産経新聞も会員制や一部有料になったので余り取り上げることが出来なくなって残念ですが、やはり興味深い記事があるだけに残念です。
と言うことで、読める所だけで教務びかい記事が産経抄にあったので取り上げます。
何と、明治の軍事費は歳出の30%だったが、それは酒税で賄われていたのだそうです。これは驚きです。
こんなことは常識だったのかも知れませんが、無知な私は全く知りませんでした。
産経ニュースより 2018.12.17
産 経抄
明治日本の軍事費の割合は、戦争をしていない時でも、歳出の30%近くを占めていた。だからといって、国民が重税にあえい だわ けではない。では、軍事費を何でまかなったのか。
▼元国税調査官の大村大次郎(おおじろう)さんによると、明治政府が創設した酒税だった。酒を買ったときだけに課せられる の で、国民の負担はそれほど大きくない。日清戦争勃発時も、増税することなく酒税だけで戦った(『お金の流れで読む日本の歴史』 KADOKAWA)。…以下略
もう一つ、こちらも知りませんでした。あのエリザベス・さんだース・ホームの名前が最初に寄付をしてくれた英国人女性からとったものだそうです。
何で、英語の名前か不思議でしたが、やっと分かりました。と言うか、このネットの時代に調べもしないのも恥ずかしい。と言うか、子供の頃の疑問を思い出さされたとうのが本当のところです。
産経ニュースより 2018.12.18
産 経抄
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の孫にあたる沢田美喜さんが、神奈川県大磯町にエリザベス・サンダース・ホームを開 いた のは、昭和23年2月である。進駐軍の兵士と日本人女性との間に生まれた孤児を救うためだ。
▼財閥解体で物納した岩崎家の別荘を買い戻して敷地とした。ホームの名前は、最初に寄付をしてくれた英国人女性からとっ た。当 時は、混血孤児に対する偏見が強かった。沢田さんが町を歩いていると、しばしば罵声を浴びせられた。…以下略
それにしても、産経抄や阿比留さん等の記事が読めないのは辛いものがありますが、これも甲斐性の無い自分の責任です。
何故か分かりませんが妙に地名が好きで、【東京・地名研究室】を楽しみにしています。今回も珍しい名前が取り上げられています。
こういう地名を知っていたら、大好きな「鬼平犯科帳」や「剣客商売」等を読んだり、テレビドラマを見ていても面白さが倍増しそうです。
産経ニュースより 2018.7.31
【東京・地名研究室】「角筈」「十二社」(新宿区) 住居表示で消えた地名
新宿「角筈(つのはず)」のバス停で父に置き去りにされた8歳の少年。46歳になった彼は、かつて角筈と呼ばれた街で酒に酔い、通りの向こうに父の姿を見る-。
浅田次郎さんの短編小説「角筈にて」では今は地図にない場所が、二度と会えるはずのない生き別れた父と息子の邂逅(かいこう)を演出する。
角筈は江戸時代以前からある地名で、現在の西新宿や歌舞伎町、新宿三丁目。由来は、名主の髪の束ね方が角のような形で里人が「角髪来る」と呼んだからなど諸説ある。
新宿中央公園の西側で「十二社(じゅうにそう)」と呼ばれたところは現在、西新宿となっている。紀州熊野神社を勧請した熊野神社が、紀州熊野の12の社の神々を熊野神社に一緒にまつったことが起源。神社は十二社の社を「そう」と読ませ、相、双など多くの文字をあてたという。
その北が「淀橋」。家電量販店「ヨドバシカメラ」は昭和42年、ここに「淀橋写真商会」を設立した。青梅街道に面した「柏木」の一部とともに西新宿となった。
こうした地名が消えたのは、いずれも住所をわかりやすく「○番○号」で表す「住居表示」に伴うもので、新宿区では40年から実施された。
3区合併で新宿区が成立する前に旧淀橋区だった区西側の地域で住居表示が進んだ一方で、区東側の旧牛込区と旧四谷区では、未実施の地域も多い。
多くの古い町名が今に引き継がれているほか、都営大江戸線牛込神楽坂駅近くの「北町」「中町」「南町」は、道路に境界を設定する現在の方法に対し、背中合わせの家の裏側を境界とする「背割り」のまま。江戸時代に下級武士に組ごとに与えられた大縄地の名残だ。
住居表示は各区市町村が実施するが、平成29年1月の東京都の調査では、新宿区の全面積に対して住居表示が実施されている割合は75・13%と、23区内では千代田区に次いで2番目に低い。町名の種類は94(各丁を含めると152)に上り、多くの町名が残っているといえそうだ。
区立新宿歴史博物館の橋口敏男館長によると、昭和50年ごろ、複数の町を統合して一つの町名とする傾向にあった住居表示に対し、反対の声が高まったという。
50年代後半以降は、既存の町名を生かした形での住居表示が少しずつ行われている。
橋口館長は「『本塩町』を『四谷本塩町』にするなど、近年は『四谷』を頭につけるのが人気。時代により名付けにも傾向があるようです」と話す。
歴史博物館のある三栄町は18年、3町を併合して成立し、その繁栄を祝福して名付けられた。住居表示の実施に伴い、今年8月13日から「四谷三栄町」に変更される。(社会部 高橋裕子)
【参考資料】新宿歴史博物館編集発行『新修新宿区町名誌』ほか。
どうやら、何回か見逃していたようです。
【東京・地名研究室】番町、紀尾井町(千代田区) 怪談を生んだ旗本屋敷街 2018.7.7
角筈(つのはず)も読めませんでしたが、この「角」も、色々な読み方があるようです。我が香川の高松では、「鹿角」と書いて、「かのつの」と読まれる珍しい町名があります。
秋田にも違った読み方の町があるようです。
香川県高松市鹿角町(かのつのちょう)
角館(かくのだて)
鹿角市(かづのし)
果たして、こういう町名を残すのが良いのかどうか。郵便配達の方達には悩みの種かもしれないですね。
とは言いながら、やはり歴史から考えると残して貰いたいという気持ちは捨てきれません。
我が香川は、讃岐うどんでも分かるように昔は讃岐と呼ばれていたようです。そんな讃岐に慣れ親しんでいるので、見出しに「JR佐貫駅」の字を見つけて思わず反応して、その読んでしまいました。
まさか、この狭い日本に「佐貫」なんて駅があるとは想像もしていませんでした。やはり、無知は恐ろしい。
産経ニュースより 2018.6.28
当駅は「マザー牧場」最寄りではありません! JR佐貫駅、駅名変更で乗り間違いなくなる?
「ご注意! 当駅は、マザー牧場の最寄駅ではありません」
茨城県龍ケ崎市のJR常磐線佐貫駅。下り線のホームからエスカレーターを上がりきったあたりと、改札付近に貼られた注意書きに、こう書かれている。牛のイラストに「ここじゃないよ~」という吹き出しまで添えられている。
マザー牧場といえば、千葉県富津市にある観光牧場だ。四季の花や動物とのふれあいが楽しめることから、家族連れたちに親しまれている。佐貫駅のある龍ケ崎からだと優に100キロを超え、かなり遠いが、乗客が間違えてこの駅にたどり着いてしまうハプニングがあったという。
JR東日本水戸支社(水戸市)によると、電車の乗り間違いがいつ始まったのかは不明だが、理由は駅名にあった。マザー牧場の最寄り駅は、JR内房線の佐貫町駅(富津市)。違いは「佐貫」に「町」が入っているだけ。改札に来た乗客から「マザー牧場はどこですか」と聞かれ、駅員が「ここはマザー牧場の最寄り駅ではなく、常磐線の佐貫駅です」と応対したエピソードがあるという。
試しにスマートフォンを使って「佐貫」と入力すると、検索の候補に上がったのは「佐貫駅」「佐貫町駅」「佐貫駅 バス」の順だった。検索時に勘違いする可能性は排除できない。
マザー牧場も公式ホームページ(HP)に「茨城県に類似駅名『佐貫駅』がありますので、検索時はご注意ください」と記している。
マザー牧場の宣伝課担当によると、以前は「茨城まで来たんですけど、(マザー牧場が)ないんですが」「マザー牧場はどこにあるんですか」といった問い合わせが頻繁にあったが、今では、ほとんど聞かないという。HPでの注意喚起に加え、電車での利用客が減っているのが原因とみている。
実は、佐貫駅は平成32年に駅名が改称されることになっている。新たな駅名は「龍ケ崎市駅」。龍ケ崎市はJR側と協議を進めており、駅名改称で市の知名度を高めたい考えだ。
龍ケ崎市は当初、消費税率が10%に引き上げられる予定だった昨年4月に改称する計画だった。だが、消費税増税が見送りになったため、改称にかかる市の費用負担が削減される見込みがなくなり、時期を先送りしていた。
2年後に無事に変更できれば、駅案内板や車内放送などを通じて乗客らに「龍ケ崎市」の存在をアピールできることになる。龍ケ崎市は7月までにJR側と協定書を締結する考えだ。
もしも、観光客からの問い合わせが多い時期に佐貫駅の駅名改称が実現していたとしたら…。前出の担当は「何かしらのコメントができたかもしれません」と答えるにとどめた。
この「改称」によって、龍ケ崎市の知名度アップに加え、電車を乗り間違える事態が「解消」されることも期待してよさそうだ。(水戸支局 海老原由紀)
ここは、うどんは有名じゃないのでしょうか。「讃岐うどんはありますか」なんて聞かれた食堂は無いのでしょうか。
こうなると、同名の地名はもっとありそうですね。もしかしたら「讃岐駅」もあるかも。と言うか、「坂出」なんてあるのでしょうか。と言いながら検索もしない横着者です。
これもネットをやるようになって知ったのですが、日本の昔からの地名には深い歴史があることに驚かされました。
そんな由来も知らないから地名変更なんて自治体がやっている頃にも、それ程バカなことをやってるとも思わず、郵便配達の人達が便利になるのだろうくらいにしか考えていませんでした。
安易に地名変更をするのも考えものだと思い知らされたのが、あの広島土砂災害の現場が、昔のが八木蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)だったというのを読んだ時でした。先人が教えてくれていた危険を地名変更で隠してし待ったことがあの悲劇を産んだと言っても過言ではないでしょう。
さて、そんな地名についての面白いシリーズを産経が始めてくれるようです。第一回は、「神田」だそうです。
何と、あの「寿司くいねえ」で有名な神田が、伊勢神宮と関係があるのだそうです。頭の悪い私は、想像もしませんでした。やはり、地名は面白そうです。これから楽しみです。
産経ニュースより 2018.6.16
【東京・地名研究室】(1) 神田 伊勢神宮に納める米作る田んぼ
《地名-。それはその土地土地(ところところ)の歴史を物語る。また一方、新しい出来事や人々の活躍で名称が変わり、あるいはいつのまにか忘れられ、時の流れの中で消えていったものもある。このコーナーでは、東京都内各地の地名の由来を紹介し、江戸の歴史を紐解いていく》
「江戸っ子だってねえ」 「神田の生まれよ」
年配の方ならご存じ浪曲「石松三十石船道中」。
東海道一の侠客、清水次郎長の子分、森の石松が金刀比羅宮(香川県)代参の帰途、大阪から京都まで淀川の船旅中、乗り合わせた客との会話で出てくるせりふだ。
石松は相手をおだてて言うのだが、「神田生まれ」は江戸っ子の中でもプレミアム感が強かったようだ。
神田はそもそも、伊勢神宮に奉納する米を作る田んぼがあったので呼ばれるようになったという。
中世には今の神田橋あたり、江戸時代には東は現在の台東区との境、西は駿河台・小川町、北はJR総武線、南は大手町の手前あたりまでを指したようだ。
現在、神田が付く町名は東神田から神田三崎町まで東西3キロ近くに広がっている。というのも、昭和22年、当時の神田区と麹町区が合併して現在の千代田区ができるときに、神田区にあった町名全てに「神田」を付けたからだ。
37年の住居表示法の施行を受け、郵便物の配達などに便利なように簡素化が進んだ。だが、住民から戻してほしいとの要望が相次ぎ、三崎町、猿楽町も今年1月、神田が戻った。
ちなみに三崎町は、江戸湾に突き出した岬があった、猿楽町は猿楽(のちの能)・観世流の家元、観世太夫や一座の人々の屋敷が一帯にあったからといわれている。
JR神田駅から秋葉原駅の東側にも江戸時代を想像させる町名が残っている。
神田和泉町は藤堂和泉守の屋敷があった▽神田紺屋町は藍染め屋がたくさんあった▽神田美倉町は江戸時代にあった3つの倉庫街(三蔵地)が明治時代になって合併して美倉町に転じた-からとされる。
神田北乗物町は駕籠をつくる職人が多く住んでいた、神田祭のみこしをつくる職人が住んでいた、駕籠をかつぐ人が多く住んでいた、馬具職人が住んでいたなど諸説ある。
神田練塀町は武家屋敷の練塀が並んでいたから。練塀とは瓦と練土を交互に積みあげ、上を瓦でふいた土塀のことで、関東の武士に好まれたという。
◇
【参考資料】鈴木理生編著『東京の地名がわかる事典』(日本実業出版社)、竹内誠編『東京の消えた地名辞典』(東京堂出版)、千代田区ホームページほか。
東京だけでなく地方も取り上げてもらいたいところですが、そうなると大変な量になりそうです。東京だけでも地方にも通じるものも沢山ありそうでしょうから、当面は、これで楽しませてもらいましょう。
昨日も「さて」で無知をさらけ出してしまいま したが、恥かきついでに、もう一つ、これも全く知らなかったことがありました。
あの最近オークションで話題になったナポレオンの帽子に関することです。あの帽子は韓国系の人が落札したとネットで ありましたが、何にするつもりでしょう。よからぬことに使いそうな気がするのは考えすぎでしょうか。
話がそれましたが、ナポレオンはあの帽子を向きを変えてかぶっていたのだそうです。
北國新聞ホームページより
きょ うのコラム「時鐘」 2014年11月27日
映画「カサブランカ」に登場(とうじょう)したピアノが約4億円で落札(らくさつ)された。昨夜どこにいたの?と聞かれて「そんな昔(むかし)のこと 覚(おぼ)えてはいない」のセリフが有名な名画である
先日は、ナポレオンの帽子(ぼうし)が2億7千万円で売れた。このところ競 売(きょうばい)の報道 (ほうどう)が続いている。オークションは希少性(きしょうせい)と所有欲(しょゆうよく)で値段(ねだん)が決ま る。関心(かんしん)がなければゴミ同 然(どうぜん)のものに何億円も出す。「もの好きな」と思うが、それは想像力(そうぞうりょく)の欠如(けつじょ) かもしれない
ナポレオンの帽子は元々(もともと)は縦(たて)にかぶる二角帽(にかくぼ う)だった。それをナポレ オンは横(よこ)にかぶった。縦のものを横にしただけで、一将校(いちしょうこう)が皇帝(こうてい)になり、世界 の歴史(れきし)が塗(ぬ)り替(か) えられた。その発想(はっそう)の源(みなもと)を語る品と考えると大変な代物(しろもの)である
世界遺産(せかいいさん)と呼ばれる寺院(じいん)や街並(まちな)みも、 歴史を知らなければただの 古ぼけた壁(かべ)や柱(はしら)に過(す)ぎない。そこに先人(せんじん)の血(ち)と汗(あせ)と涙(なみだ) の跡(あと)が染(し)みこんでいると 思うから廃虚(はいきょ)ではなく「遺産(いさん)」になる。歴史という名の人間ドラマに思いが広がるのである
「昔のことなど覚えちゃいない」とは「あなたのことは忘(わす)れない」と いう言葉の裏返(うらがえ)しだ。「思い出」には値段(ねだん)のつけようがない。
あの肖像画などで見慣れた帽子が横向きにかぶっていたとは全く知りませんで した。まさか、知らなかったなんてことは無いでしょうから、やはり、何らかの意図を持って被ったのでしょうが、そこ まで見通していたなんてことはないでしょうね。
ということで、ウィキで調べてみました。
二 角帽子
二角帽子(にかくぼうし、Bicorne)とは、角が2箇所ある帽子。18世紀後半から19世紀前半にかけて用いら れた。ヨーロッパやアメリカの陸 軍・海軍で主にかぶられていたが、ナポレオン・ボナパルトが使用していたことで最も知られている。ナポレオン時代の将軍 や参謀将校が日常的に着用したほ か、少なくとも第一次世界大戦頃までは正装用の帽子として広く生き残っていた。ビコルヌ、バイコーン、ナポレオン帽、山 形帽、仁丹帽(仁丹の将軍マークか ら)。
三角帽子から派生した二角帽子は黒く、もともと縁の幅が広めになっており、正面と背面を折り曲げてピンで止めた半円 形だった。通常、正面には国籍や階級を表すコケイド(花形帽章)をつけた。
後に形は三角形に近づいていく。両端はもっと尖り、花形帽章は右側面に付けられるようになる。このような形式になっ た二角帽子は コックドハット(Cocked hat) と呼ばれた。二角帽子は(ナポレオンのように)横に着用する場合と縦に着用する場合があった。
成程、納得、とは言いながら、縦にかぶったイメージが掴み切れませんでした。でサーチしてみると画像がありました。
二 角帽子
これなら見たことがあります。これは東 郷平八郎さんですね。あれが二角帽子だったとは、知らないと言うことは恐ろしいものです。縦と横でこれ程イ メージが違うものとは想像もしませんでした。
子 供の頃は、寿しと言えば、祭りの時などハレの日に母が作ってくれた五目寿し・巻き寿し(所謂太巻き)・押し寿しだと 思ってました。
その当時、我が家の寿しに握りずしなんてものは存在しませんでした。ですから握りずしなんてのを初めて知ったの は成人になってからじゃないかと思います。
その中でも、巻きずしの細いやつ(細巻きなる名前も知りません でした)で、鉄火とか河童とか言うのを 知って、何でだろうと思ったものです。かろうじて河童はキュウリが河童の好物だからとは想像がつきましたが、鉄 火は全く分かりませんでした。と言うか、何 時ものごとく、分からないまま調べることもなく今まで来てしまいました。
ところが、ネット巡回で、あれは、賭場での食事をしやすくする ために考案されたと書かれたのを読んで、成程そんな訳があったのかと、急いで検索してみました。
ウィキペディアより
…略
鉄火巻の名前の由来は各説ある。
マグロの赤身の色が熱せられて赤くなった鉄に似ているからとい う説
当時マグロを生で食べる習慣がなく、それをネタに使うことがと んでもないこと(まるで熱した鉄に触るようなもの)から「鉄火」と呼ばれるようになったという説
昔、鉄火場(賭博場)で博打をしながら食べられる手軽な食事 だったから(サンドイッチの語源と似ているのでより好まれる説)…以下略
本当に、そんな由来があるんですね。面白いものです。何 となく、第 5525回の 「教 育を取り戻す」 の地名の由来などにも通じそう な日本語の面白さを感じます。
賭場説だけではないようですが、それにしても、サ ンドイッチがサ ンドイッチ伯爵が賭博をしながら食べたとの語源と同じような成り立ちとは洋の東西、博打打は同じよ うな発想をしているということでしょうか。
と言うか、日本人ならおにぎりで十分じゃないでしょうか。どうもサンドイッチの語源説を知る人が後付けで考 えたような胡散臭さを感じるのは私だけでしょうか、
どっちでもいいか!
このところ無知をさらす第 5294回の「麦稈真田」や第5297回の 「連 雀(れんじゃく)」を取り上げましたが、もう一つ無知話にお付き合い 下さい。
と言うのも、ネットを始めてそれ程経ってないころに、想像もしていなかった言葉に出会ったのです。それ は、「手をこまぬく」でした。長い間、「手をこまねく」と覚えていたし、まさか間違って覚えているとも思え ません。そこで、早速サーチしてみたのですが、確かに、「こまぬく」が正しいと書いてあるHPもありました が、どうも確信が持てませんでした。
それ以後、注意していましたが、たまに「こまぬく」を使っているところもありましたが、殆どは「こまね く」派でした。それで、私も気にはなりながら、この部屋でもその時その時で両方を使っていました。
暫く、忘れていたのですが、又、出会ったので、もう一度サーチしてみました。今度はありました。
敬語の使い方マニュアルより
こ まねいてとこまぬいて 正しい日本語はどっち
どちらが正しい言い回し?
1.もう、手をこまねいているわけにはいかない。
2.もう、手をこまぬいているわけにはいかない。
どちらが正しいかと聞かれたら、多くの人は「こまねく」と答えるのではないでしょうか。
正しくは2の「手をこまぬく」です。
「こまぬく」とは、「両手を胸の前で組み合わせる」ことで、中国の敬礼の動作を指していましたが、しだいに 単に腕組みをすることを指すようになり「何もしないで傍観する」という意味になりました。
「こまぬく」よりも「こまねく」のほうが発音しやすいことから、誤用ですが「こまねく」という言い方が広 まったようです。
なお、辞書によっては「こまねく」も誤りでないとしているものもあります。
ワードでも、どちらも「拱く」と変換されます。
あの当時はこうした辞書も余りなかったのか見つけることができませんでしたが、やはり、時代は進んでいるのでしょう か。
やはり、「こまぬく」が本当だったんですね。これからは遠慮せずに使えそうです。尤も、言葉もどんどん変わっている のでそれ程こだわることもないのでしょう。いずれ「こまねく」に取って代わられそうな気がします。
さて、ここまでで、今度は漢字の「拱く」が気になります。これもサーチしてみました。
コトバンクより
きょう 【×拱】
[音]キョウ(漢) [訓]こまぬく こまねく
1 両手を胸元で組み合わせる。こまぬく。「拱手/垂拱」
2 両手でかかえるほどの太さ。「拱把・拱木」
3 アーチ状。「拱門・拱廊」
戦前はこうした漢字や古文なども習ったのでしょうね。戦後の口語は話し言葉で簡単で有難いのですが、昔の日本の文語 で書かれたものが理解できないのはやはり考え物かもしれません。できることなら、そんな教育も受けてみたかったと思いま すが、今さら、自分で勉強する気力もないですね。
ネット巡回で、自分が全く無知だと気づかされることが 多くて如何 に勉強してこなかったかを思い知らされます。
時期はちょっと前になりますが、いつもの巡回で「ねずさん」のところを読んでいて、その中身には関係ない「連雀」と いう「地名に反応してしまいました。
実は我が坂出市にも「れんじゃく」というところがあるのですが、おもしろい名前だなと思いながらも、何時ものごとく、 深く追求もせずにいました。
ところが、ねずさんがその意味を詳しく書いてくれていました。私自身はぼんやりと「連雀」を雀の夫婦などとイメージ して、変わった地名だなあくらいしか思っていませんでした。
「連雀」には深い意味があるそうです。
ねずさんの ひとり ごとより 2月24日
万世橋と軍神広瀬武夫中佐
・・・略
昔は服地は、各地の小売 店さんの店子さんたちや、行商の小売りの商人さんたちが、問屋街に買付にきました。
買い付けて仕入れた着物は、昔は宅配のトラックな んてありませんから、店子さんたちが背負子(しょいこ)でおぶったのです。
その背負子(しょいこ)のことを、連雀(れんじゃ く)といいます。
木でできた箱などに、肩に当たる部分を広く編んで 作った縄や布でショルダーベルトと肩パットにして、背中におぶって運んだわけです。
(手前の人の背負っているのが連雀です)
い までも、古い城下町などには、連雀町とか連尺町とかいう町名が残っていたりしますが、そこにはかつて、問屋街があり、そこには背負子(しょいこ)を背負っ た行商人さんたちなどが、軒を連ねる問屋さんに次々と飛び込んで、商品を仕入れ、それを背負子に入れて背負 い、また次のお店へと移っていったりしていたわ けです。
その様子が、まるでスズメが、ぴょんぴょんと飛び 跳ねながら、地上に落ちている餌をついばむ姿に似ているということで、そのあたり一帯は、連雀町と呼ばれま した。
連雀(れんじゃく)は、連尺(れんじゃく)とも書 きますが、そういう往時の姿が、まるで目に浮かぶような楽しい町名が、昨今では次々に「何々市中央一丁目」 のように、無機質な名前に変えられています。
とても残念なことと思います。・・・以下略
参考:ウィキペディアより 連雀
「連尺」は知りませんでした。坂出も地図で確認すると「尺」の方でした。ずっと「雀」とばかり思ってました。 それは別段間違いでもないようですが、意味が想像もしないものでした。
それにしても、背負子のことを「連尺」と言うとは全く知りませんでした。坂出の「連尺」も昔は問屋街だった のでしょうか。
そう言えば、昔の街道に沿っているようですからそうだったのかも知れませんね。
ねずさんの言われるように昔の街並みが思い浮かべられるような素晴らしい名前を便利だと言って変えるのは考 え物ですね。
それにしても、昔の人は粋な名前をつけていたものですね。
勉強になります!
子供の頃意味 も良く分からずに使っていた聞き覚えのある懐かしい言葉にネット巡回で出会いました。
「麦稈真田、ばっかんさなだ」。何とも、懐かしい響きです。何のことだったんだろうと早速サーチ してみました。
ばっ かん‐さなだ〔バクカン‐〕【麦×稈▽真田】
麦わらを平たくつぶし真田紐(さ なだひも)のように編んだもの。夏帽子や袋物などを作るのに用いる。むぎわらさなだ。
そうか、麦わらのことを麦稈というんですね。子供の頃、麦わらで風呂を沸かしたものです。こ れなら使っていたかもしれません。
しかし、真田となるともう一つわかりません。あの平べったい麦わらで作った麦わら帽子に関係しているようで す。それでも、麦稈真田と呼んだ覚えはないような。何で覚えているのか良く分かりません。母親が使っていたよう な記憶があります。
もう少し調べてみると、対岸の岡山県の話題がありました。この画像は見たことがあるような気がします。
大百科 | 岡山県立 図デジタル岡山書館より
12 麦稈真田と其の製品
もう少し探してみると、動画がありました。これは分かり易い。
こども農 業雑誌 のらのら|農文協より
大 麦のワラであそぼう!
そういえば、 麦わらをストローとして使っていた覚えがあります。麦ワラの下準備にある麦わらで編んだ蛍かごは覚えがあります。
「麦稈真田」がどれを指していたのかは記憶にありませんが、その言葉自体は確かに記憶にあります。何だった んでしょう。
それにしても、ネットは本当に便利ですね。まさか、動画まで見れるとは思ってもいませんでした。何であれ、 また一つ新しい発見をさせていただきました。
ネットのおかげです!
何時のころからでしょうか、「できちゃった婚」なる言葉が当たり前のように使われ だしたのは。テレビで芸能人が得意そうに話す様子が見られるようになって、なんとなく妙な気持になったものです。
これは、これも何時頃からだったかはわかりませんが、女性が結婚する前から性交渉 するのが当たり前のようにはやされた時の異様さに通じるのがありました。
そんな違和感を持つのは時代遅れのような風潮に流されて、私も表面だって異論を唱えることも遠慮していまし た。
ところが、ネットで「日本の面影」 などを読むようになって、こうした風潮もどうやら左翼勢力などの日本の家庭制度を壊すための陰謀だったのかと目 が覚めました。
女の子にこんなことを当然のように思わせる教育でその気になった女の子たちが本当に好きになった人と結婚し た時に自分がやってきたことに嫌悪感を覚えるのじゃないかとかわいそうになります。
そんな古いと言われそうな私が、「やっぱりそうだったんだ」と思える言葉がありま した。
何時も記事を楽しみにしている産経の阿 比留 瑠比さんのフェイスブックにあった櫻田 淳さんのフェイスブックへの書き込みです。
・・・略
昔から言われているではないか。男にとって最も怖ろしきものは、「ショットガン・ウェディング」であると。 今でいう「授かり婚」という奴である。この話も、「既成事実」の頑強さを物語っている。
恥ずかしながら、「ショットガン・ウェディング」なんて初めて見ました。多分これ は、あの「できちゃった婚」のようなものじゃないかと推理しながらサーチしてみました。
妊娠したためにやむをえずする結婚。娘の父親が相手の男にショットガン(散弾銃)を 突きつけて結婚を強いることから。ショットガンマリッジ。
ウィキペディアより で きちゃった結婚
できちゃった結婚(できちゃったけっこん)あるいはできちゃった婚(できちゃった こん)とは、妊娠したことをきっかけとして結婚すること[1]。 「でき婚」「おめでた婚」「授かり婚(さずかりこん)」とも。…以下略
やっぱりそうでした。それにしても、「男にとって最も怖ろしきものは」とはなか なか意味深長な表現です。そこには、やってはいけないことをやってしまった付けが来た後ろめたさがあるはずです。
それに対して、ショットガンを突きつけるとはさすが欧米はやることが強烈ですね。こういう言葉で言われると やはり感心すべきものでないことが良くわかります。日本のような「できちゃった婚」はなんともふざけているし退 廃的な気がします。欧米では今でもその気持は残っているのでしょうか。日本も、もっと恥を知るような言葉で表現 したいものです。
こ んな風潮はなっくなてほしい!
相変わらずの無知話です。スチー ル写真と言えば、女優さんなどが映画の宣伝用に撮る写真というイメージだけで深く考えたことも無かったのです が、ここにも落とし穴がありました。
頂門の一針の 投稿で何時も楽しみにしている英語の堪能な前田さんのブログで又驚かされました。
新宿少数民族の声 2014-02-10
・・・略
スチール写真→ still picture、
解説)私はスチールがstillで静止写真と解るまでに60年以上もかけてしまった。「鉄板 (steel)の写真」があるのかなという疑問だ。Motion pictureの反対語か?
…中略
何はともあれ、カタカナ語を見た ら出来る限り先ず本当に英語であるか否かと、正しく使ってあるか否かを確認してみて頂きたい。ここまでは、英語 とそれらしきものを取り上げたが、他にもフランス語(例えばアンケート)、ドイツ語(例えばテーマ=thema)、イタリア語(例えばパスタ)も外来語として戸籍を得ている例があ ることを申し添えておく。
スチール 【steal】
[名](スル)《盗 む・奪うの意。「スティール」とも》
1 野球で、盗塁すること。「二塁に―する」「ダブル―」
2 バスケットボールで、相手の持っている球を奪うこと。
スチール 【steel】
《「スティール」と も》鋼鉄。はがね。→鋼(こう)
スチール 【still】
映画の中の一場面を表 した写真。宣伝用などに使う。スチール写真。スチル。
前田さんでさえ思い違いをして いたくらいですから、私など間違っていて当然ですね。
それにしても、まさか静止画とは思いませんでした。写真には違いないですが、stillなんて単語も知 らないし、ましてや調べようともせずに読んできたのですから情けない限りです。
この前田さんのカタカナ語を読んでると知らないことばかりです。しかしながら、日本人の外国語を取り入 れて自分の物にしてしまう能力というか習慣は他の国にはないのでしょうね。
それだけ、日本語を柔軟に発達させてきたと考えればやはり日本人は凄いのかも。
そう思いませ んか!
自転車と歩行者とクルマ が同じ平面を通る道や交差点である限りは事故はどうしても無くなることはないでしょう。道路は通行区分などで分 けることは簡単ですが、交差点はどうやったら良いかと考えるのですが、どうにも良い考えが浮かびません。
これもその点では解決になりそうもないですが、面白い交差点の話題がありました。ヨーロッパの道路で良 く見るロータリー形式のようですが、「ラウンドアバウト」と言うのだそうです。
YOMIURI ONLINEより 2013年09月05日
国土交通省は4日、信号機のない円形 の交差点「ラ ウンドアバウト」について有識者検討会を設置し、導入に向けて課題などの検証を始めた。
ラウンドアバウトは交差点内を時計回りの一方通行にする仕組みで、環状部分を走る車両の通行を優先し、環状部分を抜ける際は左折する。進入する際、減速や 一時停止をする必要があるため、事故抑止につながると期待されている。信号機が不要になるため、震災時の停電で も影響を受けないなどの利点もある。欧米で は広く普及しており、国内では長野県飯田市などに設置例がある。
一方、環状部分に進入できる車両の数 には限界があるため、交通量の多い場所での設置は難しいという指摘もある。4日に開かれた検討会の初会合では、 ラウンドアバウト導入による海外の事故減少率、国内で行われた社会実験の結果などが報告された。
ウィキペディアの「ラ ウンドアバウト」が詳しいのですが、動画があれば分かりやすいと思いサーチしてみました。あり がたいですね。ちゃんと上げてくれている方がいました。
おまけにライブカメラまでありました。これと「ラ ウンドアバウト」を読んで代替理解できましたが、クルマには良さそうですが、自転車や歩行者に は関係なさそうですね。
長野県飯田市鈴加町2丁目13
信号が無いので意外と燃費が良くな りそうですね。排気ガスが減れば環境にも良いでしょうし、もっと日本でも積極的に取り入れるべきかもしれませ ん。このあたりはやはりヨーロッパの方が一枚上手のようですね。
日本も頑張り ましょう!
私の子供のころは服装と言えば、ズボンの膝や上着の肘などにつぎが当たっているのは当たり前でした。弟や妹と なると上からのおふるも当然という時代で、誰もがそんなこと気にもしていませんでした。
そのつぎはぎだらけの上着の袖で洟を拭いててかてかになっていたものです。そんな子供を見ることがなく なったのは何十年も前でしょうね。
久しぶりにそんなことを思い出させてくれる言葉にネットで出会いました。何気なく読んでいると継接ぎと いう字が出てきました。前後の分から「つぎはぎ」だろうとは推測できるのですが、「継接ぎ」という漢字は初 めてお目にかかったので、早速サーチしてみました。
1 衣服に継ぎがたくさんあたっていること。「―だらけの着物」
2 他人の文章や考えなどを寄せ集めてつなぎ合わせること。「―の意見(政策)」「あちこちの論文を―する」
やっぱり、「つぎはぎ」でしたが、こんな漢字だとは思ったこともありませんでした。「継ぎ」は分かるのですが「はぎ」が「接ぎ」とは全く知りませんでし た。せいぜい「はぐ・剥ぐ」から「継いだり剥いだり」くらいから来ているイメージを持っていました。又、又、大 恥でした。
全く、知らない ことばかり!
ネットが命の私ですが、LANはどうしても無線が信用できずに必ずLAN ケーブルを使います。ですから長さがまちまちのケーブルが10何本部屋の中を這いまわっています。当然のごとく 予備のケーブルも何本もあります。このケーブルもそうですが、パソコンにはあらゆるケーブルがあるので今まで 使っていたものも沢山あります。これを予備として置いておくのに今度使う時に使いやすいようにと巻いて補完する のですが、これがいざ使う時になるときちんとほどける方が珍しいくらい苦労します。ですが、こんなものだと諦め ていました。ところが、この巻き方と言うのがあるのだそうです。これは面白そう。
WIRED.jpより 2013.8.13 TUE
ケーブル類をきちんときれいに保管しておくことは、オタクのプライドにかかわる重要な問題だ。だが、手で束ねて適 当な形にしたり、奇妙な結び目をつくっていたりしているようなら、ギークのクールな領域に足を踏み入れているとはい えない。ガジェットたちとの大切なつながりも破壊している。
わ たしが映画学校で初めて、照明についての授業を受けたときのことだ。講師はコンクリートの床の上にいくつかの電 源ケーブルを広げ、それらを巻き取るように指示した。わたしたち生徒は当然のように、ケーブルの端をもって、最 も当たり前だと思ったやり方、つまり、親指と人差し指でコネクター部分を握り、ケーブルを肘にかけて掌まで戻っ てくるという動作を何度も繰り返した。
す ると講師は、その方法は間違いだと指摘し、ケーブルはすべて、自然に渦を巻くようになっていると説明を始めた。 その渦巻きに逆らって無理に曲げようとすると、トラブルが起こる。(ほどくときにケーブルがよじれるし)ケーブ ルの内部がねじれてしまい、だめになってしまうというのだ。肝心なときにいつもケーブルが役に立たないのはそう いう理由だそうだ。
映 像や音響制作を学ぶ学生たちに教えられるケーブルをきっちりと巻く方法は、ケーブルを鞄に入れて持ち運ぶ際や、 自宅のケーブル用引き出しに入れておくときにも使うことができる。
こ の方法はよく、「逆相巻き」(over-under)と言われる。説明が難しいのだが、London School of Soundで動画を見つけたので見てほしい。
見ていても良く分かりませんが、プロはこんな巻き方をしているんですね。まさかコイルの巻き方があるなんて考えた こともありませんでした。
良く見ていると、何度かやればできそうな気にもなってきました。これは折角ですからこの技を身につけたいも のです。これで、あのぐちゃぐちゃで使う時にはほどけなと言う悩みから解放されるかも。
さて、できるかな!