団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

坂出人工土地

2015年07月01日 | 旅行

  私が子供の頃、我が坂出市は3っつの大きなプロジェクトが語られ、皆が期待で胸を膨らませていました。もちろん一番大きいのは何と言っても瀬戸大橋ですが、これは、どちらかと言うと最後まで中々決定しなかった物で、夢の夢でした。
  しかし、後2の番の州埋め立てと人工土地と言うのがあり、こちらは早くから決定していましたので一体どんなものが出来るのかと期待していたものです。ウィキから概要を引用してみました。人工土地はウィキにはありませんでしたが、沢山記事がありました。

  瀬戸大橋

  概要[編集]
 
   1978年の着工から9年6ヶ月を経て1988年4月10日供用開始され、総事業費はおよそ1兆1,338億円である。

  橋梁上部構造部分は、上部に4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が通る2階建ての構造であり、用途が2通りあることから「鉄道道路併用橋」と呼ばれている。…以下略

  番の州臨海工業団地

  概要[編集]

  当工業団地は1965年(昭和40年)から1972年(昭和47年)にかけて、香川県の単独事業として、番の州(坂出市沖合いの沙弥島と瀬居島の間に 広がっていた浅瀬)を埋め立てて造成した。工業団地全体の面積は620万8366平方メートル。うち工業用地面積は約490万平方メートルである。残りは 公園等に利用されている。埋立には備讃瀬戸南航路の浚渫により生じた約5000万立方メートルの土砂が使用された。このため総事業費は約140億円と、こ の規模の埋立にしては安価で済んだ。

  団地の中心を瀬戸大橋が貫通しており、四国の玄関口としての立地条件に恵まれている。電力は団地内にある番の州変電所から配電している。…以下略

  瀬戸大橋は最後でしたが、あの素晴らしい世界一の橋も、通行量がネックとなって開通当時の熱気は冷めてしまい、有効には使われていないと言っても過言ではないでしょう。
  この部屋で、第298話の「瀬戸大橋」などで、ウオーキングや自転車道、マラソン大会などありきたりの考えを書いてきましたが、そんな動きも無いようです。
  国にしても、自治体にしても、本気で有効利用しようという情熱は無いような気がします。あんな素晴らしい素材がありながら、指を咥えて見ているだけと言うのは余りにも勿体ないですね。
 
  ところで、もう一つの人工土地ですが、私も、子供の頃から興味がありながら、上に上がってみたのはほんの2,3年前が初めてでした。上がってみると、 想像していた以上に上手くできていて面白そうなところでした。ところが、アパートの多くが空き部屋になっていて寂れてしまっているという感じでした。やは り、今や借家に住もうと言う人も少ないのでしょうか。もっと、有効に利用できない者だろうか勿体ないなぁと思いながらも、いずれ、老朽化で取り壊される運 命なのだろうなと寂しい思いをしたものです。

  ところが、建築業界ではこの人工土地の評価は高いようです。ウィキにはありませんでしたが、専門家の人達などの称賛が沢山ありました。

  驚いたのは、世界的なDOCOMOMO(ドコモモ)日本支部という国際組織が保存を指定してくれているのだそうです。
  これは、もしかしたらやりようによっては世界中から観光客を呼ぶことができる面白いものになるかもしれません。
  特に、瀬戸大橋ウオーキングや自転車道、年に一回のマラソンなどと組み合わせれば、大化けする可能性もありそうな気がします。
  折角、こんな素晴らしい素材を持っているのですから、何とか活かしてもらいたいものです。

  ということで、人工土地を取り上げてくれているHPをリンクしました。リンク先には画像も沢山あるので是非、見てください。

  建築マップ ARCHITECTURAL Mapより

  坂出人工土地

  ALL-Aより

  坂出人工土地(市営 京町団地)

  概要

  団地の名称としては市営 京町団地だが、建築界では坂出人工土地という名で知られている。「人工土地」という独特な名前が示すように、これは非常に大胆な建築である。いや、一個の建築物というより土木と建築が融合した都市と理解した方がいいだろう。

   おおざっぱにいえば坂出人工土地とは巨大なペデストリアンデッキだ。内部に店舗と駐車場が入っていて上部は団地が広がっている。団地は、 予備知識無しに写真を見せられればそこがペデストリアンデッキの上とは思えないほど、自然な景観が広がっている。まさに人工土地と呼ぶに相応しい。

   ただし、シャッターを下ろしている店舗が多くて団地も空き家が目立つ上にメンテナンスが行き届いていないなど、現状は衰退している。他に例を見ない意欲的な構造物がこのまま朽ち果てるのは忍びない。何とか再生できないものだろうか。

  データ

  住所:香川県坂出市京町
   設計:大高正人
   竣工:1968(昭和43)年
   撮影:2006(平成18)年10月
  リンク
  坂出人工土地 建築マップ


  日経ビジネスオンラインより  2008年10月16日(木)

  日本住宅史上最大の実験、劇場上に市営住宅~坂出人工土地(1968年)/坂出市民ホール(1974年)、香川県坂出市~  宮沢 洋

  単行本『昭和モダン建築巡礼』では、終戦から高度経済成長期にかけて建設された全国57件のモダニズム建築を取材して回った。その中で「一番びっくりした建物はどれか」と聞かれたら、迷わずこの建物を挙げる。香川県坂出市の「坂出人工土地」だ。

  坂出市は、ビジネスマンが出張でよく行くような都市ではないと思うが、高松駅から坂出駅まではJRで15分ほど。高松出張のついでに寄ってみたい。

  坂出駅を出て、北に5分ほど歩くと、それは現れる。一見、普通の商店街と何ら変わらないように見えるが、視線を少し上に向けてほしい。

  「人工土地」である。文字通り、人工的につくった大地である。約4000坪の広い人工土地が地上6~9メートルの高さに生まれている。つま り、通常の2階の屋根ほどの高さに「第2の大地」がある。「第2の大地」の上には1~4階建ての市営住宅が立ち並ぶ。そして大地の下には商店街がびっしり と軒を連ね、縦横に道が通る。

  よく駅前の百貨店などに、駅の改札階と空中でつながる「ペデストリアンデッキ」というものがあるが、あれとは発想が全く違う。ペデストリア ンデッキは、建物の周りにくっついているものであって、デッキの上に百貨店が載っているわけではない。対してこの人工土地は、それ自体が自立した構造に なっている。実際、上部の市営住宅は1960年代後半から4期、20年間にわたって段階的に建設された。…以下略

  坂出人工土地

  坂出人工土地(清浜亀島住宅地区改良事業)は、当時の市長の言葉を借りれば「わが国で最初に人工地盤を設けた住宅団地」で、コンクリートの人工地盤 (1ha)をつくることによって「都市空間を生み出しその空間を効率的に最大限に活用する」「自然の土地を立体的に利用する」ものです。


 当時はまだ木造家屋が立ち並び瓦屋根の風景が美しい市街地に、がっちりした四角いコンクリート地盤がつくられ、そのうえに住宅団地が建設され ました(住宅143戸、集会所、子どもの遊び場、緑地)。地上の、街路に面するところは商店街とし、一部に坂出市民ホールが入り、それ以外は駐車場に使わ れています。


  地上を自動車に、空中のコンクリート・デッキの上に歩行者のエリアを配置するという、そう、スミッソン夫妻の思想・手法の発展形が、ここに 実現しているのです。スミッソン夫妻にとっては、「街路」は昔からヒューマン・アソシエーション、すなわち人と人の出会い・連帯・交歓の場であって、いつ の時代にも無くてはならないものでした。だから、地上の道路が自動車に占められるならば、人は空中に住み、街路もまた空中につくられる。ゴールデン・レー ン計画(1952年)、シェフィールド大学増築計画(53年)などに、その具体的な姿が示されました。

  ヨナ・フリードマンも、地上に広がる既存の都市を壊さずに、空中に新しい都市を建設することを提案しています。彼が最初に「空中都市」を発 表するのは1959年のことで、「パリ空中都市」(1959年)、「チュ二ス空中都市」(1960年)と続きます。車に邪魔されずに安全に生活できる新し い町が、空中に建設されるのです。

  日本では、JR柏駅前のペデストリアン・デッキなども同じ系譜に属するものですが、「坂出人工土地」の第一期は1966年に着工して、2年 弱で竣工します。設計者はメタボリズム・グループの一員、大高正人。世界の建築界で若手の建築家たちが議論していた空中都市のヴィジョンを、彼は十分に意 識していたはずです。ただし、「坂出人工土地」の場合は、既存の木造住宅地を完全にクリアランスします。記録によれば、この土地には木造平屋125戸、木 造2階33戸、耐火構造1戸、計159戸あったようで、その159戸を不良住宅128戸、良住宅27戸、住宅以外4戸と分類しています。すべてクリアラン スして地上レベルを駐車場とし、その上に人工のコンクリート・デッキを建設します。そしてデッキ上に、歩道・広場・児童公園などのある住宅地を建設したわ けです。人工土地全体で10,111、その内訳は住宅3,015、集会所160、児童公園678、住宅周囲の緑地1,561、広場歩道4,697となって います(単位は㎡)。

  何度も頓挫しかけながらも計画は実行されて、1980年頃(第4期)まで事業は進められました。

  現在訪れてみると、もはや木造家屋の甍の波は周囲からも消えてコンクリートビルが林立し、この人工土地のコンクリートの白さも目立たなく なっています。どこもかしこもコンクリート・ジャングルに変わってしまったのです。人工土地下の駐車場も、JRや高速道路の高架の下に見られる駐車場に似 て、特段奇異に感じません。むしろ、周囲の雑然とした開発に比べれば、たしかに「有機的な都市空間」があるようにすら感じます。

  ただ、ずいぶん空き部屋が目立ちます。その理由は二つあって、一つ目は、当時の住宅団地はどこもそうでしたが、ここでも1戸の床面積が非常 に狭いことです。それから、空き部屋化にはもう一つの理由が決定的に効いています。各住戸に風呂がないのです。周囲の住宅地には現在でも銭湯があります が、人工土地上には銭湯すらないので、きわめて住みにくい。ベランダに仮設的な風呂を自前で増築している例も数戸あります。海外でも1920年代から建設 された公共の集合住宅はどこも住戸内部が狭く、近年の補修工事をきっかけに隣り合う2戸を1戸にして、1戸あたりの延べ床面積を2倍にし、キッチン・風 呂・トイレなどの設備を現代化しています。この市営住宅でも、思い切った改修案を採用しなければ、全面的に廃墟化が進むのではないでしょうか。

  「人工土地」、戦後に夢として現れたこの思想と手法を、再検討する時期に来ています。思い切った手を打って、一つの時代の記念碑として受け継いでゆく努力も必要でしょう。   (2009年8月19日記)           

  香川県が本当の「アート県」になるには、坂出人工土地のリノベーションが必要だより 2014年2月11日

 「瀬戸内国際芸術祭2010」以来、アートを全面に打ち出すようになった香川県。確かに日本一狭い面積ながら、現代美術館や現代建築が点在し、庵治石に 魅せられたイサム・ノグチがアトリエを構えるなど、要素は豊富にある。「瀬戸内国際芸術祭2013」では、「うどん県」だけではなく「アート県」も標榜す るようになった。

  1 うどん県・要潤副知事ポスター「こころ動くアート県、香川へ」
    2 アート県・川井郁子副知事ポスター「うどん県アートコンペティション2012」

  だが、瀬戸内国際芸術祭は主会場が瀬戸内海の島々で、それもベネッセホールディングス関連の企業・財団と、安藤忠雄氏の建築物をメインにした集客に なっている。参加アーティストは多いが、やはり直島のベネッセハウスと地中美術館が目玉なのだ。香川県を本当の「アート県」にするためには、島だけではな く、都市部の市街地をもっと変えてほしいと思う。

  香川県には、DOCOMOMO(ドコモモ)日本支部が2003年に発表した「DOCOMOMO100選」*1 のうち、3件がある。DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings,sites and neighbourhoods of the Modern Movement)は1988年に設立された国際学術組織で、「モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存」を目的としている。
  016 香川県庁舎(香川県庁舎東館)/丹下健三/大林組/1958年/香川
  080 百十四銀行本店/日建設計/竹中工務店/1966年/香川
  093 坂出市人工土地/大高正人/鴻池組/1968年/香川*2

  このうち香川県庁舎、百十四銀行本店は香川県観光協会「アート県」特設サイト「香川の現代建築とアートマップ」でも紹介されているが、坂出人工土地は記載がない。

  坂出人工土地は、建築家・大高正人氏が68年~86年の4期に分けて完成させた約1.24ヘクタールの鉄筋コンクリートによる人工地盤で、下層部は商 店街や駐車場、上層部は団地や公園となり、市民ホールも組み込まれている。40年前に設計されたとは思えない斬新な建築物だが、メンテナンスが行き届か ず、老朽化ばかりが目立っている。

  最も課題なのは、この建築物の価値を地元の人々が認識していないことだろう。私は中学・高校時代が香川で、坂出人工土地もよく知っている。商店街や市 民ホールを利用したこともある。そのときは「人工土地」というネーミングが大げさに聞こえ、単なる複合施設としか思わなかったが、全国で先駆けとなった建 築物であることを後年知った。高知市の沢田マンションが有名になるなら、坂出人工土地もリノベーションすれば注目を集めると思う。大都市にこのような建築 物があれば、きっと最先端のスポットになっているだろう。建築物データベース「建築マップ」にも同じことが書かれている。…以下略


   朝日新聞デジタル  2013年9月18日

  坂出人工土地最古の模型見つかる 香川、半世紀前製作

  新たに発見された坂出人工土地の模型。人工地盤の上に4層構造のアパートなどが立つ=高松市玉藻町

  【柳谷政人】1968~86年に完成し、「空中都市」として注目を集めた坂出市京町2丁目の「坂出人工土地」。その構想段階で作られた木製模型が今夏、見つかった。半世紀前の最古の模型とみられる。…以下略

  
   DOCOMOMO(ドコモモ)日本支部
  
    DOCOMOMOについて

   ドコモモ(DOCOMOMO=Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement)
   モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織

  ドコモモは、20 世紀の建築における重要な潮流であったモダン・ムーブメントの歴史的・文化的重要性を認識し、その成果を記録するとともに、それにかかわる現存建物・環境 の保存を訴えるために、オランダのフーベルト・ヤン・ヘンケット(当時アイントホーヘン工科大学教授、現デルフト工科大学教授、初代会長)の提唱により、 1988 年に設立された国際学術組織で、近代建築史研究者だけでなく、建築家、建築エンジニア、都市計画家、行政関係者などが参加している。…以下略

  こんなに評価が高いとは全く知りませんでした。地元の人が価値を認識していないのが一番の問題だと書かれていましたが、その通りですね。お恥ずかしい。
  私だって、下の市民ホールには行ったことがありますが、上に上がったのは初めてだったのですから何をかいわんやです。

  瀬戸大橋を渡ったJRの最初の駅・坂出駅からメインの一本道をまっすぐ北に歩いてほんの2,3分のところの道路に面した右側にありますから直に分かり ます。興味のある人は、四国に来た時には坂出駅で途中下車して是非見てください。今はさびれていますが、良い素材になりそうな可能性が見える、面白い建物 です。

本当にもったいない!