団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

ソーラー自転車道

2011年01月31日 | 太陽光発電

  以前(第3640回)道路に太陽電池を敷き詰める話題を取上げ、そんな時代が早く来れば良いのにと書きましたが、オランダで実現しそうな様子です。

  IBTimes(アイビータイムズ)より  2011125 0751更新

   ソーラー自転車道

 オランダ北部にあるクロメニー(Krommenie)市では来年から太陽エネルギーを生産する自転車専用道路を導入する。

 世界でも初めての試みであるこの道路はソラロード(SolaRoad)と名付けられた。ソラロードは太陽電池を道路にはめ込んだもので、そのままでエネルギーを生産する。 北オランダ州の担当者によれば「クロメニーの自転車道路はパイロットプロジェクトであるが、その後オランダ中に拡大したい。オランダ全土で自転車専用道路だけでなく通常の道路でもこのシステムが利用されれば、かなりのエネルギーが補える。」という。

 ソラロードは北オランダ州とTNOそして他の2企業の共同開発である。4者がそれぞれ「インフラからの代替エネルギー生産」と「カーボンニュートラルな移動体」を研究している。

 ソーラー自転車道については26日にアムステルダムの科学博物館(NEMO)で詳細発表される。

 

  詳細はまだ良く分かりませんがその内新しい情報も出てくるでしょう。道路といっても、自転車道というのが自転車先進国のオランダらしいですね。
  こうした話題を見ると、自転車道の実現さえ何時のことか分からない日本にこんな話題が出てくることはないのでしょうか。
  子供手当てのようなばら撒きをやってる暇があるのならこうした日本の未来に繋がるような社会資本の充実に使って欲しいと思うのは私だけでしょうか。

  それにしても、このクロメニー(Krommenie)市はもしかしたらドイツのフライブルグのように一躍世界の脚光を浴びる存在になるかも知れませんね。

注目です!


大和川

2011年01月28日 | 日本再生

  

邪馬台国がどこにあったかなんてそれほど興味は無いのですが、今回の纒向遺跡の話題は別な意味で興味が沸きました。それは昔の大和川の位置でした。
  大和川と言えば日本で二番目に汚いなんて話題ばかりでしたが見直さないといけないですね。

  大阪湾から朝どれ魚 卑弥呼の時代「想像超すグルメ」…纒向まで半日

 (2011122読売新聞)

  タイやアジ、シカなど豊かな海の幸、山の幸を、神々にささげて食したのは、邪馬台国の女王・卑弥呼だったのか。21日、奈良県桜井市教委が発表した纒向(まきむく)遺跡の土壌の分析結果は、邪馬台国が存在した3世紀中頃、内陸の奈良盆地に様々な食材が集まっていたことを示し、豪勢な〈卑弥呼の食卓〉への想像をかき立ててくれる。

  タイやアジなどは大阪湾で取れたものとみられる。タイは今でも、80センチもあるような雄を先頭に群れをつくり、紀伊半島沖から大阪湾に入ってくるという。

 現在の大阪港から纒向遺跡までは直線距離で約40キロ。3世紀頃は、大阪平野に「河内湖」と呼ばれる潟湖が広がり、海岸線は今より10~15キロも内陸に入っていた。朝どれの魚は、大和川を使えば、半日ほどで纒向に届いたと考えられる。

…以下略

  参考:大和川大和川物語

 地元の人や考古学をやってる人にとってはこの大和川の付け替えや海岸線などは常識なのでしょうが、私にとっては驚きでした。
  今の大和川しか頭に無い私にとって今までの
纒向(まきむく)遺跡に殆ど関心が無かったのですが、この昔の大和川の図を見て一気に興味が沸いてきました。成る程、これなら大阪からの輸送も便利でしょう。川下から川に沿って上流に移動して行って定着するのも納得が行きます。
  それにしても、相変わらずの無知に情けなくなります。歴史なんて地理の移り変わりを考えるのは当たり前なんでしょうね。現在の状態でしか想像しない自分の頭につくづく想像力の無さを思い知らされました。

頭悪い!


かかずらう

2011年01月27日 | 無知

  

日頃使い慣れない言葉を使うと恥をかきますね。先日柄にも無く「かかずらわりたくない」と言おうとして「かかずらわりたくない、…いや、かかわずらりたくない」とどっちかわからなくなり舌までもつれてしまいました。
  ということで、ネットで調べて見ました。

  かかずらう

   かかずら・う〔かかづらふ〕【▽係う/▽拘う】[動ワ五(ハ四)]

かかわりあいを持つ。かかわりあって離れられない状態になる。関係する。「不正事件に―・う」

気持ちや考えがそこにひっかかって離れなくなる。こだわる。拘泥する。「つまらぬところに―・う」「名目に―・う」

あちこちにひっかかる。

  どうやら、かかずらうの方が正解のようです。ただし私の様な間違いをする人もいるようです。

 かかわずらう 

 かかずらう+わずらう

 意味から言うとこちらが本当の様な気がしますが、間違いのようです。これを調べている途中で面白いのを見つけました。
  以前第話で取上げたサザンカの例がありました。

  ウィキペディア 音位転換

  …略

  語として定着した例 [編集]

音の入れ替わりは不特定多数の語において日常的に起きているのだが、ときに、入れ替わった音の並びが優勢になり、時を経てそのまま定着してしまう場合もある。以下、比較的なじみの深い語彙の中から例を挙げる。

日本語の例 [編集]

入れ替わった音を太字で示す。

新しい: ラタタラシイ

山茶花: ンザザン

映日果: エイジツカ *イジチクイチジク

※やや不規則な変化の例。ただし「イチジク」の語源には異説あり。

舌鼓: シタツヅミシタヅツミ

秋葉原: アキバハアキハバ

…以下略  

  音位転換ですか、全く知りませんでした。こうしてみると日本語も結構いい加減なところがあるんですね。というより言い易い方が定着するのでしょうか。正しいより大勢の方が強いというのもマスコミに踊らされる日本人の特性を象徴しているのでしょうか。

面白いですね!


フリーゲージトレイン

2011年01月25日 | 日本再生

  第2748回で新幹線がレール幅が違っても四国にそのまま乗り込めるフリーゲージトレインに期待していると書きましたが、あれから又暫く音沙汰がありませんでした。もしかしたらもう中止になったのだろうかと思っていましたが、どうやら続いていたようです。

  四国新聞社 | 香川のニュースより  2011/01/21

  フリーゲージトレイン走行試験/予讃線で4月開始

 国土交通省は20日までに、線路幅の異なる新幹線と在来線の双方に乗り入れられるフリーゲージトレイン(軌間可変電車)の実用化に向け、新たな台車を使った走行試験を4月にも四国のJR予讃線で始めることを決めた。

 フリーゲージトレインは、2018年春に開業予定の九州新幹線長崎ルートへの導入を目指し技術開発を進めている。走行試験はこれまで九州のJR日豊線などでも行ってきたが、カーブで減速が必要で、国交省はカーブの多い予讃線でスピードを上げたまま走れるかどうか、新型台車の性能やつなぎ目をなくしたレールの効果を検証する。

 フリーゲージトレインをめぐっては、山陽新幹線の岡山駅で乗り換えをせずに四国との行き来ができるなどとして、四国4県が国やJR西日本などに導入を要望。JR西日本は「実用化に課題が多く、開発の推移を見守っていく」としている。

  去年の暮れに青森まで、そして、今年の3月には鹿児島までとやっと新幹線が日本縦断を果たすのですが、このフリーゲージトレインが実現すれば四国も新幹線網に組み込まれる事になります。しかし何時の事でしょう。
  それにしても何度も書きますが、狭い日本に未だに新幹線網ができないというのは妙な民主主義が発達した為と言えば言い過ぎでしょうか。今の民主党政権をみていると、日本の発展を散々邪魔してきたところが政権を取ってしまったことでやっと何が悪かったのかを国民が知るところとなったのじゃないでしょうか。
  本当に大事な事を優先してやり遂げる為には個人や政党の為でなく国のことを考えて政治をしなければならないということが分かっただけが今回の民主党政権の功績でしょう。しかし、気付いた時は遅かったかもしれません。

どうなるのでしょう!


★ヘリにチェンソー

2011年01月24日 | 日記・その他

  第3666回で取上げたヘリコプターにチェンソーを取り付けて街路樹などをせんていするというスケールのデカイ話ですが、ネット巡回の途中で違った動画を見つけました。

Haverfield Aerial Saw Services  

  何度見ても驚かされます。特に、今回我体育館のクスノキの大木の剪定をするのに年寄りには運ぶのさえ重すぎて大変なのにそれを木に立てかけるのに散々苦労しました。きちんと立てかけるのに酷い時は一時間くらいかかりました。
  そんな時、この動画を見て、こんなので剪定やってくれたら有り難いのにと羨ましく思ったものです。尤も、庭師さんを頼む予算も下りない状況ですから、そんなことは夢の又夢です。それにしても、何度も書きますが、予算が無いのなら木なんか植えるなと言いたい。
  ヘリでチェンソーを使えるくらいの予算を付けることができるようになってから木を植えて欲しいものです。迷惑している人は多いと思うのは私だけでしょうか。

さて、今度はケヤキだ!


阿久根市長選

2011年01月21日 | 日本再生

   第4030回でも取り上げた阿久根市の市長リコールによる選挙で竹原さんが落選してしまいましたね。

  鹿児島・阿久根市長に西平氏 3選目指した竹原氏は落選 2011116

  

  竹原氏は「市職員組合と報道に負けた」と敗戦の弁。今後の活動については「まだ何も考えていない」と話した。

 竹原氏は過去2回の選挙戦と同様「官民格差の是正」に絞って訴えた。「支え合って生きる社会をつくるには、市職員が市民以上の高給をもらったら駄目」と説き、職員賞与の大幅削減や議員報酬の日当制(日額1万円)導入など在任中の実績を強調。職員や議会を「改革の抵抗勢力」と位置付け「阿久根が国を変える」と戦う姿勢を見せた。

 だが、片山善博総務相からも「違法で無効」と否定された専決処分などの強引な手法に市民の反感が高まり、長引く対立と混乱への不安を解消する展望を示せなかった。

 市長選はこの2年半で3度目。竹原氏は市議を経て2008年の市長選で初当選。議員定数の大幅削減案を否決されるなどして議会と対立し、2度の不信任決議を受けて失職した。09年5月の市長選で再選されたが、昨年8月に解職請求運動が始まり、先月5日の住民投票で失職した。

  竹原氏の頑張りに期待をしていたのですが、余りに強引にやりすぎたと言う事でしょうか。それにしても、昔からのしきたりや利権を変えるには並大抵のことでは不可能です。それだけに竹原氏の強引なやり方にも期待していたのですが、やはり、既成勢力に負けたということでしょうか。それでも、投票数にそれ程の差が付かなかったということはまだまだ変革に期待をしている市民もいるということでしょう。
  果たして、新しい市長が何処までやれるか注目したいですね。ここで改革が上手く行けば全国的にも良い手本となるかも知れません。並大抵の手法では通用しないでしょうね・
  もう一つの名古屋も気になるところです。

注目です!


島国根性

2011年01月20日 | 誇れる日本

  

子供の頃から嫌と言うほど叩き込まれた言葉に「島国根性」があります。日本は島国でその住民である日本人は「了見が狭い」というような否定的な意味として教えられ、嫌いな言葉になりました。その反対が「大陸的」で「おおらかな」という意味でした。ですから、その言葉に憧れて中国は「おおらかな」人たちが住む大らかな国というイメージが未だに付き纏っています。
  ネットで、中国の嫌らしさを知って中国を嫌いになった今、やっとその呪縛から逃れられたような気がしますが、それでも「島国根性」の方は未だに嫌なイメージがあります。
  ところが、そんな嫌なイメージを払拭させてくれるような面白いブログがありました。

  Resistance-日本より

  今こそ島国根性

  …略

  最近では、ほとんどの日本人も勘違いしているこの”島国根性”という言葉。私もガキンチョの頃は、それが正しい意味で使われていると思っていました。つまり、島国=小さくてみみっちいって意味だと思っていたわけです。実際、多くの人々はそういう意味だと思って使っていますよね。対して、“大陸的”という言葉も当然逆の意味だと思い込んでいる人が多い。まあ、メディアなんかがそういう意味合いで使っているので、そういう意味だと思い込むのは無理はないんですが、実際は全く正反対の意味なんですよね。

島国根性というのは、小さい場所でも精一杯頑張って行くという気概みたいなものを指している言葉で、全然ネガティブな意味じゃないわけです。言い換えれば、逆境なんてなんのそのって感じですね。スーパーポジティブな言葉ですわ。

一方“大陸的”っていうのは、歴史を知らないと理解できないでしょうが、とにかく打算的、裏切りへっちゃら、弱肉強食、生き残れば勝ちっていう発想を指すわけです。大陸っていうのは言わずもがな、国境はあっても地続きで他民族が暮らしているので、いつ侵略され滅ぼされるかわかったもんじゃねえっていう疑心暗鬼の中で生きるわけで、結局他人を信じないのが当たり前になっちゃうわけですね。だから、家を一歩出れば全て敵だっていう気持ちが深層に染み付いちゃってる。欧米人がやたら合理性を求めたり、中共人が金以外を信じないのは、自分以外の他人を信じないっていう心根があるからです。甘い顔して食われちゃたまらんっていう深層心理があるわけです。つまり、大陸的っていうのは日本人がイメージするおおらかさとか豪胆さとはまるっきり反対の意味なんですよ。…以下略

  参考:島国

  これは良いですね。長年胸につかえていた嫌なイメージが吹っ飛びます。「小さな場所でも精一杯頑張っていく」、これは「与えられた逆境も肯定的に捉え、耐えて頑張る」という日本人のイメージにピッタリです。
  大陸的が「自分以外の他人を信じない」というのも中国のイメージにピッタリです。

  こんな嬉しい解釈は初めてです。これで何となく日本人であることに抱いていた「島国根性」という負のイメージから抜け出す事ができそうです。考えたら、こんな言葉一つに拘ってきたのも自分の小ささに悩まされてきたからかもしれません。この呪縛から開放されるのは有り難い。

自信を持って生きて行けそう!


★素晴らしいブログ

2011年01月17日 | 誇れる日本

  今の民主党の主力をなす政権の中枢の団塊の世代酷さを見る度、その歴史認識の酷さが影響しているように思えます。ネットで始めて団塊の世代が下の世代に人気が無いのを知りましたが、何でだろうと不思議でした。しかし、この政権になっての出鱈目振りを目にして団塊の世代を名乗るのが恥ずかしくなるほどです。
  確かに、私の高校時代などを思い出しても、明治以後の近代の歴史は3学期の受験などの為か全くやらなかったようです。
  そして、マスコミなどによる自虐史観で戦前の日本の軍隊は酷かったと思い込んでいたように思います。とは言いながら、学生運動をする人たちには馴染めず学園封鎖を良い事に遊び暮らしていました。
  ですから、近代の日本を真剣に勉強した事もなくマスコミの洗脳に漠然と染まっていたようです。

   この部屋を始めた頃はまだどちらかと言えば体制に逆らう気分を持っていました。しかし、拉致事件が表面化してから、何かおかしいと思い出し、ネット巡回の順路も少しずつ変わってきました。
   そして、今、毎日のアップを楽しみにして巡回しているサイトはおおむね保守系のものに変わりました。
   その中でも、日本人の素晴らしさを紹介してくれている「
ねずきちの ひとりごと」に夢中です。毎朝、読みながらその先人の素晴らしさに思わず涙があふれそうになります。
  どの人達も素晴らしく、自分の不甲斐なさに情けなくなり、その精神のひとかけらでも自分の者にしたいと思う毎日です。
  こんな素晴らしい紹介を毎日上げるのは大変な作業の筈です。私のHPの10年連続なんか本当に自己満足でしか有りません。こんな素晴らしい日本人の歴史を教科書にして欲しいものです。こんな話を毎日読んでいたら日本の国がこんなにおかしくなる事は有り得ないと思われます。
  それにしても、こんな素晴らしい人達を貶める教育のできる日教組なるものは一体何なんでしょうね。これを排除しないとどうにもならないのかもしれません。

日本人は凄い!


カローラ王座陥落

2011年01月12日 | 日記・その他

  とうとうカローラが王座から滑り落ちましたね。年度によっては逆転された事もありましたし、軽と比べるとまけていることもありましたが、兎に角デビュー以来王座を死守してきたカローラが過去の数字でも逆転されたそうですからこれは画期的なことでしょう。
  それも、プリウスというハイブリッドカーに負けたのですから驚きです。日本人というのはこういうところを見ても本当に真面目なんでしょうね。私なんか決して手が出ない高級車ですが皆さんお金があるんですね。 

 SankeiBizより 2011.1.4

  トヨタ「プリウス」、歴代首位に 10年販売31万5000台超、カローラ抜く

 トヨタ自動車のハイブリッド車(HV)「プリウス」は、2010年の国内の年間新車販売台数が31万5000台を超え、これまで車名別で最も多かった1990年のトヨタ「カローラ」(30万8台)を上回り、20年ぶりに歴代首位が入れ替わったことが3日、分かった。

 プリウスは10年1~11月の11カ月間ですでに29万7563台を販売。同12月も28日時点で約1万8000台を販売し、年間での過去最高を更新した。低燃費や従来のHVより割安な価格に加え、エコカー補助金と減税を追い風に販売を伸ばした。…以下略

  全体の販売台数自体が減っている中、歴代首位も変わったのですから本当に画期的といえるのじゃないでしょうか。プリウスが大衆車になったという話もあるようです。
  とは言いながらも、優遇税制が終わった後、どんな動きになるかは分かりませんね。まだ、EVが取って代るのは先のことになりそうですが、それだって本当にそういう時代が来るのかどうかも分からないところです。
  私に言わせれば、「もうぼちぼち車を手放したらどうです。自転車はどうです。」となります。

余計なお世話ですか!


世間体

2011年01月12日 | 日本再生

  私が子供の頃、親や祖父からよく言われたのが「世間体」でした。それは、行動の基本に世間の目を常に意識することでした。つまりは、悪いことや卑怯なこと礼儀はずれな行動をして人様から後ろ指を指されないようにしなさいということである。
  その締め付けが厳しかったが故に、悪いことや卑怯なことは別として敢えて悪ぶって礼儀をわきまえないような行動をとるようになった気がします。若気の至りだったのでしょうが、その性格は未だに治らず、世間を狭くして生きてきたようです。
  しかし、最近のこの国の犯罪や礼儀や道徳の荒廃を見るにつけ、たがが外れないような行動をさせるためには法律だけでなく「世間体」というものも必要なのかもしれないと思います。

  そんなことを考えさせてくれる言葉がありました。

 宮崎正弘の国際ニュース・早読みより

  加瀬英明『徳の国富論』(自由社)

 ・・・略

 「江戸の人々は共通の価値観のもとで生活していたから、『世間体』がなによりも大事だった。世間体は、世間態とも書き、世間のひとびとに対する対面を意味し、見栄でもあった。世間の人々との人間関係が、天と同じように重要だった。ユダヤ・キリスト・イスラム教のように絶対神を想定することで、同じ価値観のもとに人々を結束させる文化もある。しかし、日本の場合は、社会そのものが人を見守る天であり、人々を束ねる役割を果たしていた」(本書44p)。・・・中略

  「日本国民は先の大戦で敗れた時にも、未曾有の困難によく耐えて、うちひしがれることがなかった。廃墟の中から立ち上がって、世界第二位の経済大国を築くことができた。それは江戸時代に培われ、日本を支えてきた精神のおかげだった。そうならば、いま私たちが直面している危機は、経済が停滞したことによってもたらされたのではない。精神が蝕まれて、日本人を日本人たらしめている心が失われようとしているからである」(242p)。・・・以下略

  相互監視の窮屈さを嫌った私も、放任すると何をするか分からない人間にとってある程度の相互監視は必要なのかもしれないと考えるようになりました。
  人間、罰が無く、恥を感じる心がなくなるとたがが外れてどんどん落ちて行くのが本性かもしれません。
  そうであるなら、やはり「世間体」のような規範も必要なのでしょう。

残念ではありますが!


盗難自転車

2011年01月11日 | 日本再生

  去年の8月に第3985回)放置自転車の通報をしてから半年近くの間あれほど多かった放置自転車がなくなりました。これは、常習者が警察の回収が早いので警戒して諦めたのかと密かに喜んでいました。
  ところが、年明け早々に通勤途中で又しても放置自転車らしきものがありました。どうも年末からそこにあったような気がします。住宅地のそばなのでもしかしたら何時も置いているのかもしれないと2、3日様子を見て見ましたが、やはり放置自転車のようでした。

 

 防犯番号を調べて警察に知らせましたが、相変わらず盗難届けが出ていないと…などと防御線を張っていました。
  さて回収に来るかな。
第4070回で駅の駐輪場に防犯カメラを設置してやる気を見せていた警察ですが、中身はどうなんでしょう。
  と言ってたら明くる日の朝にはなくなっていました。早い回収ありがとうございました。

頑張ってください!


雑草

2011年01月10日 | 日記・その他

  第3282回ムラサキカタバミとの戦いもあれからはところどころで芽は出してくるものの一時ほどの勢いも無く、見つける度に一つずつ殲滅して行けばなんとななりそうな様相になり、第3435回以来何と一年近くもあの激しかった雑草との戦いについて書いていませんでした。
  というのも、我が家の芝生は長年の戦いによる成果でしょうか殆ど雑草が目立たなくなり、たまに気になって抜きはじめても一時間もあれば片が付くので、段々と油断するようになりそれでも手が負えなくなるなんてことも無くなりました。そうなると益々、戦うことを忘れてしまい、気が付いたら一月以上も放ったらかしなんてことも増えてきました。
  それでも、余り油断をするとしっぺ返しを食いそうなので、いざ久し振りにと始めてみても、所々で目に付くくらいでやっぱり直ぐに終わってしまいます。

  これはもしかしたら、あの長い雑草との果てしない戦いもどうやら終わりを迎えたと言うことなのかもしれません。
  こうなるといつ終わるともないと思われた長い間の戦いも無駄ではなかったのかもしれません。最盛期には余りの果てしなさに何度も白旗をかかげて敵の軍門に下ろうとしたこともありましたが、何とか諦めずに続けてきた努力がやっと報われたようです。
  ここは素直に自分の努力を認めてこれからは楽をさせてもらいますか。とは言いながらも、ここで油断をすると又元の木阿弥なんてことにもなりかねないので、そこは気を引き締めて時々は注意をして見回ろうとは思っています。

本当に終わりならありがたい!


国体

2011年01月09日 | 日本再生

  第356話第397話で国体の天皇杯・皇后杯の開催権の持ち回りのようなやり方を非難しました。その後、第1140回で高知の橋本知事がその前例を打破したことを評価しましたが、後続はなく元の黙阿弥のようです。

  四国新聞社より 2011/01/04

  1月4日付・国体の姿

 国民体育大会(国体)で昨年、大きなひずみがあらわになった。アーチェリーの大分県高校生選手の交代手続き違反がわかり、地元大分国体の成績が抹消された。今年開催の山口県では、競技団体が選手や指導者と業務委託契約を結んで“移住”させていた。契約には他県の情報提供や、実績に応じた報酬まで取り決められていたそうだ。

 こうした事例から浮かび上がるのは、男女総合優勝に当たる天皇杯、女子の皇后杯獲得のため、なりふり構わない開催県の姿勢だ。もともと国体は戦争で荒廃した国土の復興へ向け始まり、地方のスポーツ振興や体育施設拡充に役立っていた。

 しかし今、ギャップが深い。1964年の新潟から一部を除き、開催県が天皇杯を取り続けてきたから、開催県にとってメンツがかかる。豊かとはいえない県まで無理をする。お金をつぎ込んで強化に努め、競技が地元に定着すればいいが、実情は心もとない。…中略

 このほか、国体諸問題を見直すプロジェクトも答申を目指し進行中。どんな明日が描かれるか。(K)

  誰がそんなに面子にこだわっているんでしょうか。無理やり優勝することが恥じだと思わないのでしょうか。
  こんなこと一つ改革できないのですからもっと大事なことがどうにもならないのは当たり前なのかもしれません。きっと、突き詰めて誰が面子にこだわっているのかを追求しても、誰も出てこないのじゃないでしょうか。皆が、幽霊におびえて責任を取りたくないので取り合えず前例どおりにしておこうなんてことなのじゃないでしょうか。
  高知の橋本さんのようなトップが決断するしかないのでしょう。そのくせ、折角作ってくれた前例は追随しないのですから何がなにやら分かりません。

おかしな世界です!


畑の上発電所

2011年01月09日 | 太陽光発電

  我が家の太陽光発電は映像でも分かるように屋根の上でなく鉄骨を組んだ上に折板の屋根を葺き、その上に太陽電池を取り付けたものです。これはお金が余っていたのではなく、我が家の屋根が小さすぎて2kW程度の太陽電池しか載らないために苦肉の策で設置したものです。そのために採算面から言うと殆ど採算は取れない状態です。今回の固定買取制度でかろうじて元が取れるかもしれないと言うところじゃないでしょうか。
  尤も、好きで設置したものですから後悔はしていないし、
毎日発電量を記録したりして結構楽しませてもらっています。
  それでも、もう少し安いのがあればもっと我が家のような方式の設置も増えるだろうにと思っていました。
  ところが、面白い設置方法の記事がありました。

 西日本新聞より  2010/01/01

 農漁村、場所を選ばず太陽光利用 畑の上も「発電所」 九大名誉教授がつり橋構造考案 熊本で実証実験へ 201011

 低炭素社会に向けて普及が期待される太陽光発電の〝地産地消〟を農漁村で広く進めようと、九州大学の太田俊昭名誉教授(構造工学)のグループが、つり橋構造で太陽光パネルを空中に張り巡らせる新発電装置を考案した。パネルの下のスペースも耕作地などとして利用可能で、傾斜地や海岸でも設置できるのが特長だ。熊本県内で実証実験を計画、2月にも装置設置の準備に入る。農水省も農漁村活性化の方策として注目している。

 「メガソーラー空中発電」と名付けられた新装置は、直径20~30センチのコンクリート製柱を建てて上部をケーブルでつなぎ、太陽光パネルを取り付ける仕組み。パネルの間隔を空けることでパネル下部への採光が可能。台風なども想定した強度で設計し、柱は耐久性を高めるため、太田氏が改良した炭素繊維強化プラスチックで補強する。

 現在の太陽光発電システムでは、パネルを設置する建物や整備地が必要で、農漁村での大規模な発電は難しい。これに対し、新装置は整地が不要な上、パネルが地上5~7メートルに浮いた状態になるため、ビニールハウスや養殖池などの上に設置することが可能。傾斜地や海岸、牧草地でも建てられるほか、耕作放棄地の有効利用にもつながる。

 土地の形状を変えずに設置範囲を広げることでコストダウンを図りやすい利点もあり、現在は発電力1キロワット当たり60万~70万円かかっている設置費用を、20万~30万円に抑えることを目指す。・・・以下略

  下部への採光が可能というのは良いですね。我が家の下部は芝生を植えているのですが、日照時間が短く雨が当たらないので他の場所と比べて葉が細く、緑になる時期も遅く、かろうじて生き長らえていると言う感じです。
  それだけに採光と雨が可能であることはその下で農作物を作るのも可能だと思われます。
  この方式が上手く行けば農地の上に太陽光発電が可能になるので設置可能面積が飛躍的に増えることになり、いよいよ全エネルギーを太陽光発電でなんてことも夢ではなくなるかもしれません。

段々面白くなってくる!


謎のペットボトル

2011年01月08日 | 中国

  第4106回第4116回で書いた家庭ごみのポイ捨てですが、正月明けの初出の日に、「年末年始のポイ捨てが溜まってるだろうなぁ」と覚悟して廻ってみると、例のペットボトルを小さく切ったものが捨てられていました。わざわざ3っつの袋に分けて歩道の植え込みの中に、それも三箇所に分けて捨てていました。

 

  どうです、手間がかかっているでしょう。これが月に何度か定期的に捨てられているのです。ここまで手間をかけて小さく切断したものを袋に小分けして捨てるのです。
  こんなに手間をかけてまで捨てるのは何故なんでしょう。そのまま捨てるより良心的と取ればいいのでしょうか。それとも、捨てる時に目立たずに捨てることができるからでしょうか。
  この小まめさに感心しながらも腹が立ちます。全く変な奴がいるもんです。

どこの人でしょう!