を礼賛するために申し上げているのではありません。
力の強さなら、男性の勝ちです。
世界中、どこの国においもて、どの民族においても、歴史を通じて権力とは、すなわち「力」でした。
けれど、我が国では、その「力」を超える存在を思想としてつくりだすことによって、人々が豊かに安全に安心して暮らせる社会を実現する努力が、歴史を通じて築いてきました。

 では、その「力」を超える存在とは何かといえば、それは「権威」です。
そして権威というものは、その国における古くて長い歴史伝統文化によってのみ育まれます。
なぜなら、古いということが、正しいということの証明となるからです。
政変によって、毎度、すべてが根底から否定される社会では、こうした「古いという権威」が育ちません。
そして「権威」がそだたなければ、もっぱら、「力」によって支配することしかできなくなります。
そして「力」の行使は、さらに大きな「力」がやってきたときに、倒され、否定されます。

 どんな理不尽でも、力があれば許されるというのでは、決して人類社会に平和と安定をもたらされることはありません。
そしてその力を理知的に抑えるものが、何が正しく、何が間違っているのかということを明確にする価値観です。
そして価値観は、「古い」ということが価値になります。

 「力よりも正しいことがある」という信念が日本文化の根幹です。
だから男性の持つ「力」を凌駕することができる「正義」は女性のものとされてきました。
そして日本人女性は、多くの国の人々から、
「日本人女性は凛としている」とみられていたのです。

  それにしても、先人は本当に凄かった。これを教育が教えない罪は余りにも重い。
  そんな教育をしている人達に罪の意識はないのでしょうか。何とも情け無い。


★巴御前(ともえごぜん)

2023年01月19日 | 日本の女性

 日本で一番人気がある女性は静御前だとねずさんが教えてくれました。そのねずさんが巴御前にも素晴らしい評価をされているようです。
  今の男女とも劣化した日本人を見ていると本当に悲しくなります。果たして日本女性は静・巴御前の素晴らしさを取り戻す日が来るのでしょうか。なんてr書くと男はどうだと言われるのは間違い無いでしょう。
  ところで、男の一番人気は誰なんでしょう。もしかしたら義経でしょうか。

  ねずさんが教えてくれた巴御前もやはり素晴らしい。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2023/01/13
  
  巴御前(ともえごぜん)

  ・・・略

 愛する夫も去っていった。
おそらく、数刻の後には、その夫も死ぬことであろう。
巴御前は、ひとしずくの涙を袖で拭うと、鎧を脱ぎ捨てました。
そして、ひとり、どこかへと去って行きました。

 その後の巴御前の行方は、諸説あってわかりません。
滋賀の大津の義仲寺は、巴御前が義仲の菩提を弔って庵を結んだことがはじまりとの伝承があり、
また長野県の木曽、富山県の南砺市、富山県小矢部市、新潟県上越市、神奈川県小田原市や横須賀市にも、巴御前の終焉の地とされるところがあります。

 古来、女性の「好き」と、男性の「好き」は意味が異なるといいます。
男性の「好き」は、「手に入れる」、「手に入れたものを護る」という行動に結びつきます。
けれども女性の「好き」は、自分にあるすべてで対象を抱きしめる。
このことは、父性と母性の違いと考えるとわかりやすいかもしれません。

 そのように考えると、もしかすると甲冑を脱いだ巴御前は、平服のまま木曽義仲の後を追ったのかもしれません。
巴御前と別れたあとの木曽義仲は、麾下の今井兼平と二名で粟津の松原まで駆けます。
そして自害する場所を求めてあたりを徘徊したところ、馬の足が深田に取られて身動きがつかなくなってしまう。
そこに追いついた敵方が、義仲に矢を射る。
矢は木曽義仲の顔面に命中し、義仲はここで絶命します。
そしてこれを見た兼平も、その場で自害しました。

 義仲の首は追手に刎ねられて持ち去られました。
巴御前がその現場に到着したときには、おそらく木曽義仲が首のない遺体となってからのことであったろうと思います。
変わり果てた夫の姿を見て、巴御前は、その遺体の埋葬をしたのか、それとも遺体から形見をとって、いずこへと立ち去ったのか。

 その後の巴御前の消息について、『平家物語』は不明としているのですが、『源平盛衰記』は、このあと源頼朝によって鎌倉に招かれ、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだとしています。
鎌倉内部の政権争いによって起きた和田合戦によって和田義盛が討ち死にした後は、越中国の福光の石黒氏の元に身を寄せ、その後、出家して尼僧となり、91歳で生涯を終えた記述しています。
ただこの説は、年代が合わないという指摘もあり、事実は遥としてわかりません。

 お能の演目の「巴」では、巴御前の御霊(みたま)が、愛する木曽義仲と最期をともにできなかったことから、この世をさまよう様子が描かれ、そんな巴御前の御霊と出会った旅の僧の読経によって成仏するという筋書きになっています。

 いまを去ること840年前、戦乱の世に生まれ、愛に生きた美しい女武者がいました。
巴御前のみやびで艶やかで一途な姿は、いまなお多くの人々によって語り継がれています。



  やはり、日本の女性は素晴らしい。何と言っても、天照大神の国です。

  この劣化した日本を立ち直すのはやはり女性かもしれません。間違っても優柔不断総理じゃないでしょう。
 
  どうしても、高市さんに期待してしまいます。


★38度線のマリア

2022年11月19日 | 日本の女性

 日本の政・官・財・マスメディア等のお偉いさん達の劣化を見せ付けられるともう日本の未来に希望を持てない毎日です。

  そんな毎日、ねずさんがそんな絶望的な日本に夢があることを教えてくれています。
  とは言え、今の日本を見ているとなかなかそうは思えないものがあります。

  しかし、ねずさんが教えてくれる先人の凄さにこの日本人を取り戻すことが出来れば日本の明るい未来も見えそうな気がします。

  今回も、そんな凄い女性を取り上げてくれています。これも、何度読んでもその強い心に感動させられます。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/11/12

  38度線のマリア

  ・・・略

 世界において、著名な芸能人とか、ものすごく大きな財力を背景にしてアフリカなどでの孤児に対する支援や慈善活動をする偉人は数多くいます。
けれど、何の財力もないどころか、自分自身も孤児であり、しかも無一文でありながら、必死で働きながら孤児たちの世話をし続ける。
そういう、歴史に名を留めないけれど、真摯に生きた本物の偉人が、日本の歴史には数え切れないほどいます。
なぜ日本人がそうなのか。

 その答えが、日本の、天皇のもとに万民を「おおみたから」とする国風であり、憲法十七条以来の日本の国風にあります。
八百万の神々と考える日本では、人は神様になるために生まれてきたと説かれました。
誰もみていなくてもお天道さまが観ていらっしゃると考え行動してきたのが日本人です。

 その国風を、次代のために学び語り伝えていくことは、いまを生きる目覚めた日本人の使命です。

 そして、望月カズの歴史を消したいまの韓国政府やメディアには、愛がないと思います。
愛とは慈しみの心です。
愛を失った政治、メディア、支配は、暴力装置でしかありません。



  それにしても、こんな凄い女性がいたことに驚きますが、それ以上に今の劣化した日本人とは同じ日本人とは思えません。
  今の日本人がこの素晴らしい人に近付けるでしょうか。どんなに難しくてもそれこそが日本の目指すべき道でしょう。


★女性が輝く時代

2022年10月13日 | 日本の女性

 日本の女性が輝いていたのは平安時代だったのには驚かされます。と言うか、日本は女性が大事にされてないと騒ぐ国連や反日売国左翼・在日共に騙されて来たというのが本当です。
  こんな教育をしている日本のバカさ加減にがっかりさせられます。

  そんな嘘から目覚めさせてくれたのもねずさんです。

  今回もそんな平安時代の女性が輝いていた時代を取り上げてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/06  

  女性が輝く時代    

  ・・・略

 そんな勤労奉仕団の人々は、女性はいまと同じで御所の清掃活動、男性は門番を任せられました。
日頃は農家や漁業をしているおじさんやお兄さんたちが、禁門の衛士を任せられるのです。
これはとっても名誉で嬉しいことでした。
だから彼らは、一晩中篝火(かがりび)を絶やさないし、寝ずに番をするし、昼間はもちろん篝火は消すけれど、雨が降っても雪が降っても、直立不動の姿勢を崩しませんでした。

 どうしてそこまでするのかって?
あたりまえです。
一庶民である自分たちが、権力からの一方的な支配を受けない、奴隷とならないで、それどころか豊かに安心して安全に暮らすことができているのは、天子様(天皇のこと)が自分たち庶民を「おほみたから」としてくれているからなのです。
海外の歴史などを知れば、なおのこと、その日本のありがたさがわかる。
そういうことを一般の庶民の誰もが常識として知っていたのです。

 これはとても大切なことです。
実際日本では、上古の昔から、庶民たちが自分の費用で京の都まで旅をすることができたし、このときに女性であっても途中で盗賊に襲われる心配をすることなく、安心して旅をすることができたのです。
だからこそ、京の都で天皇の存在のありがたさに感謝して、何日も宿泊したり食事をしたりしながら、禁門の警固や皇居の清掃作業などをよろこんで行っていたのです。
ここにシラス統治の完成された姿があります。・・・中略

 大弐三位は三十六歳のとき太宰府長官の高階成章(たかしなのなりあき)と再婚し、夫の成章が大宰大弐に就任し、本人も従三位に昇叙したことから大弐三位と呼ばれるようになりました。
要するに大弐三位という名は、夫婦揃って高級官僚で、今風にいえば、まさにキャリアウーマンとして大成した女性だったことを示しています。

 当時の女性が全部が全部、大弐三位のように優秀で栄達できたとはいいません。
いつの時代でも、男性の不条理に泣かされた女性も数多くいたことでしょう。
けれど同時に、大弐三位のような溌剌と輝く女性が、平安中期に生きていたこともまた事実であろうと思うのです。

 11世紀という時代にあって、世界の中でそのようなことを現実化できたのは、世界広しといえども日本だけです。
そしてそのことは、当時の日本が、平和で豊かで誰もが安全に安心して生きることができる世の中であったことを証明しています。

 女性が輝く時代というのは、言い換えれば暴力による支配がない時代ということが前提になろうと思います。
そういう時代を、私たちの祖先は、はるか千年前に現実に築きあげてきたのです。



  世界一大事にされていた日本女性の地位がおかしくなったのはやはり明治維新以後の西洋崇拝から来たものでしょう。
  こうやて何でも西洋が上というおかしな考えに取り付かれてしまったのが戦後の一番の悪じゃないでしょうか。
  やはり、何としても日本を取り戻す必要があります。


★黒沢登幾に学ぶ日本人の生き様

2022年10月07日 | 日本の女性

 何事かを成す人と言うのはやはりその意志の強さが並大抵のものじゃないようです。
  それをねずさんは神様が与える試練であり、それを克服したした人こそが成し遂げることが出来ると教えてくれています。

  道理で、何の期待もされなかった我が人生は何の試練もなく平々凡々だったのでしょう。残念です。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/09/29
  
  黒沢登幾に学ぶ日本人の生き様

  ・・・略

 この寺子屋ですが、寺子屋の先生は「お師匠さん」と呼ばれました。
生徒は「寺子(てらこ)」です。
お師匠さんは、だいたい6割が男性、4割が女性でした。
意外と女性のお師匠さんが多かったのです。

 ですから、そういう意味では、明治に入ってからの学制に基づく小学校教師でも、黒沢登幾に限らずもっとたくさんの女性教師がいてもいいように思うのですが、明治初期の一時期は、教師には、男性を多く登用しました。

 これには理由があって、武士が失業して仕事にあぶれたたため、雇用創出という意味で、男性教師を積極採用したことによります。
つまり明治政府は、一家の大黒柱とならなければならない人に、まず仕事を与えようとしたわけです。
ですからこれは男尊女卑などという思想的理由とはまったく異なります。
あくまで経済的社会的な合理性のうえから、そのようにしただけのことです。・・・中略

 さて、未成年の頃の登幾は、家運もよく、頭もよく、学問もよくできる素晴らしい才女でした。
しかし大人になった登幾を待っていたのは、夫に先立たれ、女手一つで二人の子を育てるというたいへんな苦労でした。
そしてさらには、登幾から教育者としての地位も奪い、20年の長きにわたって、過剰な肉体労働を強い、体力を使い果たさせ、貧乏な暮らしの中で、餓えに苦しませ、その身を極貧暮らしにまで追い落すというものでした。

 そして、意を決した京都行きでは、登幾の身柄は拘束され、拷問を受けたのみならず、籐丸篭で護送され、ようやく放免されても、家に帰らせてもらえない。老いた母の顔も見れない、娘たちにも会えないという暮らしでした。

 ところが、実に不思議なものです。
天は、最後には、登幾に、本来の教育者としての地位を与え、しかも天子様(天皇陛下)から、直接御米をいただけるという処遇を受けるようにしています。
なぜでしょうか。

 孟子の言葉に、「天の将に大任を是の人に降さんとするや」というものがあります。

 天の将に大任を是の人に降さんとするや
必ず先づその心志(しんし)を苦しめ
その筋骨を労し
その体膚(たいひ)を餓やし
その身を空乏し
行ひその為すところに払乱せしむ。

 というのです。
なぜそんなことを天がするかといえば、それは、大任を得た人が、

 心を動かし、性を忍び
その能はざる所を曾益せしむる所以なり

 と書かれています。
要するに、黒沢登幾は20年という長きにわたり、天から薫陶を受け続けたわけです。
そしれそれだけの長い期間、行商人に身をやつしながらも、登幾は本来の教育者としての自覚と誇りと矜持を保ち続けたわけです。
そして最後に天は、登幾に、我が国初の女性小学校教師という役割を、与えました。

 見えない世界のことは、私にもよくわかりません。
ただ、ひとついえることは、天はその人に、「絶対無理!乗り越えられない!」としか思えないような厳しい試練を与えるということです。

 いまの日本には、悩んだり、苦しんだりしている人はたくさんおいでだと思います。
黒沢登幾も、極限まで追いつめられた人でした。
けれど、あきらめない。くじけない。

 スーパーマンや、バットマンなど、アメリカン・ヒーローは、はじめから全てを持っています。
三国志の関羽や張飛ははじめから強く、あるいは諸葛孔明は最初から天才です。
けれど日本のヒーローは、オオクニヌシにせよ、スサノオにせよ、アマテラスにせよ、神様自体が、最初は不完全で、いじめを受けたりしながら、様々な試練を経て、成長していきます。
牛若丸だって、カラス天狗に訓練を受けて、そこではじめて強くなっています。

 どんなに苦しくても、笑顔でがんばる。ただしい道を行く。
途中に、どんなに辛い艱難辛苦が待ち受けていても、くじけずに生きる。
そこに日本人の生き方があるように思います。



  それにしても、日本の女性に対する考えは世界とは全く違っていたようです。それが分らない人達がポリコレで騒ぐのでしょう。何とも恥ずかしい。


★たったひとりで政府高官に挑んだ女性

2022年09月21日 | 日本の女性

 この日本の女性の強さをねずさんが何度も取り上げてくれています。我が坂出に流された崇徳上皇の妻皇嘉門院とその付き人の話だけに一層印象に残ります。

  それにしても日本の女性が如何に大事にされていたかが分ります。こんな国をまともに評価できない反日売国左翼・在日共や世界も可哀想としか言い様がない。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/09/13
  
  たったひとりで政府高官に挑んだ女性

  ・・・略

 つまりこの歌は、単に皇嘉門院別当一人にとどまらず、崇徳天皇の妻である皇嘉門院の戦いの歌でもあるのです。
そういう戦いを、この時代の女性たちはしていたのです。

 なみいる群臣百卿を前に、堂々と、たったひとりで女性が戦いを挑む。
挑まれた側の公家たちは、ひとことも返せずに、ただうつむくばかりとなる。

 「日本の女性は差別されていた」が聞いてあきれます。
日本の女性は、堂々と男たちと対等な存在として、立派に生きていたのです。

 イザナギ、イザナミの時代から、男女は対等。
それが日本の文化です。


  それにしても、日本の女性は強い。やはりこの劣化仕切った日本を達な押せるのは女性のリーダーじゃないでしょうか。詰まりは高市総理。


★たったひとりで政府高官に挑んだ女性

2022年08月05日 | 日本の女性

 この和歌もねずさんの百人一首で初めて知ったという情けなさです。特に、これが坂出に流された崇徳上皇の上皇后皇嘉門院の別当の歌というのも全く知らなかった無教養に恥じ入るばかりです。
  それにしても、日本女性の強さには感動します。やはり、日本は女性こそが救うのじゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/07/29
  


  ・・・略

  けれど、そうして崇徳上皇が政治に無関心を装えば装うほど、忠道には、それが裏で何かを画策しているかのように見えてし まう。
人間、ひとたび疑心暗鬼の虫が宿ると、そこから逃れられなくなるのです。

 そしてついに藤原忠通は、後白河天皇の宣旨を得て、平清盛らに命じて、「崇徳上皇に謀叛の兆しあり」という、あらぬ疑いを でっちあげて、武力を用いて崇徳上皇を逮捕し、讃岐に流罪にするという暴挙に出ます。
これが保元の乱(1156年)です。
こうして崇徳上皇は崇徳院となって讃岐に流されました。
上皇后の聖子様は皇嘉門院と名乗って都に残られたのです。・・・中略

  彼女は持参した歌を披露しました。
歌は、意訳すると次のような意味になります。

「難波の港に住む遊女であっても、
 短い一夜限りの逢瀬でも
 一生忘れられない恋をすることがあると聞き及びます。
 しかし朝廷の高官というのは、
 一夜どころか、
 神代の昔から天皇を中心とし、
 民を思って先祖代々すごしてきました。
 けれど、
 そのありがたさを、その御恩を、
 たった一夜の『保元の乱』によって、
 すべてお忘れになってしまわれたのでしょうか。
 父祖の築いた平和と繁栄のために、
 危険を顧みず
 身を尽くしてでも平和を守ることが、
 公の立場にいる、あなた方の役割なのではありませんか」

 歌の解釈の仕方、どうしてそのような意味になるのかについては、『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』に詳しく書いてい ますので、ここでは省略します。
ただ、皇嘉門院の別当という、ひとりの女性がたった一首。

 難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ
 身を尽くしてや 恋ひわたるべき

と歌を披露したことで、わずかな間をおいて、その場に居合わせた並み居る高官たちが、ただ黙って下を向くしかなかった。
なぜなら、堂々と叩きつけられた皇嘉門院別当のその歌の内容が、あまりに正論であり、その正論の前にその場にいた貴族高官た ちの誰もが、ひとことも反論できるものがなかったからです。
歌は正論であり、否定することはできません。
さりとて、認めれば、自分たちがアホのやくたたずであることを認めることになってしまう。
だから、できることといったら、ただうつむく以外なかったのです。・・・中略

 おそらく別当は、歌合の前に皇嘉門院様に会い、
「この歌の出詠は、
 あくまで私の独断で
 いたしたものとします。
 皇嘉門院様には
 決して咎が及ばないようにいたします」
と、事前に許可を得ていたことでしょう。

 そして別当からこの申し出を聞き、許可した皇嘉門院も、その時点で自分も死を覚悟されたことでしょう。

 つまりこの歌は、単に皇嘉門院別当一人にとどまらず、崇徳天皇の妻である皇嘉門院の戦いの歌でもあるのです。
そういう戦いを、この時代の女性たちはしていたのです。

 なみいる群臣百卿を前に、堂々と、たったひとりで女性が戦いを挑む。
挑まれた側の公家たちは、ひとことも返せずに、ただうつむくばかりとなる。

 「日本の女性は差別されていた」が聞いてあきれます。
日本の女性は、堂々と男たちと対等な存在として、立派に生きていたのです。

 男女は対等。
それが日本の文化です。


  男女が対等というこの素晴らしい歴史さえ世界に認識させることの出来ない政府・外務省の仕事振りには呆れるしかない。
  こんなことでシラス国の素晴らしさを世界に認めさせることは何時のことかと絶望的になります。


★苦労が育てた和泉式部の魂の歌

2022年07月24日 | 日本の女性

 日本女性の平安時代の活躍には本当に驚かされます。ねずさんがその中で和泉式部がお気に入りのようです。
  それにしても、もの凄い人生ですね。余程素晴らしい女性だったのでしょう。

  これだけの苦労を乗り越える力を持っているからこそこういう人生にもなったのでしょう。おおよそ縁の無い世界です。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/07/17

  苦労が育てた和 泉式部の魂の歌

  ・・・略

 百人一首に登場する百人の歌人のなかで「誰か一人好きな歌人は?」と聞かれたら、迷わずいの一番にお答えするのが和泉式部 (いずみしきぶ)です。
たぶん、同じ思いを持つ方は多いと思います。
そしておそらく古今の歴史上、最高の歌人といえば、和泉式部を置いて他にない。

 そして、その泉式部が、なぜそれほどまでの和歌を詠むことができるようになったのかといえば、もちろん才能もあったでしょう けれど、それ以上に彼女が本当に苦労したから。

 親も教育も人を育てるものですが、本当に人が育つのは、その人にとっての苦労です。
そして苦労を、ストレスとするのではなく、試練とすることで、人が苦労を乗り越えて成長の糧(かて)にしてきたのが日本の文 化です。さらにいうと、そんな苦労を乗り越えた先に、さらにすべてを捨て去る。

 何もかも失った先に、本当にたいせつなことに人は出会うことができると、そのように考えられてきたのです。

 ここに、古くて長い歴史を持ち、ひとりひとりを大切にしてきた日本文化の根幹があります。


  それにしても、日本の女性の凄さには驚かされます。それを許す日本の土壌も素晴らしい。やはり、日本は凄い。


★やすらはで 寝なましものを さ夜更けて

2022年07月16日 | 日本の女性

 和歌が日本の政治の根本にあったことなんて全く知らなかったので、それ程興味もありませんでした。
  ところがねずさんに教えてもらって、今からでも詠めるようになりたいものだとは思っています。
  とは言いながらも英語と同じで手を付ける覚悟はありません。これが私の限界でしょう。情けない。

  それにしても、平安時代の女性の教養の凄さには恐れ入ります。もしかしたら、日本女性が一番輝いていた時代なのかもしれません。

  今回の赤染衛門も何度もねずさんが取り上げてくれていますが、何度よんでもその教養に圧倒されます。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/07/08

   やすらはで 寝なましものを さ夜更けて

  ・・・略

 つまり赤染衛門のこの歌は、単に、友人の代作をしたというだけではありません。
思いやりをたいせつにすることによって、きわめて安定した社会が築かれたこと、
そしてひとりの女性の小さな思いやりの歌が、ひとりの男をたくましく成長させ、その男の未来を開いたこと、
そこにこそ、この歌が500年の歴史を描いた一大抒情詩としての百人一首の中盤に置かれた意味があるのだということができま す。

 人が百人いれば、百通りの考え方があります。
そして、各人ごとに、政治的な意見の違いは、必ずあるものです。
政治的な意見の主張は、いくらあってもそれは良いと思います。
けれど、どんなときでも、個人攻撃は慎むべきことです。
ましてそれが選挙戦という戦いの最中であれば、なおさらです。

 剣胆琴心。
男子三日会わざれば刮目して見よ、です。
どんなときでも、人を愛する心を失わない。
それが、政治以前の、人の道であると思います。

  それにしても、女性がここまで輝いていた時代をもう一度とり戻すことが出来れば面白くなりそうです。
  日本は女性が率いるべき国かも。


★日本のメディア、専門家の中東分析は嘘と間違いだらけ

2022年05月05日 | 日本の女性

 最近、「虎ノ門ニュース」やTwitterなどで元気な飯山陽さんが専門である中東の本を出してくれたようです。
  宮崎さんが書評で取り上げてくれています。宮崎さんも飯山さんの威勢と歯切れのよさに関心しているようです。
  飯山・有本コンビの辛口には日本の並の男では太刀打ち出来ないのじゃないでしょうか。
  やはり、高市さんといい、日本を救うのは女性じゃないでしょうか。優柔不断総理は高市さんを遠ざけようとしているようですが、やはりその程度の男なのでしょう。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)4月28日(木曜日) 通巻第7314号

  書評 

 日本のメディア、専門家の中東分析は嘘と間違いだらけ
  中東の独裁国家やテロ集団は暴走をさらに加速するだろう

  飯山 陽『中東問題再考』(扶桑社新書)

 とにかく威勢が良いのである。歯切れが良いのである。
中東、アラブ問題の『専門家』といわれる学者、ジャーナリスト、外務官僚、コメンティター、その他大勢の『嘘』と『無 知』を著者の飯山女史が滅多切りする。
どのような「論客」が対象かと言えば、テレビとか大手新聞に意見を述べる人たちで、高橋和夫、宮家邦彦とか。特派員や大 使経験者もいる。ただし評者(宮崎)はテレビを見ないし、朝日新聞を購読していないので、ほとんどの人を知らない。
パレスチナ問題で、嘗て日本政府はテロリストのアラファトを国賓待遇で招くという失態を演じた。アラファトは拳銃を持ち 込めないと言われると空港の空に向けて撃った。これって現行犯逮捕だろっ?

  アラファトのスイスの隠し預金は夫人も番号を知らなかった。いまも中東の指導者たちの腐敗は凄いことになっているが、メ ディアは掘り下げて伝えない。
英国の三枚舌外交が諸悪の根源だが、表層しかみない『専門家』たちは、複雑怪奇に舞台裏で絡む実情を、短絡的に善と悪の 二元論で解釈している。
「親日国家」といわれるイラン、トルコは本当に良い国なのか。タリバンという暴力集団がアフガニスタンを乗っ取ったが、 米国の間接統治よりタリバンのほうがマシと言い張る人たちは、どういう了見なのか?

  一番の疑問は、ウィグルの無辜の民を弾圧する中国に、イスラム諸国は沈黙しているのは矛盾していないのか等の基本の問い かけである。
日本外交はアブラほしさから、米国とは同盟関係にありながらも独自のイラン、サウジへのアプローチをしてきた、これは国 家安全保障の基軸に抵触している。

 何が基本的な誤謬なのか。
 日本の中東外交に、「反論も、反省も、見直しも、変化も、進展も、何一つありません。外交も報道も解説もすべてが旧来 の鋳型に固執したまま、事実を歪曲したり隠蔽したりしながらイデオロギー先行型の観念的言説を垂れ流しています。これで は『日本の国益は損なわれるばかりです(16p)。

 そうなのである。
 中東専門家を名乗る人たちの多くが、じつは国益を度外視した発言を繰り返し、日本の質を貶めているのである。
 辛辣な批判に込められた、中東の本質をみる目が重要である。

  男共は所詮は金の亡者の小物ばかりじゃないでしょうか。本当に国を愛するのは女性なのかも。

やはり、天照大神の国です!

★人の矜持(きょうじ)・・・松崎慊堂

2022年04月16日 | 日本の女性

 この話は世界に公報すべきです。と言うか日本人も殆ど知らないでしょう。恥ずかしながら私もねずさんに教わって初めて知りました。
  この話を日本人が知っていればKoreaにニセ慰安婦問題で騒がれることもなかったでしょう。
  詰まりは、河野洋平も知らなかったのでしょう。やはり正しい国家観と歴史観教育が如何に大事かと言うことです。

  何度読んでも感動します。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/04/09

  人の矜持(きょ うじ)・・・松崎慊堂

  ・・・略

 大事なことが二つあります。
ひとつは、掛川藩にお抱えになったばかりの松五郎が、売春婦であるおすみを妻に迎えているという点です。
もし日本人が、売春婦を卑しい職業と考えていたのなら、松五郎がおすみを妻にすることはありえません。
これから藩の若侍たちに学問を教える人物が、卑しい職業の女性を嫁にするなど許されることではないからです。

 ところが掛川藩は、松五郎の妻のことを全く問題にしていません。
それどころか藩の重要な任務となった朝鮮通信使の通訳兼交渉役にさえ、松五郎を抜擢しています。
つまり職業による差別意識を、昔の日本人は持っていなかったということです。

 そしてもうひとつの大事なことは、おすみが宿屋の売春婦でありながら、松五郎に仕送りしたり、ならず者にからまれて カツアゲされたときに、そのお金を代払いしている点です。
よく戦後の時代劇などで、売春婦たちが子供の頃に女衒によって連れてこられ、売春宿の主人に借金漬けにされて、年季が あけるまで無理やり働かされたという設定がなされています。
要するに、これが噓だということです。

 女衒に買われてきたのは事実です。
もちろん仕事ですから、つらいこともあったでしょう。
けれど真面目に勤め上げれば、彼女たちは経済的には実に豊かになれたのです。
当時の売春婦というのは、十七歳から二十二歳くらいまでしか働かせてもらえません。
それ以降は、それまでに貯めたお金で、自分で小さなお店を開いたりしました。
売春婦たちには、それくらいの稼ぎと経済的余裕があったのです。

 幼い頃から雇い入れ、申し訳ないけれど商売に使わせていただく。
その代わりに、彼女たちが一生食うに困らないだけの貯えと、教養と技能を、しっかりと身につけさせてきたのが、日本の風 俗の伝統です。

 なぜなら、商売以上に、人を大事にしたのです。
それが、私たちの日本の伝統であり、それができたのは、権力者の上位に、天皇というありがたい存在がいるため、 権力者は天皇の民である私たち民衆を私物化することができないという国のカタチ(構造)があったからです。

 後に松五郎は、松崎慊堂と改名し、日本を代表する学者になりました。
当時は、学者は大勢の塾生を家に住み込みませて、学問を授けました。
そんな若い書生たちを、おすみはよく面倒をみました。

 松崎慊堂の弟子に、渡辺崋山や高野長英など、江戸後期の名だたる学者たちがいます。
そんな彼らから、おすみは母のように慕われながらこの世を去っています。

 職業に貴賤はありません。
職業や身分より、その人物が、人として尊敬できるかどうか、人としての矜持(きょうじ)を失わずに生きているかど うか、そういうことを大切にしてきたのが日本人です。

 それが、ひとりひとりの人間を公民(皇民)として扱うという日本古来の伝統・考え方から生まれ育まれた、日本人の美質です。



  それにしても、日本の凄さには感動するしかないですね。こんな素晴らしい日本を作り上げてくれた先人に感謝しかない。
  それを、ここまで劣化させて平気な戦後利得者達の卑劣さには腹が煮えくり返ります。
  やはり、まずは文科省の廃止が必要です。