団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★「在宅死」考

2023年01月23日 | 尊厳死

 尊厳死を産経新聞が在宅死との言葉で取り上げてくれています。やはり、自宅で死にたいと考える人は多いようです。
  ところが、相変わらずこういう問題に触りたくない議員達は取り組もうともしないのが殆どのようです。

  その結果として、偶然でしょうか同じ産経が高額医療を取り上げてくれています。 
  放置しているのですから当然でしょうが、これまでの最高額になったようです。
  何時まで放置しておくのでしょうか。これも今問題になっているColabo問題と同じで真剣に取り組まない政治家達の怠慢でしょう。

  もう一つ尊厳死に関わる深刻な記事もありました。ニセ医者が父親を尊厳死させたものです。


健保組合で「医療費月1000万円以上」の患者が過去最多https://t.co/mGEWyMHJqW

  これも、政治家が国や国民の為に働くという考えがなく、自分の職をまもることにしか無いことが原因じゃないでしょうか。

何時になったら国の為に働く議員が出るのか!

★安楽死の是非で10月から「国民対話」 仏、来年の新法めざす

2022年09月23日 | 尊厳死

 日本では老人の無駄な延命治療で医療費が莫大なものになって健康保険が大変なことになっています。
  欧米では安楽死を認めている国もあり、老人を尊厳死させてくれるところもあるようです。

  フランスが安楽死の是非で国民対話をするそうです。来年の新報を目指しているようです。
  日本が老人を無駄に延命させない時代は来るのでしょうか。

  やはり、これも行き過ぎた民主主義のなせる技でしょうか。と言うか、腰の引けた政治家には絶対に取り組めないでしょう。
  覚悟の無い政治家は本当に役にたちません。そして、それは選ぶ国民に覚悟が無いということです。
  日本人はどこまで平和ボケに浸かって生きるのでしょうか。


やはり、いい加減に目覚めて欲しい!

★「いつ死んでもいい」という心境になれば、解放感が得られる

2022年06月05日 | 尊厳死

 いつ死んでもいいと言うか早くあっちへ行きたいという心境になれば物事に拘ることもなくなり本当に楽です。
  とは言え、どこまでその境地に達しているかの自信はない。その時が来ればきっと恥を晒すことをやるのじゃないかとも思っています。
  しかし、少々体調が悪かったり、これはあの病気かなと思うことがあっても病院に行く必要もないので本当に楽なものです。
  食事も朝昼晩のメニューは殆ど同じなので考える必要も殆どない。楽ですよ。

  同じような心境を書いた本が出たようです。宮崎さんが書評で取り上げてくれています。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)5月26日(木曜日) 通巻第7348号

  書評  

 「いつ死んでもいい」という心境になれば、解放感が得られる
   人生を左右するのは運命であり、逆らえないのだ

  曾野綾子『人生を変える 距離感の作法』(マガジンハウス)

 ソーシャル・ディスタンスはコロナ以後のはやり言葉だが、本書の説く「距離感」とは、社会生活における人間関係、夫 婦、家 族、友人、同僚、知人との間合い、つまりメタフィジカル・ディスタンスだろう。ほどほどの距離感を保つと、人生は心地よい。 距離がとれないと家庭、職場、団体で迷いや悩みになってしまう。
 曾野さんの文章は平明でやさしく難解な語彙はないが、言葉にバネのようなパワーが備わっている。
 三浦朱門氏と結婚を決めたのも、「僕は嘘つきです」と言ったからとか。「こうしたことをちゃんと口にするような、精神 の襞 をもつ人なら結婚してもいいと思った」(70p)と、かのおしどり夫婦の距離感をあけすけに打ち明けられる。
 評者(宮崎)は曾野さんとは何回かお目にかかっているものの、小説の読者ではなく、しかし随筆と旅行記はかなり読んで い る。半世紀前、御自宅に伺ったこともあった。目的は三浦朱門氏へのインタビューだったが、応接間にひょいと曾野さんが顔を出 された。新聞のチラシを捨てないでとか、なんとかを呟いて、書斎に行かれた。いま思い出した。曾野綾子編『保革逆転』 (浪 漫)は評者が担当だった。
 さて曾野さんと言えば総合誌の巻頭エッセイを掛け持ちで書かれていたが、人生論もたくさん上梓されておられ、いずれも ベス トセラー。一方では世界各地を、それも冒険家が尻込みするような奥地にまで足を運んでの慈善事業、ながらく日本財団の会長を ボランティアで努められた。

 評者にとって一番印象が深いのは南米のチリだったか、アルゼンチンの山奥の教会にシスターとして奉仕し、一生を終えた 日本人女性のことだった。『諸君』に書かれたと思うが、題名が思い出せない。
ところが、数年後、その女性の実弟K氏が、小生の知り合いで、後始末のためスペイン語を習い、当該の山奥へ行ってきたと いう壮烈な後日談を聞いたことだった。 

死について、こう言われる。
「今の日本人は『死』というものが間近にないので、かえって人間がどういきているかーーということを学べていない。死を 学ばなければ、生きる意味もわからない。『死との距離感が遠すぎる』ことが重大な問題である」(113p)。
「死を意識すると、生涯は限りあるものだとわかってくる。そうすると、人生の一瞬一瞬を大切にしていこうと思える」 (119p)
年老いて、「いつ死んでもいい」とおもう感覚には「素晴らしい解放感がある」(129p)。 さらりと説かれる人生論の 爽快 さが凝縮されている。

  確かに解放感はあります。それが曾野さんの域に達しているかどうかの自身はない。単なる諦めなのかもしれません。

 
でも、楽なのは確か!

★島津製作所、認知症を血液で検査世界初

2021年06月30日 | 尊厳死

 にわとりの様に右を向いて左を向くともう何を考えていたかを忘れることが多くなったり、この部屋を書いていても熟知している人の名前も出て来ないなんてことが度々で、いよいよ認知症が来たかと思わせられることが多くなりました。
  これも、無駄な長生きをしている所為だと諦めてはいます。と言うか、常に、認知症や精神病は患った本人は勝ちだと思っています。
  とは言え、回りの人達に多大な迷惑を懸けることになるのでなるべくなら患わないことだとは思っています。

  その認知症の世界も、16日、第7927回の「★エーザイの認知症薬、米で承認取得」で、取り上げたように徐々に研究が進んで克服する時代がくるのかもしれません。

  今度は、あの田中さんの島津製作所が血液検査で調べる方法を開発したそうです。いよいよ認知症も克服する時代が近づいたのでしょうか。
  これは、人類にとって明るいニュースです。とは言え、一方ではChina肺炎のように年寄りを減らすこともやられている疑いがあるのですから人間とは面白いものですね。

  それにしても、認知症を克服出きる研究をコツコツとやっている企業が日本にあることは誇らしいですね。
  何かと劣化の酷い日本企業にもそれなりに頑張ってくれているところがあるのは嬉しいものです。

頑張れ日本!

★英フィリップ殿下の葬儀

2021年04月22日 | 尊厳死

 英フィリップ殿下の葬儀は国葬とせずこじんまりと行われたようです。これもChina肺炎の所為であることに複雑なものがあります。
  英国民も悔しいのじゃないでしょうか。本来なら世界中から参列されるはずだったのですから。 

  こんなことも英国にとってはChinaを嫌う理由の一つになりそうです。

  30人と言えば今流行りの家族葬ですね。却って王室は喜んでいるなんてこともありそうです。
  と言うのも莫大な予算が大幅に縮小されたという恩恵はありそうです。

  実は、私もこれを狙っているのです。今なら、直葬で済んで極貧の身としては家族に負担を懸けずに済むことは誠に有難い。何とかそうならないものかと願っています。


★戦後日本を蔽う『健康ファシズム』を撃て

2020年12月12日 | 尊厳死

 富岡幸一郎さんが三島由紀夫を「生命尊重だけでよいのか」との視点で書いてくれたようです。
  宮崎さんが書評で何時ものようにご自分の経験から詳しく解説してくれています。

  戦後の行き過ぎた民主主義やリベラルがアメリカの選挙で吹き出して来ています。日本も同じようなものです。
  特に、老人を死なさない行き過ぎた医療が日本を破壊しかねません。もうスパゲッティ症候群から脱して尊厳死を真剣に考えるべきときでしょう。

  この本はそれを三島文学から考えさせてくれそうです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和2年(2020)12月4日(金曜日) 通巻第6721号   
    
  書評 

「生命尊重だけでよいのか」。戦後日本を蔽う『健康ファシズム』を撃て
  無機質で、ニュートラルで、抜け目のない日本に落ちぶれてしまったではないか

  富岡幸一郎『入門 三島由紀夫  文武両道の哲学』(ビジネス社)

 生命尊重の時代は終わったという基調で三島の文化論のエッセンスが奏でられる。
 文藝評論家の富岡氏は文学を超えて、三島由紀夫の人生と思想を、哲学的な視点から捉え直した。類書と異なって、この視 点は独特である。

 戦後日本を蔽うのは『健康ファシズム』である。しかしだらだらと長生きして、足腰が立たなくなって養護施設に入る。あ るいは意識はとうに失せているのに生命維持装置で物体としての肉体がまだ生きているという老残。

 正常な国家は国防と警察と裁判を司る。そのための徴税があり、徴兵がある。
 日本は国防の本義を忘れた軍隊なるものがあるが、福祉医療保険の予算の五分の一以下という本末転倒の姿に転落し、同時 に戦後の日本人から精神的生活を喪失せしめた。

 これが日本に普遍的な風景、ありきたりの日常となって、武士が闘うという本来の日本男子の道は、草食系やらLGBTQ によって圧殺された。
 当然、日本人から生命力、原始的エネルギーを奪うだろう。いや人間本来の生存本能さえ脅かすことになり、無機質で ニュートラルで、抜け目のない日本という、三島が予言した通りの現実が目の前にあらわれた。現実に、いま、そこにある危 機は少子高齢化で衰退する日本である。

 三島は叫んだのだ。「生命尊重だけでよいのか」と。
 さて没後五十年、第五十回追悼会「憂国忌」も終わって、この五十年という節目に上梓された三島関連、森田必勝関連の書 籍は二十数点にもなることに評者は改めて驚いた。まさに三島由紀夫は「死後も成長する作家」(秋山駿)である。

 小欄ではすでに佐藤秀明、井上隆史、関健、そして犬塚潔氏の四作を書評してきたが、おそらく本書が今年度の三島本書評 の掉尾となる。
 富岡氏は『文化防衛論』と『葉隠入門』ならびに『行動学入門』に論点を絞り込んだ。そのため文学が遠景にあるのかと言 えばそうではなく、富岡氏の三島論の語彙は文学的なのである。

 富岡氏はこう指摘する。
 三島の文化を論じた作品群は「戦後の日本人に突きつけた」、「劇薬」である、と。
 三島は『文化防衛論』のなかで、「日本文化は、本来オリジナルとコピーの分別を持たぬことである。西欧ではものとして の文化は主として石で造られているが、日本のそれは木で作られている。オリジナルの破壊は二度と甦らぬ最終的破壊であ り、ものとしての文化はここに廃絶するから、パリはそのようにして敵に明け渡された」。

 富岡氏は三島の『文化防衛論』を読みながら伊勢神宮へ参拝した。
 「無の空間」、伊勢神宮には「聖域」、神聖な場所として置かれ、「ここに一つの日本文化の特徴がある」と感銘した。日 本文化の具体的な姿であり、「文化概念の特質は、各代の天皇の在り方にそのまま結びついている」。
それが伊勢神宮の特徴だと説かれる。

 三島由紀夫の文化防衛論の肯綮は、次の箇所にもある。
 「速須佐之男の命は、己れの罪によって放逐されてのち、英雄となる」
つまり、「日本における反逆や革命の最終の倫理的根源が、まさにその反逆や革命の対象たる日神にあるこあとを、文化は教 えられている」

  日本人の死生観が変わったのは、あの福田赳夫が「人の命は地球より重い」とほざいて過激派を釈放してからじゃないでしょうか。
  もう一度、日本人が築き上げて来た切腹で責任を取る精神を見直す必要もあるのじゃないでしょうか。

それが尊厳死でしょう!

★ニュージーランド安楽死の合法化投票

2020年11月04日 | 尊厳死

 ニュージーランドが、安楽死の合法化の投票を行ったそうです。暫定では賛成が多かったそうです。果たしてどんな結果になるのでしょうか。

  何と、これが世界で初めての国民投票だそうです。日本がこんな時代になるのは何時のことでしょうか。
  憲法改正も出来ない日本でこれが受け入れられるのは当分不可能でしょう。と言うか、そんな時代は永久に来ないのかも。

  日本でも、安楽死とまでは行かなくても無駄な延命治療を止めることは自由に選びたいものです。本人がその気でも、それが家族に負担になる日本では難しそうです。


★安楽死・尊厳死に賛成

2020年07月31日 | 尊厳死

 今回のChina肺炎で、日本政府や政・官・財・マスメディアが如何に日本人の為を考えて仕事をしていないかに改めて気が付きがっかりさせられることが多い。
   Chineseを入国禁止しなかったことはその最大の証拠でしょう。最も日本人のことを考えていないのはやはり政治家でしょう。何といっても国や国民の為じゃなく自分の就職の為に政治家になっている人が殆どのように思えるのが何とも情けないですね。

  そんな国民にとって大事な問題が起こっています。この部屋でもジャンルの一つとして尊厳死を挙げていますが、患者さんに頼まれて安楽死をさせた医師二人に嘱託殺人罪で逮捕状だそうです。

  政治家達はずっとこの尊厳死・安楽死の問題を放置してきました。奴等にとっては触らぬ神に祟りなしなのでしょう。
  それが、日本の医療費の増大の大きな問題になっていることを知りながら手を付けないのです。何の為に政治をやっているのでしょうか。
  
  門田隆将さんや阿比留留比さんも声を挙げてくれています。 



  こうやって、日本の根源とも言える問題を放置しておく政治家は必要ないでしょう。

  正に、憲法改正や靖国参拝などと同じ卑怯さを感じます。やはり、China肺炎を放置して私のような団塊の世代以上を整理すべきだったのじゃないでしょうか。その狙いを実現させたと思われるChinaのように。
 

国民の為の仕事をしろ!

★元パラ選手が安楽死 リオ、ロンドンで金銀銅

2019年10月27日 | 尊厳死

  ベルギーの元パラリンピックのメダリストが、兼ねてから予告していたように安楽死を選んだそうです。何と40歳だそうです。メダリストでさえ耐えかねる痛みが酷かったようです。

  毎日、何時しんでも良いと思ってる者が死ぬことも出来ず、こうした能力ある若い人が安楽死を選ぶ程の苦痛に耐えていたなんて世の中ままならぬものです。

  それにしても、安楽死の選べる国が羨ましくもあり、恐ろしくもあります。




   産経ニュースより     2019.10.23

  元 パラ選手が安楽死 リオ、ロンドンで金銀銅

 パラリンピックの車いす陸上女子メダリストで、安楽死の希望を公表していたベルギーのマリーケ・フェルフールトさん (40)が 死を決断し、同国東部の自宅で22日、医師の投薬を受けて亡くなった。関係者が明らかにした。2016年のリオデジャネイロ大会 での記者会見では「安楽死は殺人ではない。より長く生きるためのものだ」と訴え、タブーなき議論を呼び掛けていた。

 脊髄疾患で痛みに苦しむ中、ロンドン大会で金と銀、リオ大会で銀と銅のメダルを獲得。症状は次第に悪化していた。薬物 などで死 に導く安楽死は日本では違法だが、ベルギーでは完治の見込みがなく苦痛が耐えがたい患者の安楽死は合法化されている。(共同)

  日本のような安楽死どころか無理やり生かす国も考えものです。兼ねてから何度も書いているようにせめて尊厳死くらいは進めて貰いたいものです。願わくば安楽死も。


★老後の誤算 日本とドイツ

2018年11月28日 | 尊厳死

  このところエネルギー問題に取り組んでくれていた川口マーン惠美さんが『老後の誤算 日本とドイツ』という興味深い本をだされたようです。

  何時もの宮崎さんが書評で紹介してくれています。毎日、明日の朝目覚め無いことを願いながら床につくので、このへやでも、尊厳死のカテゴリーも作っています。
  若者達に負担を掛けないようにとの思いもあり、ここ二年は病院にも行っていませせん。出来ることなら最後は入院せずに自然死したいと願っていますが、こればっかりはどうにもなりませんね。

  やはり、ドイツでも医療費が大きな問題になっているようです。折角、先人が作りあげてくれた日本の素晴らしい医療保険制度も現在の平和ボケ日本人が老人医療や外国人問題などで壊そうとしているようです。

  宮崎正弘の国 際ニュー ス・ 早読みより   平成30年(2018年)11月23日(新嘗祭) 通巻第5899号  <前 日発行>

   書評 

 プライ ベート保険がないと、悲惨なことになるドイツ
  2035年には介護人材が79万人も不足すると予想される日本

  川口マーン惠美『老後の誤算 日本とドイツ』(草思社)

 近所の中学校には我が家の子供達も通った。その学校が十数年前に廃校となって、いま福祉センターになっている。
少子化によって小・中学校が急激に統廃合されている。
 評者(宮崎)のすむ町は「単身赴任者通り」という別名があって、高層マンションの大半が1DKのスタジオタイプである。だ から公園がいくつもあるが、子供達の笑い声も鳴き声も聞こえない。昼間、誰も遊んでいないのだ。
 朝の公園は逆で、ラジオ体操にどこからともなく集まってくる爺婆で一杯である。
 先週、所用あって商店街から一筋横道に入ったら、新築の見慣れぬマンション、ところが一階が全部喫茶店風。なんだろうと 思ったら老人ホームだった。
 町の景観が変わった。
 製本と印刷の町だった。出版不況の嵐がやってきて、いまフォークリフトが走り回る風景が消え、外国人労働者はコンビニしか いなくなり、居酒屋、焼鳥屋が激減した。町一番と評判だった蕎麦屋さんも、ひっそりと閉店した。
 これこそ少子高齢化、衰弱する社会の物理的実態である。

 そして団塊の世代が介護を必要とする時代がやってきた。年金基金も健康保険も基金が底をつきかけ、それなのに医療費、保険 料が適切なレートではなく、システムは息切れを見せ始めているが、近未来はもっと酷くなる。暗くなる。
 それならば高度福祉国家とされたドイツはどうなのか。在独三十五年の著者が、この問題に挑んだ。
 ドイツではプライベート保険に加盟していないと、まともに見てくれる医者は殆どいなくなった。老人ホームには入所を希望し ても、お金持ち以外は入れないというのがドイツの実情である。
 ならば高齢社会世界一の日本は、これからどうなるのか。
 日本のシステムは、じつは崩壊寸前の危機にさらされているのが実態である。
 そして「死」が確実にやってくる。日本は生命尊重、安楽死は認められず、脳死していても、最後の最後まで生命維持装置を外 さない。
 そこで参考になるのが北欧である。
 ドイツと日本の老後のことを総合比較して綴った本書の後半部に、川口さんはこう書く。
 スウェーデンでは「延命のための胃ろうはしない」。
 「点滴も、ただの延命のためだけなら、やはりしない」という。「意識もなく寝たきりの人々のおかげで、日本の平均寿命が世 界一に押し上げられているのなら、一位は返上しても差し支えないのではないか」と切実な訴えが続く。
 日本の生命尊重という「思想」は、やはり基本的に哲学上の欠陥があるのではないか。
 「北欧が日本と決定的に違うのは、死や寿命についての議論が、不謹慎でも、反道徳でもなく、純粋に科学的になされているこ とだ。それは死や寿命だけではなく、すべてのテーマに共通していて、移民政策についても、エネルギー政策についても、情緒は 取り除かれ、議論は極めて冷静だ」
 この箇所こそ、日本の一番の問題である、というのが読後感だった。

  【桜便 り】で、川口さんがゲストとしてこの問題を語ってくれています。この中で、水島さんが提言されている徴老制度は良いのじゃないでしょうか。

  川口さんは、53分45秒頃から。


  【Front Japan 桜】でもこの問題を取り上げてくれています。

  50分20秒過ぎから。


  やはり、私のような年寄りに延命治療は無駄です。自然に死なせて下さい。若い人達の負担を思ったら気軽に病院になんか行けないでしょう。


終末期は積極治療よりも緩和ケアに…

2018年03月11日 | 尊厳死

  一日も早くこの世からおさらばしたいと、死を待つだけの日々ですが、これが思ったようには行かないものです。
  そうなると、家族に面倒をかけずに、あっさりと行きたいものですが、これもなかなか思うようには行かないようです。

  それでも、この部屋で何度も取り上げて来た尊厳死が徐々に認知されてきいるようで、無駄な延命からは逃れられる可能性も出て来ているようです。これはあり難いですね。
  若者に医療費の負担を持たせる心配も減りそうです。

  産経WESTよ り    2018.2.27

 【関西の議論】終 末期は積極治療よりも緩和ケアに…相次ぐ医学会の方針「過剰な治療は苦しみを長引かせる」

 終末期を迎えた高齢者について、積極的な治療を控えて緩和ケアに移行することを選択肢に加える方針を、近年、医学会が相次いで 発表している。背景には、過剰な延命治療によって苦しむ時間を延ばすよりも、自然で安らかな死を求めるといった価値観の変化があ る。核となるのは、本人の意思。どんな最期を迎えたいか、家族や医療関係者、福祉関係者を交えて繰り返し話し合う必要性が指摘さ れている。(加納裕子)

「現場ではすでに行われている」

 昨年3月、日本呼吸器学会は「成人肺炎診療ガイドライン2017」を公表した。これまでのガイドラインでは治療が前提だった が、今回初めて、誤嚥性肺炎を繰り返し終末期にある高齢患者などに対し、本人や家族の意思によっては、積極治療を控えてモルヒネ の投与などの緩和ケアを行う選択肢を示した。作成委員の1人で大阪大学医学部付属病院感染制御部部長の朝野和典医師は「在宅や施 設の看取りの現場ではすでに行われていたこととのギャップを埋めただけ」と説明する。

 朝野医師によると、終末期における誤嚥性肺炎は、抗生剤の投与などによって軽快しても、何度も繰り返す可能性が高い。この場 合、積極的な治療は次の肺炎による苦しみを予約することにもなる上に、多くの場合、近い将来の死は避けられないという。

 ガイドラインでは、「積極的な治療が、必ずしも生命予後やQOL(生活の質)を改善するとはかぎらない」と明記。終末期である との判断は、複数の専門医による一致した診断が必要とし、本人や家族が積極的な治療を希望する場合は、抗生剤の使用などを選択肢 に入れるとした。

 朝野医師は「これまでは、医師が『患者のため』として本人や家族の意思を問わずに介入してきた。そんなパターナリズム(父権的 干渉)の医療は、そろそろ終わりにするべきだ」と訴える。…中略

  「欧米に寝たきり老人はいない-自分で決める人生最後の医療」などの著書がある北海道中央労災病院の宮本顕二病院長は「かつ ては医師が人工呼吸器を外すと大問題になったが、時代が変わってきた。家族は最後の親孝行として『できる治療は何でもしてくださ い』ということがあるが、本人の思いを想像してほしい。また、本人もどのように死を迎えたいかを家族に伝え、書き残すことが必要 だ」と話している。

 無駄な延命治療をせずに、あっさりと痛みも無く逝けたら最高ですが、やはり、こればっかりはどうなることやら。
  それでも、宮本御夫妻のような方達の頑張りで少しずつそうした方向に動きだしたのはありがたいですね。
  我々団塊の世代が居なくなれば、日本の政治や経済も一気に晴れ渡るのじゃないでしょうか。その為にも、延命することなく早めに始末して貰いたいものです。


★安楽死と尊厳死は違う

2018年01月17日 | 尊厳死

  世間の役にも立たず、無駄飯食らいの身としては、ここでも何度も書いているように、一日も早くあちらの世界に行きたいと願っているのですが、長患いで家族に迷惑を懸けることだけは避けたいものです。
  そんな思いから「尊厳死」について何度も取り上げてきました。
  
  そんな私も、尊厳死と安楽死は、同じものだと思っていました。ところが、これが全く違うもののようです。
  産経が、詳しく取り上げてくれています。かなり長いので、全文はリンク元で読んでください。
  
  iRONNAより 

  「安楽死で逝かせて」橋田壽賀子の主張はここがおかしい

  長尾和宏(長尾クリニック院長、日本尊厳死協会副理事長)

 脚本家の橋田壽賀子さんが『安楽死で死なせて下さい』という本を書かれた。多くの人が彼女の主張に賛同し、にわかに安楽死議論が盛んになっている。93歳の橋田さんは、もし認知症になると人に迷惑をかけるから、そうなる前にスイスの「ディグニタス」という安楽死支援組織に行き、そこで安楽死したいと主張されている。

 安楽死とは、まだ十分に余命がある人に医師が薬剤を用いて、死期を大幅に早める行為である。日本において安楽死は認められておらず、もし医師がそれを行うと殺人罪で逮捕される。しかし、欧米には法律で安楽死を認めている国がいくつかある。

話題になった脚本家の橋田壽賀子さんの著書
『安楽死で死なせて下さい』
 そのひとつであるスイスには3つの安楽死組織がある。そのうちディグニタスというNPO法人は外国人も受け入れている。筆者は5年前、「死の権利・世界連合」の大会がスイスで開催された際、チューリヒ郊外にあるディグニタスが運営する「看取りの家」を訪問し、代表から直接説明を聞く機会があった。

 そこには安楽死を望むスイス国民に混じって、安楽死が認められていないイギリスやドイツから主に末期がんの患者さんがやってくる。近くの病院を受診し、安楽死の条件のひとつである「余命半年」と診断されたら「自殺薬」を処方される。その薬を飲む前日には看取りの家の庭で家族や友人とお別れパーティーが開かれる。しかし、薬を飲むときはひとりである。NPO職員が死亡を確認すると、スイス警察が入り検視が行われる。遺体は近くで火葬され、骨となって本国に帰る。かかる費用はおおよそ100万円程度だ。橋田さんはそこに行き、安楽死したいと主張されている。

 そんな橋田さんにお伝えしたいことがある。私は尼崎の町医者である。外来診療の合間に在宅患者さんを訪問診療や往診をする。医師になり34年間、病院と在宅で2000人以上の死亡診断書を書いてきた。現在、年間100人以上の在宅看取りに寄り添っている。末期がんの人に関わると、9割以上の確率で自宅で看取っている。

 延命治療を行わず枯れていくことを容認し、上手に緩和医療を行えば、死ぬときは一般の人が想像するように苦しみはない。旅立つその日まで食べたり話したりできる。看取るのは末期がんだけではなく、半数はがん以外である。認知症や老衰、神経難病や慢性心不全や慢性腎不全など病気の種類を問わず、自宅での穏やかな最期が可能である。在宅医療というと家族介護のイメージが強いかもしれないが、独居の末期がんや認知症終末期であっても、本人が在宅での最期を希望すれば普通に看取っている。

 その詳細は、昨年末に上梓した『痛くない死に方』に詳しく述べた。また、全国の在宅看取りの現状に関しては私が監修した週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』に詳細なデータが公開されている。「独居の看取り」に関しても、勇美記念財団の支援を得て私がリーダーとなり実態調査やそれが可能となる町づくりのための提言を行っているところだ。たとえ独居の認知症であっても、24時間定期巡回型の訪問介護・看護があれば最後まで自宅で楽しく暮らすことに、なんの問題もない。しかし、多くの市民や病院のスタッフはこうした実態を知らないし、なかなか信じてもらえない。…中略

 マスコミではよく尊厳死と安楽死を取り間違えて報道している。2年前の11月1日に脳腫瘍で余命半年と宣告された29歳のブリタニー・メイナードさんが、予告通り米オレゴン州の自宅で亡くなった。これは自殺ないし医師による自殺幇助(ほうじょ)ないし安楽死である。しかし、多くのマスコミはこれを「尊厳死」と誤報した。しかしその後修正も検証もない。

 また「尊厳死させられる」とか「安楽死させられる」という表現を見かけるが、尊厳死にせよ安楽死にせよ「受動態」では決してなくあくまで「能動態」である。障害者施設の入所者殺傷事件において「安楽死させた」という表現は誤りである。あのような忌まわしい事件は単なる殺人事件であり、安楽死とはなんの関係もないことは明記しておきたい。

 以上をまとめると、橋田さんがいくら安楽死を望んでも、ディグニタス側は彼女を受け入れないのではないだろうか。なぜなら、日本はLWさえも法的担保されていない(できない)国であることを彼らはよく知っているからだ。彼らは国内法に基づいて粛々と本人の意思を尊重しているだけであり、裁判沙汰や国際的事件になることを嫌う。そもそも日本は、LW前提の安楽死どころか尊厳死すら議論が封殺されているような国だ。そんなややこしい国からやってきた人をスイス人が殺したらどんなことになるのか…
病気になり判断能力が失われた場合の処置を、事前に記したリビングウイル
 さらに、内閣府がLWの啓発自体を明確に否定している現状も明記しておきたい。その理由は「患者がLWを表明すると医師の訴訟リスクが高まる」である。私は逆だと思う。在宅看取りのほとんどが尊厳死であるが、患者さんがLWを表明していると私たち医療スタッフは本当に助かる。多くの尊厳死を診ている在宅医仲間も同意見である。あまりにも時代に真っ向から逆行する政府の見識である。しかも、今秋から「LW裁判」という行政訴訟が東京地裁で始まっているような国である。もし機会があればその行方についても論じたい。

 いずれにせよLWを書き、それを受け入れてくれる近くの医師や看護師を探しておけば、そんな異国の地にわざわざ行かなくても、橋田さんは住み慣れた自宅で最期まで暮らしピンピンコロリに近い形で穏やかに暮らすことができる。日本に法律はないけども、LWを包みこむACPという「和」の文化や「阿吽(あうん)の呼吸」がある国である。

 橋田さんの安楽死願望を水泳に例えてみよう。日本はまだ10メートルも泳げない「世界一のカナヅチ」の国だ。しかし、橋田さんがいきなり「私は10キロ泳ぎたい」と主張しても現実的ではない。もしかなうならば、橋田さんにまずはLWやそれに基づく尊厳死の啓発に協力していただきたい。小泉純一郎元首相や脚本家の倉本聰さんには日本尊厳死協会の顧問としてLWの普及啓発に努めていただいている。

 日本人にはなじまない安楽死に世論を導くのではなく、日本が「在宅での尊厳死(平穏死)」が可能である国であることを広く橋田ファン、そして世界に発信していただきたい。しかし、これまであまりにもタブー視されてきた「死」に関する議論に大きな風穴を開けていただいたことには深く感謝を申し上げたいのである。

  安楽死は難しいようですね。安楽死となると家族や医者にも苦悩を与えそうです。やはり素直に延命治療のない尊厳死の方が日本には受け入れられるのかも知れません。

  それにしても、ここでも政治の怠慢があるんですね。と言うかやはり反日売国左翼・在日共の反対が怖いのでしょう。全く、就職の為の議員ばかりということでしょう。命を懸けて政治をやるという気概なんてないのでしょうね。

  尊厳死が当然となれば、医療費の増大も解決出来、その予算を福祉にも回せるでしょう。これこそが、政治が取り組むべき問題ですが、選挙の怖い政治家には出来ないのでしょう。何とも情けないですね。


生前に自分の葬儀を自分で予約

2017年10月08日 | 尊厳死

  一日も早くこの世からおさらばしたいと願っていますが、心配しているのが葬儀代です。甲斐性無しの極貧の身で、死んでまで家族に負担を掛けたく無いので、何とか良い方法はないかと考えています。
  その願いを敵えてくれるのが直葬でしょう。ところが、これが、自分で申し込めるのなら良いのですが、残された家族に取っては問題です。私の場合は家族の了解は取れるのですが、問題は、親族やご近所をどう納得させるかです。
  田舎では、まだまだ葬儀は大切な儀式です。家族葬という良い流れも出て来ていますが、直葬となるとまだまだ抵抗はありそうです。

  そこで、自分で予約しておいて、その時、電話一本で、直ぐに処理してくれる方法があれば、家族にも余り迷惑を掛けずに済むのじゃないでしょうか。本当は、自分で電話できれば良いのですが、こればっかりは不可能です。

  そんなことを日頃から思っていたら、面白い記事がありました。葬儀を自分で予約できるのだそうです。これは面白そう。

  産経ニュースより     2017.9.27

 「お ひとりさま」生前に自分の葬儀を自分で予約 「早割」も エンディングも自己責任

 自分で自分のお葬式を準備する-。核家族や生涯独身、同居家族がいない「おひとりさま」が増える中、自身のエンディングの 責任も自分で持つ時代が訪れている。そんな時代に合わせたサービスを、オンラインで葬儀を仲介する企業が相次いで始めた。

 自分の葬儀を自分で予約

 定額、低料金の葬儀プラン「シンプルなお葬式」をインターネットを通じて販売している「みんれび」(東京都品川区)は8月 から、生前に葬儀内容を決めて、料金は前払いで済ませておくことができる「シンプルな生前契約」の受付を始めた。同社によれ ば、「少なくともオンライン葬儀仲介会社としては初めて」のサービスだという。

 同社は法事・法要で読経する僧侶を定額3万5千円で手配する「お坊さん便」のサービスを2013年からインターネットで提 供。交通費や心づけが不要であることをアピールし話題となったこともある。

 「シンプルな生前契約」は、身内だけで通夜・告別式を行う「家族葬」(39万8千円)など、同社の定額制葬儀プランから自 身が希望するものを選ぶ。葬儀の準備や費用のやりくりで残された家族を悩ませたくないという人を念頭に置いて商品を設計し た。

 例えば、死後に故人の銀行口座が凍結されることがあるが、生前に支払いを済ませておけば、凍結によって遺族が葬儀費用の支 払いで困るリスクも回避できる。家族葬の場合、通常より葬儀費用が3万円ほど安くなる特典もつけた。

 同社は3月に、直近に喪主などを経験した2千人を対象にインターネットでアンケートを行った。その結果、「葬儀社の検討を 行った時期」は、「故人が亡くなった後」(58%)、「危篤状態時」(8%)が多く、故人の遺志が反映されていないことが分 かった。また、葬儀費用をめぐる親族間でトのラブルも多いことも考慮、故人が生前に自ら葬儀の規模を決め、あらかじめ費用を 支払っておく商品をの発売に至った。

 みんれびマーケティング本部の高田綾佳さんは「残された伴侶に迷惑をかけたくないと申し込む人がいます。また、近い身寄り がおらず、遠い親類に葬儀をお願いする予定の人にもおすすめです」と話している。

 同社によると8月の販売以降、いまのところは親の葬儀を前提とした問い合わせが多いという。

 5万人以上が申し込み

 オンラインの葬儀仲介では取扱件数が最大の「小さなお葬式」は、8月、葬儀の「早割」のサービスを拡充した。

 「早割」は、あらかじめ500円のチケットを購入しておくと同社を通じた葬儀の料金が割り引かれるサービス。こちらも葬儀 の事前予約商品だ。

 2014年からチケットを販売。これまでに5万枚以上の申し込みの実績がある。3年30日の有効期限があったが、これをな くし無期限で使えるようにした。

 たとえば、通夜・告別式を行い参列者を迎える「小さな家族葬」(49万3千円)というコースを利用する場合、チケット購入 30日以降は1万5千円、1年後からは3万円、2年後からは5万円安くなる。早く申し込むほど安くなるサービスだ。

 家族の負担軽減

 これらサービスのメリットは、残された遺族の負担が軽減されるということ。葬儀のプランも身内だけ、またはごく親しい友人 らが参列する小規模なものである点でも共通している。

 「小さなお葬式」 を運営するIT企業「ユニクエスト・オンライン」 (大阪市西区)広報、立本梨紗さんは「高齢化で、会社勤めなどを終えてから長い時間がたち、呼ぶべきかつての同僚や友人がい ない人が増えている」と説明する。

 立本さんによれば、ユニクエスト・オンラインが2016年度に仲介した葬儀は3万5千件。前年度より1万1千件増と伸び続 けているという。(文化部 櫛田寿宏)

  これは、家族葬なので価格は、安いとはいえそれなりに必要です。商売ですから仕方無いでしょう。
  それに、直葬も扱わないのじゃないでしょうか。となると、ここは、自治体に扱ってもらいたいですね。
  5万円位で、予約しておいて、その時は電話一本で、処理してくれるなんて方式ができれば有難いですね。そうなれば、安心してあちらに行くことが出来ます。

  家族葬や直葬なども受け入れられる時代になってきているだけに可能性はありそうな肝します。

実現してほしい!

★ガンの治療はするな!

2017年10月05日 | 尊厳死

  この世に役立つことも無さそうなので、若い人達に負担を掛けないように一日も早く、おさらばしたいと願う毎日です。
  とは言いながら、根性なしで自死なんて度胸もありません。何とか、早くころっと行きたいものです。

  このへやでも、尊厳死について何度も取り上げて来ました。

  自死は、出来そうもないので、この部屋でも何度か書いた人体実験による寿命短縮を狙っています。
  今まで、朝食をバナナ一本と水1リットル強、昼は、マルちゃん正麺と続けてきましたが、これに、夜も御飯どんぶり一杯とレタスにマヨネーズと酢などで作ったドレッシングのようなものとプラスおかず2品くらいと決め6月初め頃から為しています。
  どこまで、あきずに耐えられるかと思っていましたが、今のところ毎日美味しく食べています。体の方は、ことさら弱ったということもないようです。人間て、案外強そうです。
  これで順調に弱ってくれてさよなら出来れば良いのですが、どうでしょう。

  只、痛い思いだけはしたくないので、もし癌になった場合、病院行かずにその痛みに耐えることが出来るかに自信がありませんでした。

  ところが、何時も、楽しみにしている武田鉄矢さんが「三枚下ろし」で、癌の治療はするなという興味深い題材を取り上げてくれています。これは面白そうです。


  これは良いですね。私として全面的に賛成です。なる程、餓死というのも案外良いのかも知れないですね。尤も、食いしん坊の私には耐えられそうもないですが、終末なら可能性はありそうです。

希望が沸いてきた!

自分は何も出来なくなったから死ぬ

2017年07月04日 | 尊厳死

  週末恒例の「討論」が、西部邁さんの新版を記念しての座談会になっていました。上島さんが出ていたので、取り敢えず見ていました。
  前半は、勉強不足の私の頭では付いていけませんでしたが、後半になって、死の話題で、俄然興味が沸いてきました。

  歳を取って、何の役にも立たず、もう死しか考えることがなくなり、この部屋でも、尊厳死
を何度も取り上げて来ただけに、この問題は見逃せません。

  2時間15分頃に、西部さんが、三島由紀夫さんが、ある歌舞伎役者が、瀬戸内海で観光船から投身自殺したときに残した遺書にあった「自分は何も出来なくなったから死ぬ」に、これで良いだと感激したとの話に共感しました。

    死については、2時間頃から。


  特攻で亡くなられた日本人が、その正反対に、病院で延命治療で、多くの無駄な金を使って、若い人達に迷惑をかける情け無い者になってしまったことこそが、日本人の劣化の象徴かもしれないですね。
  そういう私は、見苦しい死に方をして、恥を晒しそうな気もします。願わくば、尊厳死か自然死で死にたい。
  病院で、延命治療だけは受けたくない。

  無駄死にを待つ見としては、日本を貶めることばかりやっている「魂を悪魔に売った奴」等を一人でも多く道連れにしてやり、日本の役に立ちたいと思うのですが、その度胸もなし。
  やはり、見苦しく恥を晒して死んで行くのでしょう。と言うか、どんな死に様を晒すのか、楽しみでもあります。