団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★日本学術会議の妨害が弱まり大学の軍民両用「デュアルユース研究」が盛んになっている!

2024年08月01日 | 文科省・教育改正

 売国司式の代表のような日本学術会議は未だに放置されているようです。政府・自民党の腰の引けた対応には呆れるしかない。
  ところが、大学では常識が働いているようです。それは歓迎出来るのですが、だからと言って学術会議を放置しておくのは許せない。

  何時ものcoffeeさんが取り上げてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
  正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現   2024/7/30(火) 

  日本学術会議の妨害が弱まり大学の軍民両用「デュアルユース研究」が盛んになっている!前川喜平は悔しがる!日本学術会議は支那の軍事産業を支援して日本の防衛研究を禁止してきた

  それにしても、未だに学術会議の処分も出来ない日本政府・自民党は、やはりもう未来はないようです。
  青山さんの沢入だけが望みかも。さて、どうなることやら。


★「高校入試で外国人を優遇しろ」日本人差別や不公平が酷過ぎる

2024年07月04日 | 文科省・教育改正

 文科省は、何とかして日本を貶めたいのでしょうか。何と、高校入試で外国人をを優遇鵜しろと言い出したそうです。ほんとうでしょうか。
  余程、日本人が綺麗なのでしょうか。もしかしたら、文科省は「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」に押さえられて入るのでしょうか。

  何時ものcoffeeさんが取り上げてくれています。それにしsても、文科省はそれほどに日本をこわしたいのでしょうか。

  是非、何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現   2024/07/01(月)
 
  文科省「高校入試で外国人を優遇しろ」日本人差別や不公平が酷過ぎる「公立高校入試で外国籍の生徒に特別枠や辞書持ち込みなど配慮しろ」!広島県は令和2年から実施済み

  それにしても、国の基本である教育をこんな文科省に任せているようでは日本は消滅するしかないのでしょう。
  その文科省を放置している政府・自民等にもがっかりさせられます。


★祝!教科書検定ついに合格!その軌跡

2024年05月05日 | 文科省・教育改正

  竹田恒泰さんが、教科書検定合格の軌跡そ語ってくれています。その検定の仕方にはどうにも納得が行かないですが、官僚なんてそれが当たり前なのかも。
  
【公式】竹田恒泰チャンネル 2 より。それにしても、良く耐えて挑戦してくれたものですが、今回も現場で採用されないことが仕掛けられていたようです。
  何とも、日本の教育界は恐ろしい。何があっても日本を叩き潰したい勢力が蠢いているのでしょう。それを放置している政治は本当に情けない。


  さて、これでも採用する学校はあるのでしょうか。そんな学校が一校でもあって欲しいものです。

さて、どうなるのか!

★竹田恒泰の中学歴史教科書が検定に合格し、杉田水脈らが祝福する

2024年05月01日 | 文科省・教育改正

 竹田恒泰さんが長年挑戦していた中学歴史教科書が検定に合格したそうです。杉田水脈さん達も祝福してくれているようです。
  これは、素晴しいですね。是非、採用する中学が増えて欲しいものです。

  「改憲君主党チャンネル」が、取り上げてくれています。


  杉田さん教育勅語でも頑張ってくれているようです。
 

  武田三の教科書に早速Koreaが反応しているようです。全く、嫌な国です。

  【令和書籍】検定合格した竹田恒泰の中学歴史教科書に、さっそく例の国が反応する【改憲君主党チャンネル】


  さて、採用する中学があるでしょうか。良識のある中学が一校でもあることを期待します。

★頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたのか

2024年02月21日 | 文科省・教育改正

 日本史や世界史の面白くないのは当然だったようです。ねずさんがそれを頼朝の鎌倉幕府を例に教えてくれています。
  やはり、本物の歴史教育を受けたかったものです。残念です。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本   2023/02/19 

  頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたのか

  ・・・略

   さて本日、まずはじめに申し上げたいことは「社会科と歴史学は違う」ということです。

 戦後、GHQは、教育指令によって日本での歴史教育を禁止しました。
その禁止された状態で、日本の国会議員が中心となって、なんとか日本の子どもたちに歴史教育の片鱗でもいいから復活させたいと願い、復活したのが「社会科の中の歴史的分野」としての日本史であり世界史です。

 社会科というのは、あくまで社会常識として知っておくべき知識を与える教科です。
ですから「鎌倉幕府は1192年にできました」、以上おしまいです。
それだけでもいいから歴史教育を復活させようとしてくださった終戦直後の政治家の先生方の努力は、素晴らしものがあります。
けれど、昭和27年に主権を回復した後の日本が、2024年の現代においてもなお、歴史教育を社会科のままにしておいたことは、完全な政治の怠慢です。

 社会科と歴史学は違います。
歴史学であれば、事実に基づき、なぜ幕府が鎌倉に置かれたのかを、論理的に考えさせることが授業の主題です。
考えることが主題ですから、ここに正解はありません。
事実に基づいて自分の頭で考えること。
その考える力を過去の歴史を通して養うのが、歴史の授業です。…中略

 頼朝が幕府を中央から遠く離れた鎌倉に置いた理由。
それは、新田の開墾百姓たちにとっての最高権威の確立によって、流血を防ごうとした。
それは縄文以来の、流血を嫌う日本人の古くからの知恵に基づくものであったのです。
これはすごいことです。…中略

 つまり源平合戦は、

 貴族と米蔵を一致させた清盛派と、それに従う武士団と、
 あくまで新田の米蔵は別であるべきと考える武士団が、
 それぞれ平宗盛と源頼朝を押し立てて戦った

と考えなければ、歴史解釈の辻褄が合わなくなるのです。

 以上の解釈には、異論反論もあろうかと思います。…中略

 以上の解釈には、異論反論もあろうかと思います。
けれど歴史には、過去に起きた事実はあっても、「これが正解だ」というものはありません。
100人の歴史学者がいれば、100通りの解釈があるというのが、歴史学です。
つまり、反対意見があって良いのです。

 こうした学習により、生徒たちは、自分の意見だけが正しいのではなく、人によって、あるいは立場によって、さまざまな理論や意見があるということを認知する力を得ることができます。
人それぞれが顔貌が違うように、人それぞれ意見も違うのです。
その意見の異なる人達が、一緒になって何か事を為す。
そのためには何が必要なのかといえば、みんなに納得してもらえる自分に、自分が成長するしかないのです。
ここに「みがき」という日本古来の価値観との共通性があります。

 歴史にある年号や事件名、人物名をいくらたくさん暗記しても、そんなものは人生において何の役にも立ちません。
けれど、過去の事例を通じて、様々な人間模様を学ぶことは、自分自身を「みがく」ことにつながります。
ここに歴史教育の真の目的があります。

 ひと昔前までは、「男子は生涯一事を成せば足る」と言われました。
先人たちの過去を学べば、どんな聖人君主とされる人物であっても、悩み苦しみ、世間から後ろ指をさされてきたことがわかります。
百点満点の人など、この世にはいないのです。
どこか、みんな、欠陥車なのです。
そして欠陥車だからこそ、一生懸命に努力し、時代を拓いて行ったのです。
それが「生涯一事」の意味です。

 歴史学は、そうしたことにも気付きを与えてくれる学問なのです。 

  「むすび大学チャンネル」でもねずさんが歴史学の面白さを取り上げてくれています。


  それにしても、こんな素晴しい歴史を持つ日本で歴史を教えないのは何とも悔しいですね。そんな教育をして罪悪感が無いのでしょうか。
  何とも勿体ないことです。


★諭吉の「学問のすゝめ」についてまで嘘を教えてきた戦後日本

2024年02月06日 | 文科省・教育改正

 日本の教育の劣化を証明するのが、諭吉の「学問のすゝめ」で嘘を教えてきたことです。
  それも、ねずさんが教えてくれています。それにしても、ここまでの嘘を教えてきた日本の教育界は本当に狂っているとしか思えません。やはり、特亜3国かアメリカからの指令でしょうか。何とも情けない日本の教育界です。

  今回もねずさんが取り上げてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本   2023/02/03

  諭吉の「学問のすゝめ」についてまで嘘を教えてきた戦後日本

  ・・・略

  ところが・・・・です。
実際に福沢諭吉の「学問のすゝめ」を読んでみると、諭吉は、冒頭のこの言葉の後から、すぐにこのことを否定しているのです。21
ちょっと読んでみます。

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと
 一般にはいわれるけれど、
 現実に世間をみれば、
 かしこい人もあれば、おろかな人もある。
 貧しい人もいるし、富める人もいる。
 生まれたときから貴人もあれば、
 最初から卑しい身分で生まれて来る人もいる。
 その様子はまるで雲と泥の違いと同じです。」

 つまり福沢諭吉は、世間一般では「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずみたいなことをいうけれど、現実には、生まれたときから、雲と泥ほども違っているいるではないか」と書いているのです。
だからこそ、
 学問が大事だ。
 知的武装が大事だ。
 すこしでも賢くなれるように
 努力することが大事だ。
という論が『学問のすゝめ』で展開されているのです。

 それを、あたかも諭吉が
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と、人類の平等を説いているかのように教えたり、
「人は誰しも天賦の才があり、あらゆるものを持っているのだから、それを引き出すのが教育であり、価値観を押し付けるのはよくない」などというのは、
実は「教育を破壊する悪魔の囁き」です。・・・中略

 福沢諭吉の「学問のすゝめ」はたいへんよく読まれた本です。
ところが戦後左翼は、この言葉の一部だけを切り取り、あたかも諭吉のこの言葉が、共産主義的平等思想であるかのように偽装しました。
他人の言葉の枝葉末節だけをとりあげ、イメージだけで事実をねじ曲げるのは、まさに左翼のお家芸ですが、こういう、いわば現代日本人の常識となっている言葉ですら、意図的なねじ曲げを行うことは、非道です。

 近代史研究家の落合さんが、おもしろいことをおっしゃっていました。
その言葉を、今日の最後に掲げさせていただこうと思います。

「左翼思想は妄想
 運動は詐欺
 統治は犯罪
 悲劇は繰り返す
 予防が大切」

  左翼思想とはここまで狂っているんですね。こんなもので教育を歪められてはどうにもなりません。
  一日も早く教育界から一層しなければ日本は消滅でしょう。それにしても、恐ろしい奴等です。


★眠れなくなるほど面白い童子教

2024年02月05日 | 文科省・教育改正

 ねずさんが教えてくれた童子教を「むすび大学チャンネル」でも取り上げてくれています。
  それによると、この素晴しい教育を捨てたのは廃仏毀釈の影響があったそうです。旗して、それが日本にとって良かったかどうか疑問があります。
  その代わりとなったのが教育勅語だそうです。その教育勅語も捨てた日本は、やはりどこか狂っているのじゃないでしょうか。
  もう一度見直す必要があるでしょう。


  明治維新の廃仏毀釈が日本の教育を堕落させた元凶の一つだったとは驚きです。どうかんがえても、国の基本である教育の改正は何としても取り組まなければならない。


★2024年こそ読むべき「童子教」

2024年01月20日 | 文科省・教育改正

 日本はこのまま消滅するのか、それとも再生して世界を導くことが出来るようになるのか正念場の年になるのじゃないでしょうか。

  ねずさんが今年こそ「童子教」を読むべきと教えてくれています。折角、こんな素晴しい教えを持ちながら見向きもしない教育界の改革を急がない限り日本は消滅しかないでしょう。


  本当に日本の教育界は狂っています。ねずさんの警告に目覚める人はいないのでしょうか。そこまで、腐りきっているということなのでしょうか。
  未来の日本の為にはやはり教育改革しかないでしょう。ここを真剣にやらない限り何をしても無駄になりそうです


★日本学術会議が特殊法人化

2023年12月27日 | 文科省・教育改正

 日本学術会議がやっと特殊法人化だそうです。と言うか、これもどうも誤魔化しのように思えます。
  どうせ優柔不断総理に決断は出来ないのじゃないでしょうか。


   髙橋洋一チャンネル


  それにしても、ここまで反日売国組織を切ることも出来ない日本政府は本当に情けない。
  一体どこの国の政府なのでしょうか。正に、正しい国家観も歴史観も持たない奴等に任せるとこんな体たらくになる証拠です。


★学問とお勉強

2023年12月04日 | 文科省・教育改正

 年代を覚えるばかりの面白くもない歴史の授業でしたが、それは先生の試験の彩点を楽にするためだったのかもしれません。
  そんなことをねずさんが教えてくれています。やはり、学問をしたかったものです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。 

  ねず さん のひとりごとより  2023/12/01

  学問とお勉強

  ・・・略

  歴史のことを英語で「ヒストリー」と言います。
これはもともとが「ヒズ・ストーリー(His Story)」から来た言葉で、直訳すれば「彼の物語」です。
つまり歴史というのは「過去の出来事を時系列に沿ってストーリー化したもの」のことです。

 戦後の日本では、昭和20年にGHQによって歴史教育が禁止されて墨塗りになり、昭和22年に文部省の通達によって歴史教育は公式に禁止。代わって社会科が誕生しました。
歴史科と社会科は、まったく違います。
社会科は、社会の常識を教えるお勉強です。
ですから、
(問題)鎌倉幕府は何年に成立しましたか?
(答え)1192年です。ただし1185年という異説もあります。
が正解です。
おもしろいもので、社会科は文系でありながら、常に設問に答えがあるのです。

 これが歴史学になると、
(問題)どうして頼朝は鎌倉に幕府を開いたのか、その理由を説明せよ。
といった設問になります。
理由を書いた当時の文献史料はありません。
けれど鎌倉に幕府が開かれたことは、歴史的事実です。
この事実に基づいて、証拠をもとに仮説や推測を立てていく。
それが歴史学です。・・・中略

 歴史という学問も、古来そこに焦点があります。
過去を学び、どうしてそうなったのかを問い、いまの問題点を把握してその改善に努力する。
歴史はそのための学問です。
学校のテストで良い点数を取るための、現代的「お勉強」とは違うのです。  

  やはり、学問をやれなかったことは残念です。と言うか、その違いも分からなかったのが自分の限界だったのでしょう。情けない。


★千年後の歴史教科書

2023年11月22日 | 文科省・教育改正

 最初にねずさんが千年後の歴史教科書を書いてくれた時にはなる程と感心したものです。
  先人が植民地開放という人類史上でも最高といえる貢献をしたんだということに改めて感動しました。
  正に、日本の素晴しさを思い知らされたものです。

  今回もねずさんが書いてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。 

  ねず さん のひとりごとより   2023/11/16

  千年後の歴史教科書

 ・・・略 

  以下の文は、2012年から毎年掲載しているお話です。
千年後、様々な政治圧力が風化して、人々が冷静かつ客観的に物事の事実を時系列にちゃんと見れるようになった時代。
その時代には世界中の学校で、人類史として、500年続いた人が人を支配する時代としての植民地時代と、それを終わらせた20世紀の日本という歴史が必ず教えられるようになる、と、そういうお話です。

 ただ、いまもうひとつ大事なことを先に付け加えた上で、このお話を再掲したいと思います。
それは、千年後といわず、百年後二百年後の日本の教科書に、21世紀の初頭、情報化の進展によって世界中の人々が、一部の人達による利権が、それまでの世界で多くの命を奪ってきたこと。
そして世界の勢力図が大きく変わったとき、日本に昔からある「人こそが宝」という理念が世界を覆うことで、人類社会の構図が大きく変化した。これもまた日本の活躍に依るものであったと、そのように書かれるようになるに違いないということです。

 これまでの世界は、人々の良心や愛情など、身分の上下や力関係によって平然と踏みにじられたきたという歴史を持ちます。
国家規模のものとしての植民地支配は、私たちの先輩たちが激しい戦いの末、終わらせました。
次に来るのは、人々の精神の自立です。
戦後の日本は欧風化し、世界と同じように上下関係と銭がすべてを決めるという社会を築いてきました。
そのためにほんの少し前までの日本人は、世界中からエコノミックアニマルとそしられるようにさえなりました。
神々は、そんな日本に30年間の不況を与え、世界の経済から日本を大幅に後退させました。

 そして日本は、マネーばかりが幸せを築くものではないことを、期せずしていま、世界中に情報発信するようになりました。
6000年前、世界に文明をもたらしたのは「やまとの国」です。
そしていま、日本は再び「新しい日本」としての出発をしようとしています。…中略

  日本を神の国だという人がいます。
私には、それが本当かどうかは分かりません。
けれどひとつ言えるのは、戦後、私たち日本人が失った「日本の心」は、皆が幸せに、そして平和に暮らせる社会を皆で築いていこうという、世界の人々が待ちわびている神の心、神の願いと深いところでつながっている、そんな気がするのです。

 「日本を取り戻そう!」という言葉が、私たちの合い言葉になっています。
それは「日本の心」を取り戻すことでもあり、世界の人々にとって本当に幸せをもたらすものは何なのかを真剣に考え、行動していくことでもあります。
私たちはいま、それができるかどうかの瀬戸際に立っているように思います。

  こんな凄い歴史を持つ日本の教育界がそれを教えないことに先人との落差に愕然とさせられます。
  この先人の素晴しさを教えない日本に未来はないでしょう。一日も早く教育改革に取り組む必要があります。それしか日本の未来はない。


★戦後、日本に仕掛けられた歴史教育の闇を暴く!

2023年11月19日 | 文科省・教育改正

 教育問題を取り上げつづけてくれているねずさんが竹田恒泰さんに教科書問題を聞いてくれています。
  何度見ても、その教育界の劣化に呆れるしかない。この問題を放置している政治には呆れるばかりです。
  これだけで政府・自民党には存在意義は無い。

  「むすび大学チャンネル」にアップしてくれています。それにしても、この教科書の酷さには怒りしかない。


  竹田さんの教科書が採用されることを期待しますが、やはりそれ以上に教育界の改革こそが急がれます。
  日本の再生はそれなくしては有り得ない。それが出来ない日本に未来は無い。


★学校では教えない「士農工商」という大嘘

2023年11月10日 | 文科省・教育改正

 士農工商は学校教育で完全に信じていましたし、それこそが日本の基本の体制だと信じていました。
  それが大嘘であることを最初に教えてくれたのもねずさんでした。一体、我々は何を教えられたきたのでしょうか。何とも恐ろしい限りです。

 「むすび大学チャンネル」でもねずさんが取り上げてくれています。
  


  こんな国の基本的なことも嘘を教える戦後の日本の教育は完全に狂っていますね。日本の教育界は完全に売国組織t言えそうです。
  やはり、一日も早い改革こそが日本の未来の為に必要です。


★昔の解釈、いまの解釈

2023年11月03日 | 文科省・教育改正

 戦後の日本の劣化はやはり教育の劣化が原因と言っても間違いはないでしょう。
  ねずさんがその恐ろしさを教えてくれています。想像していた以上にその影響は大きいようです。
  それを改正もせず放置している政府の責任は余りにも重い。ここを改正しない限り日本の再生は有り得ないでしょう。 

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  

  昔の解釈、いまの解釈

  ・・・略

  昔の人は、教育勅語の原文から、これだけの深い意味をしっかりと受け止める勉強をしてきたし、文章を読むときには、そういう読み方ができるように日々研鑽を重ねてきていたわけです。

 そのためには、言葉の定義が、全国共通でしっかりと国民の中に定着していなければなりません。
教育はそのために行われたし、だからこそ教科書を国の機関である文部省が発行していたし、教育指導要綱が置かれて、その意味するところがしっかりと子たちに伝わるように教育が行われていたわけです。

 このことは、子たちにとって、おおきな知的刺激になります。
もっと知りたい、もっと学びたいという意欲を生みます。
だから子供たちの誰もが昔は学校に行きたがったし、家の用事で学校を休まなければならないときは、友達にノートを持ってきてもらい、「今日、先生、どんなお話をしてくれた?」と、瞳を輝かせて、授業内容を教わろうともしたのです。

 現代教育は、子どもたちにはむつかしいことなどわかりっこないから、やさしく、簡単にしたほうが良いのだと、しています。
そんなことはない。
実は子どもたちは、とっても優秀なのです。  

  それにしても、何時までこの劣化した教育を続けるつもりなのでしょうか。やはり、特亜3国やアメリカの下僕が日本の教育界にうようよしているということなのでしょう。何とも情けない奴らです。正に獅子身中の虫です。


★教育の劣化の原因

2023年10月29日 | 文科省・教育改正

 日本の大学の世界ランキングがどんどん低下しているのが不思議でした。それは、やはりGHQにより仕掛けられた戦後教育の劣化が大きな原因のようです。

  ねずさんが明治と今の学者の違いから取り上げてくれています。ここを直さない限り日本の教育は劣化が止まることを知らないようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。、

  

  老農・石川理紀之助

  ・・・略

  「老農」という言葉があります。
他に、篤農、精農、農聖、農哲などの呼び方があります。
在来の農法を研究し、自らの体験を加えて高い農業技術を身につけて農村における農業指導をする人のことです。

 老農という言葉が使われだしたのは明治にはいってからのことです。
江戸時代までは「農学者」とか「本草学」、あるいは「興産方産物掛」などと呼ばれていました。
 沢庵和尚が広げた「たくあん」、高野山から広まった「高野豆腐」も有名ですが、いつの時代でも、誰だって美味しいものは大好きです。
あたりまえのことですが、食を大切にした我が国において、農業と農業指導の歴史はものすごく古いものです。

 いま学者といえば、たいてい本の虫になっている人達のことをいいます。
このように「体を動かさないで頭だけを使うのが学者」というようになったのは、実は戦後のことです。
それ以前は、江戸時代もそうでしたし、明治大正昭和初期までずっとそうでしたけれど、基本的に学者というのは、体を使う人達でした。
知行合一が重視されたというだけでなく、
「机上の学問を、自ら進んで実社会に活かしてこそ学問」
というのが、学者の誇りとされていたのです。

 昨今の東大が、特に文系において、発展途上国の大学以下の評価しかされていないのは、まことに残念なことです。
しかしそれは当然のことでもあるのです。
戦後にGHQによる公職追放があって、江戸時代の昌平坂学問所以来の伝統的な行動派教授たちが追放され、その後釜に屁理屈ばかりを言って特高に捕まっていた共産主義者らが教授職に就きました。
結果、すでに世界中で壮大な実験の結果、多数の人命を犠牲にして国家が崩壊した共産主義をいまだに信仰していたり、国を愛さないことを正義と勘違いしてい たり、あるいは机にかじりついて教授間の権力闘争だけに明け暮れるような人物が、いまだに最高学府の教授陣であり続けています。
そのような体たらくで、東大が世界の名門大学になどなり得ようはずもないのです。…中略

 だいたいまともな書籍を焚書して、アカ系の学者が捏造した本だけを世に残し、「本も論文も引用先が明らかでなければ信頼に値しない」などと、おかしな空論が言い出されるようになったのは戦後のことです。
それまでは、一流の学者は、自分で考え、自分で行動して得た一次情報を提供す人でした。
当然、引用先なんてありません。
必要に応じて引用先を明らかにすることはあっても、引用がなければ論に値しないなどというのは、頭のおかしなヘンタイの所業でしかないのです。
引用先が大事なら、引用先の文書を読めば良いのであってそのような論は論考の名に値しないというのが一般的な考え方でした。・・・中略

 石川理紀之助の生涯を尋ねれば、決して豊かな暮らしをしていたわけではないし、どちらかといえば生涯富には恵まれず、貧乏な生活を送った人です。
けれど彼の生涯は、心根の豊かさを私たちに想起してくれます。

 明治の気骨という言葉があります。
気骨の原点にあるのは「公に尽くす」ことです。
みんなのために尽くす人生。
人生は決して自分だけのものではないということを、理紀之助は私たちに教えてくれているような気がします。

  こうして見ると日本の再生は一筋縄では行かないようです。ここまでの劣化を放置してきた日本人の責任と言えるでしょう。
  政治家や官僚の所為で済ます場合じゃなさそうです。やはり、国民が目覚めるしかないでしょう。それからの気の遠くなるような努力でも再生するのは大変でしょう。果たして、日本人にその気力があるのでしょうか。