第3999回の 「トッポジージョ」などで柄にもなく虫の声を取り上げたりしていますが、毎年、盆が過ぎて、セミが鳴かなくなって、虫が夜泣き出すと、「ああ、やっと暑い 夏が終わったなぁ」とホッとします。日本人はだれでも虫の音を楽しみ、聞き分けができますが、外人は全て雑音にしか聞こえないというのを読んだことがあり ます。
それは、どうやら鳥の声にも当てはまるようです。
最近サイト順路に入れている何時もの井口さんが面白い動画をとりあげ、そこで書かれています。
Kazumoto Iguchi's blogより 2014年 04月 23日
日本は世界の「故郷」か?:「日本へ1番行きたい」、「日本に住みたい」、「日本から帰りたくない」
…中略
我が家はここほど田舎ではないが、毎朝まったく同じような自然の音に包まれている。うぐいすの鳴き声は毎日聞くし、庭先にもうぐいすが止まる。特にめずらしいわけではない。
さて、問題は、というより、面白いのは、この海外の反応を見ても、この映像では、これほどというほどに「うぐいすの鳴き声」が聞こえているのに、誰一人 「うぐいすの鳴き声」について反応したものがいない、ということである。これは、海外の外人には、うぐいすの鳴き声は自然の中の音や雑音の一種でしか無い ということである。
これは人間の脳の問題としてよく知られているものである。
我々日本人は、うぐいすの鳴き声は
「ほ~~~~、ほっけきょ~~」
と聞こえる。だから、うぐいすの鳴き声が「法華経(ほっけきょう)」(=仏教の一門)の読みの音と似ているために、しばしば
「ほ~~~、法華経」
とうぐいすが鳴いているという認識をすることができる。
しかしながら、外人にはこういうことはまったく感知能力がないのである。だから、「和の心」は伝達不可能なのである。脳構造や言語構造が異なるからである。これについては、すでにだいぶ前にここにメモしていたから、それを再掲しておこう。以下のものである。…中略
これは人種差別でもなければ、偏見でもない。すでに30年前から脳科学では証明された有名な科学的事実なのである。日本語で育った人とそうでは ない人の脳には明確な違いが存在するのである。そういう差が自然に出来るようになるのである。人種の問題ではない。育ちの問題なのである。育ちが問題にな るかなり最初の例の一つである。
日本人なら、この動画を見たらすぐに鶯が鳴いているのに気が付くでしょう。私でも、そう思いました。鶯の声を聞き分けられない日本人ってきっといないんじゃないでしょうか。
我が家にも、毎年、今頃、裏の家の畑にある梅ノ木に鶯が来て鳴きます。年に一度だけの鳴き声ですが、ああ、今年も来たなと嬉しくなります。
それが、外人には聞き分けられないと聞いてあの虫の声を思い出しました。まさか、鳥の声まで雑音とは。
こうしてみると、日本人って本当に素晴らしいですね。雑音を聞き分け楽しんでいるんですから、人生余分に得したようなものじゃないですか。
これも、もしかしたら、第5332回の「日本人の美質を最大限に生かした経営」などでも書いた高い民度とも関係ありそうな気がします。
その感性の豊かさが日本語のお蔭と言うのも驚きです。こうなると、これも井口さんが書いていたのを取り上げた、第5279回の「日本語を 世界共通語に」を思い出します。やはり、日本語は凄い。
もう一つ、取り上げていた「しょうがない」の素晴らしさに気づいたアメリカ人の女性の動画です。これも考えさせられます。
日本人と日本語は世界一なのかもしれませんね。第265回の「ねずさんの小倉百人一首」などからも昔から連綿と続いてきた日本の言葉の凄さを思い知らされます。戦前まではあの百人一首を理解できたことを思うと、つくすくGHQの恐ろしさを感じずにはいられません。
もう一度取り戻したいものです!