神道と一神教の違いを見事に教えてくれたのが、1月6日、第2394回の「★★★神道は道、宗教はハウツー本」で、取り上げたねずさんの説でした。
しかし、この説を一神教の人達に教えてあげたら納得するでしょうか。ちょっと難しいかもしれませんね。下手すれば争いになりそうです。これを如何に上手く説明するかで日本の立場も変わってくるかもしれません。
今度は、多神教も海外のそれとは違うと教えてくれています。こちらは争いにもならないかも。
その中で、ねずさんが書いてくれているガー ゴイルが気になってサーチして、長年の疑問が解決しました。
あの教会の屋根にある悪魔の像を何時も不気味としか思えず、何だろうと思っていましたが、何時ものように調べることも無く今まで来てしまいました。
ところが、なんとあれば樋だそうです。樋にあんな装飾を施す感覚も日本人とは違うようです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/05/16
日本の多神教 と海外の多神教(ポリティスティック・Polytheistic)はまったく異なるもの
・・・略
我々日本人は、特に幕末において、西洋の文物を学ぶために、外国の文献を日本語に翻訳するために、たくさんの用語を新設しま した。
たとえば、英語の「Right」を「権利」と訳したりしたわけです。
そこから「人権」などという言葉も生まれました。
「人権」は、人にもともと備わっているもの、というのが、おそらく多くの日本人の理解だと思われますが、ただし英語の 「Human rights」にもある「Right」という用語には、「神の御意思に基づく」という語彙があります。
ですから、たとえば悪さをした者が、たとえ人権を口にしたとしても、それは神の御意思に背く行動であったわけですから、当然、 処罰の対象となります。
しかし、翻訳語の「人権」には、そこにある肝心の「神の御意思」という概念が欠落しています。
このため、現代日本では「人権」という用語が一人歩きをしてしまっていて、むしろ悪事を是認するかのような使われ方をするに至っ ています。
福沢諭吉は、西周(にしあまね)らによるこの「権利」の翻訳について、これでは英語の意味がちゃんと伝わらないとして、 「Right」はむしろ「通義」と訳すべきだ、などと喝破していますが、まさにその通りとなったものといえます。
要するに、我々日本人は、幕末から明治にかけて、たくさんの欧米の用語を日本に輸入し、これによって明治以降、それまでの日本 になかった、まったく新たな日本文化を創生したわけですが、だからといって、そうして形成された日本文化を、単に辞書的な翻訳 で、英語やドイツ語に翻訳すると、意味がまったく違って相手に伝わってしまうことは、よくあるわけです。
近年では、英語を話せるようになりたい、ということから、小学校のうちから英語を学ばせようという動きが顕著になっています。
それはそれで良いことだと思いますが、そうであれば、それと並行して、あるいはそれ以上に、日本人としての日本的価値観や、歴史 文化伝統をしっかりと子たちに教えることが必要です。
ただ、英語を話せれば、外国人とコミュニケーションがとれると思ったら、大間違いなのです。
なぜなら、文化的背景が異なれば、単語の語彙からして、まったく意味が異なってしまうからです。
それにしても、日本は本当に世界と違っています。正に、日本の常識は世界の不常識です。やはり、日本は内外の使い分けを常に考えて海外との付き合いをしなければならないようです。
それが分からないのが外務省でしょうか。
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」
と書き記しています。この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。