団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★Chinaで最悪のEV渋滞発生!

2024年05月31日 | 南京問題

 ChinaでいよいよEVの終焉が見えてきたようです。もう何をやっても巻き返しは不可能のようです。
  5月の連休でもEVの渋滞が発生だそうです。頼みの綱のEVも尾張となればもう打つ手は無いのじゃないでしょうか。
  幽霊マンションの自治体への買い取りも最悪だし、高速鉄道も先行きは現代の万里の長城となるともうどうにもならないことは明かです。それでも諦めないChinaの恐ろしさに呆れるしかない。

に激怒!【JAPAN 凄い日本と世界のニュース】



   それにしても、EVの逆転は無理のようですね。意外と終焉が早かったようです。とは言いながらも、まだ油断はあらないのかも。

  さて、どうなることやら!

★不動産バブルはすでに15年前、海南島ではじまっていたのだ

2024年02月09日 | 南京問題

 

Chinaの不動産バブルのスケールの大きさは想像を絶するもののようです。そんな様相を宮崎さんが取り上げてくれています。
  Chinaの崩壊を逸早く取り上げてくれていた宮崎さんだけに早くから情報を目にしていたようです。その予想が現実となるのはもう近いでしょう。何ともたのしみです。

「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和六年(2024)2月8日(木曜日)
  通巻第8122号 <前日発行> 

 三亜は「中国のハワイ」であるとともに、大海軍基地である。
  不動産バブルはすでに15年前、海南島ではじまっていたのだ

 十五年前のことである。
初回の海南島訪問はその十年ほど前で、北側の港町=海口のホンダの偽バイク工場取材だった(取材は失敗、その後、ホンダが贋物工場を買収した)。ついでに南端の三亜まで長距離バスで七時間かけて足を伸ばし、戦争中に日本軍が敷設したレーダーサイトや西海岸に開通させていた鉄道(SLがまだ動いていた)。この頃は海南島では観光客誘致に熱心でアライバルヴィザを例外的に発効していた。四半世紀前まで中国旅行には逐一ヴィザが要求された。

 弐回目は海口から三亜へ新幹線が繋がったというので試乗がてら途中のボーアオ(中国版ダボス会議)も取材する予定だった。
さて三亜での驚きはリゾートマンションがにょきにょきと林立していたことだ。飛行機の窓から夢中に撮影したが、あんなに壮大に高層マンションを建てて、購入した人は果たして何人いるのだろうか? 

 三亜は「中国のハワイ」であるとともに、大海軍基地である。町で不動産屋の店先で物件のビラを眺めていたら、店員が飛びだしてきた。なるほど、売れていない証拠である。

 三年前から中国の不動産バブルが瓦解し、大手デベロッパーが軒並み債務不履行におちいったことは周知の事実。習近平自身が「マンションは人の住むところだ」と当たり前のことを発言した。多くが投機用に建てられたもので、2024年二月時点で、工事中断物件は数千とも数万ともいわれ、売れ残りを最低に見積もっても1億5000万戸ある。
 恒大集団は1月28日、香港で精算命令がだされた。CEOの許家印が所有した香港の豪邸は競売に付された。ところが、豪華すぎて買い手がいない。
恒大集団幹部たちはごっそり逮捕され、整理精算しようにも、なにから手をつけてよいか分からない。とりあえず二つの子会社を五鉱山国債信託に売却した。 

 海外を含めて資産売却を急ぐ最大手の碧桂園はロンドンに4億5000万ポンド(5億7000万ドル)を投じた開発プロジェクトを売りに出した。世界最大の不動産仲介コンサルティング「ナイト・フランク」社は、碧桂園の子会社「リスランドUK」からエルサホー大団地(62エーカー、952戸)の売却仲介を依頼されていると発表した。
碧桂園はシドニーに保有した物件をすべて手放したほか、広州の高層ビルやフェニックスホテル等五軒を売却した。

 中国オーシャンワイドHD社はサンフランシスコに建てた高層タワーが差し押さえとなったと発表した。まだ「広州富力地産」はロンドンの広大な物件二件を売却した。これらは「氷山の一角で」しかなく、夥しい中国企業が外国の不動産を売却し、また富裕層は手元資金不如意となったため海外物件の売却を急いだ。

 中国政府は外貨不足を補えるため、海外物件売却を奨励した。
また工事中断物件を完成させよとして特別融資をおこなうなどモラトリアム政策を適用している。「こうした休載政策は逆効果になる」と米紙ウォールストリートジャーナルが警告してきたが、自由主義市場経済ではない中国では、独自の路線を選択、さらに凄絶な破滅の道を驀進中だ。
  
  やはり、Chinaのバブルは日本とは桁違いです。この崩壊が延びれば延びるほどその犠牲は大きくなるのはあきらかでしょう。一体どうなるのかある意味楽しみです。


★本当の歴史を言うと精神病院送り 南京

2021年12月31日 | 南京問題

 南京事件の虐殺30万人に根拠なしと発言した女性教師の処分で、この発言を擁護した女性が当局に拘束され精神病院に強制入院されたそうです。
  China大好きの日本政府は、これでも遺憾砲も撃たず、五輪ボイコットも腰の引けた対応です。

  日本政府は完全にChinaの下僕であることを世界に発信したと言えそうです。これも、経済界や媚中派議員の力に負けたということでしょう。
  何とも情けない総理を選んだものです。


★「南京犠牲者データなし」 中国で教師の発言に批判

2021年12月22日 | 南京問題

 Chinaの女性教師が南京犠牲者データなしと発言して大問題になっているようです。
  Chinaでこんな発言をすれば命に関わるでしょうに、何とも勇気ある方です。果たして大丈夫でしょうか。
  と言うか、日本で未だに虐殺があったなんて言ってるバカ共は恥ずかしくないのでしょうか。 

  Chinaでもなかったと考えている人は少なからず居るのでしょうが、命懸けの発言をする人は居ないのが現状でしょう。
  やはり、中共を撲滅しない限り真実を発言することは難しいでしょう。

  そんなChinaに金の亡者達が未だにしがみ付いているのは余りにも情けない。特に従業員の命を何とも思っていない経営者達に恥を知れと言いたい。


★ニコラエフスクの日本人虐殺 1920年、尼港事件の真 実

2020年04月17日 | 南京問題

 戦後教育で全く教わらなかった通州事件などを 知ったのは、やはりねずさんのブログからでした。
  一連の日本人虐殺の尼港事件も、2018年6月21日、第 1463回の「★ 百回忌を迎える『尼港事件』を忘れるな」などで取上げたようにねずさんが教えてくれました。

  その尼港事件の当時書かれた本が翻訳されて出版されるそうです。当時の記録は無いのだろうと思ってましたが何と、白系ロシア人のジャーナリストが書いてくれていたようです。よくぞ書いてくれていたものです。

 それにしても、こうした日本人の悲惨な歴史を隠し、嘘の南京事件は大騒ぎする日本の反日売国左翼・在日共は余程日本が嫌いのようです。
 やはり、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達としか思えませんね。

  宮崎さんが書評で取り上げてくれています。何時ものようにご自分の体験も紹介してくれていてユニークな書評で興味深い。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」   令和二年(2020)4月10日(金曜日)弐 通巻6443号

  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

 おぞましく、まがまがしく、身の毛もよだつ虐殺事件の真相
  「尼港事件」から百年、いま真実が甦る。貴重な記録、第一級の歴史資料

 アナトーリー・グートマン著 長瀬了治訳
 『ニ コラエフスクの日本人虐殺 ──1920年、尼港事件の真実』(勉誠出版)

 ちょうど百年が経過して、事件は風化した。
 「尼港事件」は殆どだれも知らないが、ロシア極東の港町でおきた日本人の大虐殺事件だ。大正九年のことであり、舞台と なった尼港とはアムール川の出口に位置したニコラエフスク市のことである。
 この町は当時、サハリン州に属していた。日本租界が拓け、多数の日本人住民が居たので領事館もあった。商社も娼妓館も あった。
 暴力革命の余波が極東にも迫っていた。ロシアのボルシェビキ革命を逃れてきたロシア人富裕層、とりわけユダヤ系の人々 が多く、かれらは赤軍を憎んでいた。
ここに多数の中国人と朝鮮人が加わり、軍事集団が輻輳し、裏切りは日常茶飯、赤軍のパルチザンと言っても盗賊、山賊、強 盗のたぐい、彼らが行った虐殺行為は、目撃談が多く残されていた。

だが、真実に迫ることはなかなか容易ではない。
 ミステリーに満ちた「極東共和国」に関しても、戦後はよほどの歴史家いがい、日本人の関心事の対象から外れた。ソ連を 嫌悪し、極東に独立国を宣言したロシア人を日本軍が間接支援していた。極東共和国については語り出すときりがないので、 いまは措く。
 埋もれ逝く歴史!

 ▼通過事件と共通する残虐、猟奇性

 同様に終戦のどさくさに起きた大虐殺事件=「通化事件」は、被害者の日本人が真相をしらないため、ますます分からない と答えるのが大多数。ようやく南京大虐殺の嘘がばれて、つぎに焦点が「通州事件」に移り、こちらのほうは保守陣営のなか でも、少しづつ知られるようになった。(「通州」と「通化」はまったく違います)
 通化事件のほうは、引き上げ途次の日本人およそ三千がシナ人によって虐殺され、河は血の海となり、その犠牲者数は通州 事件の十倍なのである。
誰もが忘れたのか、語りたくないのか。じつは評者(宮崎)、この通化事件現場にも撮影に行ったことがある。
 通州は二回行ったが、こちらのほうは十年前まで当時の遺物も残っていた。いまは新開発区となって北京に編入されて上、 地下鉄が開通し、面影はなにもない。
 前者の通化へは吉林から長距離バスで入り、現場を歩き回って写真を撮り、レポートしたことがある。本書の舞台、尼港の 現場は未踏である。

 さて、尼港事件とは概括的にいえば、ロシア革命後の内戦で赤軍が、ロシア人6000人、日本人730人以上を虐殺し、 赤軍と言うよりも愚連隊、ギャングまがいの犯罪者暴徒は尼港市を壊滅させた。
 1917年にロシア革命はなったが、その後の、赤色パルチザンとは、殺人鬼のような愚連隊集団が実態だった。あまりに も残酷な犯罪行為であり、国際世論は怒りに湧いた。
直後のロシア「調査委員会」報告と生き証人達の生々しい証言で、日本人が忘れさせられた暴力革命の暴虐の凄まじさが甦っ たのだ。

 著者のアナトーリー・グートマンは白系ロシア人ジャーナリストで、事件当時、日本に滞在していた。報を聞いて、直後に ロシアでつくられた「調査委員会」が三か月間現地調査してまとめた報告書を基礎資料とし、自身の取材も加えて執筆したも のである。原書は、1924年ベルリンで出版され、1993年になってカナダで英訳版がでた。
 日本でも最初の訳本は英訳版からの重訳だった。このたびの新刊はロシア語からの翻訳で、より完全な歴史の第一資料であ る。
尼港事件の詳細は、本書の数々の証言で実態が明らかになる。

 この尼港事件と、かの通州事件とを比較すると、共通しているのは殺戮する側の残酷さ、非人間性、悪魔のごとき猟奇性、 この意味ではロシアのゴロツキもシナの殺人舞台も、便乗する朝鮮人も変わらない。
 いわゆる「通州事件」で、中国兵に惨殺された邦人は257名。かの「南京大虐殺」とかいう事件は、中国がでっちあげた フィクション、嘘放送の類いだったことはすでに120%証明されている。
にもかかわらず、中国に裏側から工作されたユネスコは、世界記憶遺産申請を認めた。ブルガリア共産党出身のボゴバが主導 した。日本が貶められているのに、政府も外務省も何もしない。ボゴバと、コルデス(WHO事務局長)、なんとなく似てる なぁ。

 ▼シナの挑発、謀略だったのではないのか

 「通州事件」の記録は、「アーカイブ」が民間人の手で設立され、歴史教科書に一部だけだが掲載され、しかし日本各地で 研究会や講演会が連続開催された。とはいうものの事件から長い歳月が流れ、いったいどれほどの日本人が、この事件の真相 を知っているのだろうか。
まして日本政府は、この事件を忘却の彼方へと自虐的に追いやり、戦後一度も取り上げて中国に抗議し、賠償を請求すること がなかった。
 加藤康男氏の『慟哭の通州』(飛鳥新社)は複眼で通州事件を総攬する。
 第一に廬講橋事件直後におきているという時系列的なポイントが重要である。なぜ北京郊外に日本兵がいたのか。目的は居 留外国人の安全を護るため、今日で言うPKOであり、断じて「侵略」ではなかった。
通州事件は日本を巻き込むためにシナが仕組んだ挑発であり、直後から日本は朝野をあげて中国を討てという合唱になった。 結果的に泥沼の戦争に巻き込まれた。通州の虐殺は「キ東保安部隊」と国民党との密約が存在していた。かれらはもっと大規 模な同時多発テロを準備していたのである。(キ東の「キ」は「北」の下に「異」)。

 第二は中国の「兵」の定義である。
 加藤氏は「中国では『兵』と『匪賊』の差がほとんどないのが実情だった。満州まで含めれば『匪賊』に『緑林』 (盗賊、馬賊)が加わる。兵が脱走して匪賊、馬賊となり、匪賊、馬賊が帰順して兵となるのが日常化していると考えればよい」という。
 それゆえに自治政府が結成され、河北省の指導者が段汝耕だった。ほかにも宋哲元らが いた。かれらは「親日派」とされ、うっかり日本軍は段汝耕らを信じてしまった。たが段も宋も、地下で蒋介石と繋がっていたのだ。
 シナ正規軍は日本の保安部隊と自治政府の保安部隊を襲い、数時間の戦闘となる。民間人の虐殺は匪賊系、つまり蒋介石の 別働隊である「藍衣社」系列の殺人部隊が行ったのである。
 殺戮の舞台となった通州は歴史的に由緒がある。安録山の乱はこの地から発祥した。
 明治四年、台湾で日本人虐殺がおきたとき、北京へ談判にでかけた大久保利通は「台湾は化外の地」と清朝から言質を得 た。その帰路、大久保は通州に滞在した。
 この地で、大久保は通洲で一詩を詠む。
「和なり忽ち下る通州の水
  閑に蓬窓(よしずの下がった窓)に臥して 夢自ら平かなり」

 奇跡的に助かった妊婦ふたりの証言や生き残った新聞記者の実録は当時、ちゃんと新聞にも報道された。

 ▼新資料が飛び出した

 しかし従来の証言、資料にはなった新しい資料が近年になってでてきた。
北京への留学生だった河野通弘は目撃者から貴重な談話を集めて記録を作り、平成七年に手記を残した。当日、かれは 北京にいて、通州方面に爆撃によるのか、黒煙のあがるのを見て、飛びあがった。

 「拓殖大学の先輩にあたる中山正敏を訪ねて東京からやってきたばかりの亀井実の安否だった」。
彼は「大使館の要請で通 州へ救援 と通訳に駆り出される」ことになった。
 通州で見た残虐な地獄。河野通弘は克明にメモをとった。同級生だった亀井は非命に斃れていた。脱線だが、ここにでてく る中山正敏氏。はてと思い当たった。以前に何度もお目にかかった日本空手協会の首席師範の中山氏のことではないか。慌て てページを捲ると、やっぱりそうだった。中山氏は三島由紀夫の空手の師匠で、何回か憂国忌で奉納演武を実演していただい たことを思い出した。

閑話休題。憲兵隊の荒牧中尉も記録を残していた。
 「事件当時の通州憲兵隊長は安部起吉憲兵少佐だったが、事件から一年が経過した昭和十三年八月、新たに荒牧純介憲兵中 尉が赴任してきた」(加藤前掲書)。
 この荒牧が、安部が作成した事件調書を筆写しており、終戦後まで長く保存し、昭和五十六年に私家版の『痛々しい通州虐 殺事変』を残していた。憲兵隊の原本が存在しないため、この荒巻私家版が真実を物語ることになる。
 また加藤氏は、この事件を外国人特派員はいかに報じていたかを探し当てた。フレデリック・ウィリアムズが『中国の戦争 宣伝の内幕』を書いていた。これは近年、田中秀雄氏が翻訳した。 
 ウィリアムズは「古代から近代までを見渡して最悪の集団として歴史に記録されるだろう」。「最も暗黒なる町の名と して(通洲は)何世紀のあとも記されることだろう」と書き残していた。
 尼港事件と同様な近現代史の闇。
また一つ、謎の闇の奧に光りが当たった。貴重な記録、第一級の歴史資料

 アナトーリー・グートマン著 長瀬了治訳
 『ニコラエフスクの日本人虐殺 ──1920年、尼港事件の真実』(勉誠出版)

 ちょうど百年が経過して、事件は風化した。
 「尼港事件」は殆どだれも知らないが、ロシア極東の港町でおきた日本人の大虐殺事件だ。大正九年のことであり、舞台と なった尼港とはアムール川の出口に位置したニコラエフスク市のことである。
 この町は当時、サハリン州に属していた。日本租界が拓け、多数の日本人住民が居たので領事館もあった。商社も娼妓館も あった。
 暴力革命の余波が極東にも迫っていた。ロシアのボルシェビキ革命を逃れてきたロシア人富裕層、とりわけユダヤ系の人々 が多く、かれらは赤軍を憎んでいた。
ここに多数の中国人と朝鮮人が加わり、軍事集団が輻輳し、裏切りは日常茶飯、赤軍のパルチザンと言っても盗賊、山賊、強 盗のたぐい、彼らが行った虐殺行為は、目撃談が多く残されていた。

だが、真実に迫ることはなかなか容易ではない。
 ミステリーに満ちた「極東共和国」に関しても、戦後はよほどの歴史家いがい、日本人の関心事の対象から外れた。ソ連を 嫌悪し、極東に独立国を宣言したロシア人を日本軍が間接支援していた。極東共和国については語り出すときりがないので、 いまは措く。
 埋もれ逝く歴史!

 ▼通過事件と共通する残虐、猟奇性

 同様に終戦のどさくさに起きた大虐殺事件=「通化事件」は、被害者の日本人が真相をしらないため、ますます分からない と答えるのが大多数。ようやく南京大虐殺の嘘がばれて、つぎに焦点が「通州事件」に移り、こちらのほうは保守陣営のなか でも、少しづつ知られるようになった。(「通州」と「通化」はまったく違います)
 通化事件のほうは、引き上げ途次の日本人およそ三千がシナ人によって虐殺され、河は血の海となり、その犠牲者数は通州 事件の十倍なのである。
誰もが忘れたのか、語りたくないのか。じつは評者(宮崎)、この通化事件現場にも撮影に行ったことがある。
 通州は二回行ったが、こちらのほうは十年前まで当時の遺物も残っていた。いまは新開発区となって北京に編入されて上、 地下鉄が開通し、面影はなにもない。
 前者の通化へは吉林から長距離バスで入り、現場を歩き回って写真を撮り、レポートしたことがある。本書の舞台、尼港の 現場は未踏である。

 さて、尼港事件とは概括的にいえば、ロシア革命後の内戦で赤軍が、ロシア人6000人、日本人730人以上を虐殺し、 赤軍と言うよりも愚連隊、ギャングまがいの犯罪者暴徒は尼港市を壊滅させた。
 1917年にロシア革命はなったが、その後の、赤色パルチザンとは、殺人鬼のような愚連隊集団が実態だった。あまりに も残酷な犯罪行為であり、国際世論は怒りに湧いた。
直後のロシア「調査委員会」報告と生き証人達の生々しい証言で、日本人が忘れさせられた暴力革命の暴虐の凄まじさが甦っ たのだ。

 著者のアナトーリー・グートマンは白系ロシア人ジャーナリストで、事件当時、日本に滞在していた。報を聞いて、直後に ロシアでつくられた「調査委員会」が三か月間現地調査してまとめた報告書を基礎資料とし、自身の取材も加えて執筆したも のである。原書は、1924年ベルリンで出版され、1993年になってカナダで英訳版がでた。
 日本でも最初の訳本は英訳版からの重訳だった。このたびの新刊はロシア語からの翻訳で、より完全な歴史の第一資料であ る。
尼港事件の詳細は、本書の数々の証言で実態が明らかになる。

 この尼港事件と、かの通州事件とを比較すると、共通しているのは殺戮する側の残酷さ、非人間性、悪魔のごとき猟奇性、 この意味ではロシアのゴロツキもシナの殺人舞台も、便乗する朝鮮人も変わらない。
 いわゆる「通州事件」で、中国兵に惨殺された邦人は257名。かの「南京大虐殺」とかいう事件は、中国がでっちあげた フィクション、嘘放送の類いだったことはすでに120%証明されている。
にもかかわらず、中国に裏側から工作されたユネスコは、世界記憶遺産申請を認めた。ブルガリア共産党出身のボゴバが主導 した。日本が貶められているのに、政府も外務省も何もしない。ボゴバと、コルデス(WHO事務局長)、なんとなく似てる なぁ。

 ▼シナの挑発、謀略だったのではないのか

 「通州事件」の記録は、「アーカイブ」が民間人の手で設立され、歴史教科書に一部だけだが掲載され、しかし日本各地で 研究会や講演会が連続開催された。とはいうものの事件から長い歳月が流れ、いったいどれほどの日本人が、この事件の真相 を知っているのだろうか。
まして日本政府は、この事件を忘却の彼方へと自虐的に追いやり、戦後一度も取り上げて中国に抗議し、賠償を請求すること がなかった。
 加藤康男氏の『慟哭の通州』(飛鳥新社)は複眼で通州事件を総攬する。
 第一に廬講橋事件直後におきているという時系列的なポイントが重要である。なぜ北京郊外に日本兵がいたのか。目的は居 留外国人の安全を護るため、今日で言うPKOであり、断じて「侵略」ではなかった。
通州事件は日本を巻き込むためにシナが仕組んだ挑発であり、直後から日本は朝野をあげて中国を討てという合唱になった。 結果的に泥沼の戦争に巻き込まれた。通州の虐殺は「キ東保安部隊」と国民党との密約が存在していた。かれらはもっと大規 模な同時多発テロを準備していたのである。(キ東の「キ」は「北」の下に「異」)。

 第二は中国の「兵」の定義である。
 加藤氏は「中国では『兵』と『匪賊』の差がほとんどないのが実情だった。満州まで含めれば『匪賊』に『緑林』 (盗賊、馬賊)が加わる。兵が脱走して匪賊、馬賊となり、匪賊、馬賊が帰順して兵となるのが日常化していると考えればよい」という。
 それゆえに自治政府が結成され、河北省の指導者が段汝耕だった。ほかにも宋哲元らが いた。かれらは「親日派」とされ、うっかり日本軍は段汝耕らを信じてしまった。たが段も宋も、地下で蒋介石と繋がっていたのだ。
 シナ正規軍は日本の保安部隊と自治政府の保安部隊を襲い、数時間の戦闘となる。民間人の虐殺は匪賊系、つまり蒋介石の 別働隊である「藍衣社」系列の殺人部隊が行ったのである。
 殺戮の舞台となった通州は歴史的に由緒がある。安録山の乱はこの地から発祥した。
 明治四年、台湾で日本人虐殺がおきたとき、北京へ談判にでかけた大久保利通は「台湾は化外の地」と清朝から言質を得 た。その帰路、大久保は通州に滞在した。
 この地で、大久保は通洲で一詩を詠む。
「和なり忽ち下る通州の水
  閑に蓬窓(よしずの下がった窓)に臥して 夢自ら平かなり」

 奇跡的に助かった妊婦ふたりの証言や生き残った新聞記者の実録は当時、ちゃんと新聞にも報道された。

 ▼新資料が飛び出した

 しかし従来の証言、資料にはなった新しい資料が近年になってでてきた。
北京への留学生だった河野通弘は目撃者から貴重な談話を集めて記録を作り、平成七年に手記を残した。当日、かれは 北京にいて、通州方面に爆撃によるのか、黒煙のあがるのを見て、飛びあがった。

 「拓殖大学の先輩にあたる中山正敏を訪ねて東京からやってきたばかりの亀井実の安否だった」。
彼は「大使館の要請で通 州へ救援 と通訳に駆り出される」ことになった。
 通州で見た残虐な地獄。河野通弘は克明にメモをとった。同級生だった亀井は非命に斃れていた。脱線だが、ここにでてく る中山正敏氏。はてと思い当たった。以前に何度もお目にかかった日本空手協会の首席師範の中山氏のことではないか。慌て てページを捲ると、やっぱりそうだった。中山氏は三島由紀夫の空手の師匠で、何回か憂国忌で奉納演武を実演していただい たことを思い出した。

閑話休題。憲兵隊の荒牧中尉も記録を残していた。
 「事件当時の通州憲兵隊長は安部起吉憲兵少佐だったが、事件から一年が経過した昭和十三年八月、新たに荒牧純介憲兵中 尉が赴任してきた」(加藤前掲書)。
 この荒牧が、安部が作成した事件調書を筆写しており、終戦後まで長く保存し、昭和五十六年に私家版の『痛々しい通州虐 殺事変』を残していた。憲兵隊の原本が存在しないため、この荒巻私家版が真実を物語ることになる。
 また加藤氏は、この事件を外国人特派員はいかに報じていたかを探し当てた。フレデリック・ウィリアムズが『中国の戦争 宣伝の内幕』を書いていた。これは近年、田中秀雄氏が翻訳した。 
 ウィリアムズは「古代から近代までを見渡して最悪の集団として歴史に記録されるだろう」。「最も暗黒なる町の名と して(通洲は)何世紀のあとも記されることだろう」と書き残していた。
 尼港事件と同様な近現代史の闇。
また一つ、謎の闇の奧に光りが当たった。

  それにしても、自虐史観に犯された日本経済界のお偉いさん達はこうした恐ろしさを知らないのでしょうね。もし、知っていたら、そんな恐ろしい人達の国に従業員を駐在させたり出来ないでしょう。

それとも、同類かな!

★四度あっ た南京事件

2020年03月18日 | 南京問題

 ネットをやってなければ南京事件なんて知りもし無かったし、ましてやChinaによる捏造なんて想像も出来なかったでしょう。
  ネットをやり、ねずさんのブログに出会えたことで人生は変わりました。日本がこれ程までに素晴らしい国だったことを知り、それまではどちらかと言えば嫌いだった日本が大好きになり、産まれてきたことをあり難く思えるようになったのですからこんなあり難いことはありません。

  そのねずさんが南京事件は4度あったと教えてくれたのも新しい驚きでした。Chinaの恐ろしさに呆れたものです。
  どう考えても、日本が付き合っては行けない国でしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりご とより   2020 年3月11日

  四度あっ た南京事件

  ・・・略

  中共がいう南京大虐殺はねつ造です。
ただし南京には、実際に起こった虐殺事件があります。
こちらは史実です。

その南京虐殺事件とは、以下の4つです。

1 第一次南京事件(大正2(1913)年)
  張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して
  虐殺、強姦、略奪を行った事件
2 第二次南京事件(昭和2(1927)年)
  国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京
  に入り込み、
  城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。
3 第三次南京事件(昭和12(1937)年)
  南京に陣取った国民党軍が、
  日本軍がやってくるからと城内で
  虐殺、強姦、略奪を行った事件。
4 第四次南京事件(昭和24(1949)年)
  中共軍が南京を制圧し、資本家らを襲い虐殺、
  強姦、略奪を行った事件。

1~2では、在留邦人も被害にあいました。
3は、中共政府が宣伝する南京大虐殺よりも「前」にあった出来事です。
4は、昭和24年ですから、すでに大東亜戦争も終わり、日本とはまるで関係のない中で起きた事件です。

以下、順にその概要をみていきますが、これを見ると、いかに大陸の流儀というのが、被害者を加害者に、加害者を被害者にすり 替えるいい加減なものかがわかります。・・・以下略



  こんな国と金の為に付き合うのは余りにもバカげていますが、これも、政・官・財のお偉いさん達が、優等生だっただけに本当の日本の歴史を教わってこなかった所為でしょう。
  やはり、日本人が本当の日本の素晴らしい歴史を知り正しい国家観と歴史観を持つことこそが日本の再生には必要です。それには、やはり教育とマスメディアの改革です。

  折角こんな素晴らしい国に産まれながら、自虐史観に犯されて日本を嫌いになるのは余りにも勿体ない。
  政・官・財・マスメディアの人達が心から日本の為に働ける国に一にも早く再生したいものです。
  そうすれば、必然的に特亜3国と付き合うことなど考えないでしょう。 


★南京大虐殺は嘘を映像で証明、戦線後方記録映画

2019年12月16日 | 南京問題

  下で取り上げたウィグルの人達の虐殺に加担している日本人は、そのChinaに南京虐殺の嘘を世界に広められています。こんなことをされても、金の為なら付いていくとは何とも最低ですね。
  先人が今の日本人を見たら、あの時戦わなかった方が良かったのじゃないかと後悔しているのじゃないでしょうか。

  その南京の信実の動画はネットでも断片が見られますが、その全編が見れるようです。

  「虎ノ門ニュース」で、大高美貴さんが紹介してくれています。


  金の為に先人の名誉も顧みない現代の日本人って本当に情けないですね。やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」です。


★鈴木史朗さん南京の信実を語る

2018年12月19日 | 南京問題

  子供の時、南京に住んでいた体験から南京事件は有り得無いと発言してくれた鈴木史朗さんが発言を続けてくれているようです。
  反日売国左翼・在日マスメディアは、相変わらず報道しない自由を行使するでしょうから、ネットをやらない人に広まらないのが何ともくやしいですね。


  こういう発言を英語やChina語の字幕を付けて政府・外務省に世界に広めて貰いたいものですが、きっとやら無いでしょうね。
  どうして、日本の名誉の為に仕事をするのが嫌なのでしょうか。それとも、仕事が増えるのが嫌なのか。


★福田康夫元首相、南京事件「数の問題ではない」

2018年10月10日 | 南京問題

  ルーピーが韓国で名誉博士号を貰って喜んでいるなんて記事もありましたが、もう1人、頭がどうなっているのかと思える、6月27日、第1120回の「★福田康夫元首相が『南京大虐殺記念館』を訪問」で、取り上げた福田がまだ講演で南京事件を語っているようです。

  それにしても、反日売国左翼・在日のルーピー・アレ(菅)など錚々たる元総理は、元々、狂っているのだから仕方ないかもしれませんが、仮にも自民党の総理総裁だった福田には呆れるしかないですね。

  こんな奴等を総理に選んだ日本の劣化は想像を絶するものがあります。とは言いながら、この期に及んでも玉城なんてのを選ぶ沖縄にも絶望します。やはり日本の劣化はもう極限まで来ています。

  それにしても、この福田、こんな自虐史観で自民党の総理総裁まで登り詰めたんですね。今の、自民党にもこれに近いのがうようよしているのかと思うと、やはり、日本はもう滅びるしかないのかも。
  尤も、その講演を聞きに行く人がいるというのも信じられません。

  産経ニュースより    2018.10.5

  福田康夫元首相、南京事件「数の問題ではない」 群馬で講演

 福田康夫元首相は5日、日中国交正常化45周年と日中平和友好条約締結40周年を記念し、群馬県渋川市内で講演。中国やアジア諸国との関係などについて「世界中とお付き合いしていくことがこれからの日本の生きる道だ」と訴えた。

 特に日中関係については「良い関係でなくてはいけない」とし、南京事件にも言及。見解が分かれる犠牲者数について議論する問題ではないとし、「(事件が)あったことは事実。中国の全土にどれだけ被害を与えたか、日本人は考えなくてはいけない」と述べた。

 また、安倍晋三首相が意欲を見せる憲法改正については「早計に結論を出すものではない。慎重にやってほしい」と語った。

  こちらにルーピーの記事もあります。

  産経ニュースより   2018.10.2

  鳩山由紀夫元首相に韓国の大学が名誉博士号 「安倍首相は大日本主義に執着」

  【ソウル=名村隆寛】韓国の釜山大学は2日、鳩山由紀夫元首相に政治学の名誉博士号を授与した。鳩山氏は授与式に続き、記念講演を行った。

 聯合ニュースによると、鳩山氏は授与式に先立つ記者団との懇談で、慰安婦問題をめぐる日韓合意に基づき設立された「和解・癒やし財団」の解散を文在寅(ムン・ジェイン)大統領が示唆したことについて「合意が守られないことを心配した。重要なのは韓国国民が納得できる方法で問題の解決を模索することだと思う」と明言したという。

 また、韓国・済州島(チェジュド)で10日から開かれる国際観艦式で、海上自衛隊の艦船が自衛艦旗の「旭日旗」を掲揚することについての質問に対し、鳩山氏は「安倍晋三首相は強い日本を作りたく、大日本主義に執着している。私はそのような考えには同意しない」と答えるにとどめ、直接的な言及は避けた。

 記念講演には元慰安婦の韓国人女性も駆けつけた。女性は「(2015年に)ソウルの西大門刑務所跡地を訪れ、ひざまずき泣いている(鳩山氏の)姿を見て、このような人がどこにいようかと思った。日本人の中で本当に最高の人だと思った」と発言。「(鳩山氏が)慰安婦問題を解決すると約束してくれ、私も手紙を書いて送りもした」などと、かつての鳩山氏とのエピソードを紹介したという。

  それにしても、こんなのが首相をやって良く日本が消滅しなかったものです。奇跡でしょうか。


★カナダ・トロントで「南京大虐殺犠牲者記念碑」設置計画

2018年07月03日 | 南京問題

  中韓共に、国の崩壊が近いと言うのに、何で海外でまで日本を貶めル活動に精を出すのでしょう。そんな暇があったら、国を救うことに力を注いだ方が良さそうなものですが、個人の力ではどうにもならないので、その腹いせにに本貶めに力を入れているのでしょうか。本当に鬱陶しい人達です。

  カナダでの動きが酷くなってきているようです。

  産経ニュースより     2018.7.2

 【歴史戦】カ ナダ・トロントで「南京大虐殺犠牲者記念碑」設置計画 記念日制定署名も

 カナダ東部のオンタリオ州トロント市の中国系団体が今年10月に「南京大虐殺犠牲者記念碑」の建立を目指していること が1日、分かった。中国系住民が多く居住するトロント市近くのリッチモンドヒル市にある、私営墓地に設置する計画だ。ま た、西部バンクーバーでは中国系国会議員が、旧日本軍が1937(昭和12)年に中国・南京を占領した12月13日を 「南京大虐殺記念日」に制定するようカナダ政府に求める署名運動を始めた。カナダを舞台にした歴史戦の動きが活発化して いることは、日本政府も把握している。

 記念碑設置計画は「トロント華人団体連合総会」と「カナダ中国洪門(フリーメーソン)民治党トロント支部」が6月21 日にトロント市内で記者会見し、発表した。記念碑は1冊の本の形(高さ3・72メートル、長さ9・2メートル、幅4・ 88メートル)で、「黒く重い歴史」の象徴とするため黒っぽい大理石か花崗岩を使用する予定だ。記念碑設置は昨年9月か ら検討され、将来的には「南京大虐殺犠牲者記念館」設立の構想もあるという。

 設置場所は公園内も検討したとされるが、日本政府などが欧米で慰安婦像を公用地に設置する動きを阻止するケースが相次 いだこともあり、許可を得ることが難しいと判断したようだ。

 トロント華人団体連合総会は85年に創立され、多くの中国系団体を傘下に収めているとされる。中国政府との関係も強 く、中国政府の「工作機関」と呼ぶ現地メディアもある。

 同会の前主席と現主席は中国福建省出身で、いずれも97年以降にカナダに移住した。日中関係筋は、今回のような移住者 が日本との歴史問題に積極的に関与する背景について「中国共産党下で教育を受けた海外移住者の中国への愛国心と、ビジネ スのために中国政府と良好な関係を結んでおきたいという思惑がある」と分析する。

 一方、カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバーでは、州選出の国会議員、ジェニー・クワン氏が今年5月 から「南京大虐殺記念日」制定の署名活動を始めた。クワン氏は昨年11月の連邦議会で、いわゆる「南京大虐殺」に言及 し、カナダの反日団体「カナダALPHA」の活動をたたえていた。

 記念日制定の動きは一昨年からオンタリオ州や中部マニトバ州の議会で起きていたが、現地での反対活動などによって順調 に進んでいない。現地紙などによると、クワン氏は今年10月までに10万人以上の署名を集め、カナダ政府に記念日制定を 求める考えだという。記念日制定に反対する現地の日本人たちは危機感を強めている。

  南京事件は、自分達がやった通州事件の資料などを使った捏造と言うのはもうバレているのに、真実は奴等には関係ないようです。
  その通州事件が80年になるそうです。西村幸祐さんがフェイスブックで紹介してくれています。



  それにしても、通州事件を隠してきた日本の戦後の平和ボケの情けないこと。


南京と慰安婦のプロパガンダを座視するな!

2017年12月26日 | 南京問題

  このところ楽しみな【Front Japan 桜】の上島・銀谷コンビが、今回も興味深い話題を語ってくれました。

 まずは上島さんは、アイリス・チャンの「レイプオブ南京」に対する外務省の素晴らしい働きを、
 斎藤大使の名を上げて語ってくれています。

  後半の銀谷さんの血税30万円の行方も興味深いものがあります。 


  銀谷さんは生い立ちにも触れていましたが、かなり苦労されているようです。何処かのお嬢様かと思っていましたが、そんな生易しい境遇ではなかったようです。

  それにしても、何時もながら、反論を恐れぬ鋭い告発には感心します。

  そんな銀谷さんの強さを思っていたら、産経抄が、偶然でしょうかアイリス・チャンなど中国の日本貶めに活躍した女性の力を書いてくれています。

  産経ニュースより    2017.12.14

 【産経抄】反日運動は「女子力」が鍵 

 今年4月に参院で行われた外交に関する調査会に、参考人として川口順子(よりこ)元外相の姿があった。発言でまず、劇団四季のミュージカル『異国の丘』を取り上げた。

 ▼印象深い場面として、中華民国総統夫人だった宋美齢が米国で反日工作を繰り広げる場面を挙げる。市民社会への働きかけが外交でいかに重要かを示していた。とりわけ1943年2月の連邦議会での演説が、対日政策に与えた影響は大きかったといわれる。

 ▼反日運動は「『女子力』こそが鍵」。中国問題にくわしい作家、河添恵子さんの指摘である。『ザ・レイプ・オブ・南京』の著者アイリス・チャン氏も、チャイナドレスがよく似合う若き才媛だった。

 ▼おじいちゃん学者が発表していたら、事実誤認だらけの本が、米国内でもてはやされることはなかったはずだ(『「歴史戦」はオンナの闘い』)。若くして亡くなったチャン氏の功績に報いたかったのだろう。銅像を名門大学に寄贈したのは、中国対外宣伝組織だった。

 ▼中国系住民が170万人を超えるカナダで、近年盛り上がっている反日運動を牽引(けんいん)しているのも「女子」らしい。連邦議会下院で先月30日、香港出身の女性議員が南京事件や慰安婦問題について、偽りだらけの発言で議場を沸かした。昨年オンタリオ州の議会に、12月13日を「南京大虐殺記念日」として制定する法案を提出したのも香港系の女性議員である。

 ▼旧日本軍の中国・南京占領から80年を迎えた昨日、中国政府は南京市で、犠牲者を追悼する恒例の国家式典を開いた。習近平国家主席は出席しながら、演説はしなかった。改善の兆しがみえる日中関係に配慮したとの見方がある。楽観にすぎるだろう。歴史戦の手を緩めるとはとても思えない。

  日本も、銀谷さんのような強い女性が表れて来て、日本の為に働いてくれる時代じゃないでしょうか。只し、日本の為に働いてくれる女性は中国の女性のように嘘はつきません。正義の味方です。

  中国女性に似たのは、反日売国左翼・在日の女性達の中に沢山居そうです。そうした女性達は一掃したいものです。


「チベット・通州」共同申請の却下決定

2017年11月15日 | 南京問題

  ニセ慰安婦問題は延期になりましたが、ユネスコの怪し さはまだまだどうなるか分かりません。油断をすれば、何をやられるか分かったものじゃ無いでしょう。
  
  ボコバが最後っ屁で、ニセ慰安婦問題を採択するのじゃないかと心配しましたが、流石に、底までの度胸は無かったようですが、 6月12日、第 724回の「『ユ ネスコ記憶遺産にチベット・通州事件』と『慰安婦』を登録申請」で取り上げた「チベット・通州」は却下されたようです。

  ボコバがいなくなったので、次には受け付けられるのでしょうか。

  何時もの宮崎さんが、「通州事件アーカイブズ設立基 金」が抗議声明を出したことをとりあげてくれています。

 宮崎正弘の国際ニュース・ 早読みより  平成29年(2017)11月5日(日曜日) 通巻第5498号  

 ユネスコ「世 界の記憶」の「チベット・通州」共同申請の却下決定に対する抗議声明
 「通州事件アーカイブズ設立基金

 ユネスコは、10月30日、「世界の記憶」に新規登録された78件のリストをホームページに公表しましたが、「チベット・通 州」共同申請の文献は登録が却下されました。
 4月の10日に「世界の記憶」小委員会より、問題点の指摘があり、それに応えて修正資料を送ったにもかかわらず、これに何の返 答もないままに登録却下したということは、はなはだ不明瞭な登録審査であると言わねばなりません。

 これに対して、「通州事件アーカイブズ設立基 金」は下記の抗議声明を10月31日付で発表しました。
  抗議声明原文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads /Statement.pdf
英訳文:http://www.sdh-fact.com/CL/Statement-of-Protest.pdf

 なお、これまでにわれわれは、Newsletter により、通州に関する登録申請資料18点のうち、次の8点を内外に紹介し てきましたので、ご参考までに紹介します。
  1、「戦禍の北支を行く」(吉屋信子)(『主婦の友』昭和12年9月号) 
   http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Yoshiya.pdf
  2、天津歩兵隊長・支那駐屯歩兵第二連隊長 萱島 高 陸軍中将
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Kayajima.pdf
  3、   通州救援第二連隊歩兵隊長代理 桂 鎮雄 陸軍少佐
   http://hassin.org/01/wp-content/uploads/KATSURA.pdf
  4、支那駐屯歩兵第二連隊小隊長 桜井文雄 陸軍少佐
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Sakurai.pdf
  5、浜口茂子の回想(昭和史研究会報)
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Hamamguchi.pdf
  6、死の通州脱出記―同盟通信社 安藤利男(日本評論)
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/ando.pdf
  7、通州惨劇とその前後 東京日日新聞 橘善守(文芸春秋)
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Tachibana.pdf
  8、佐々木テンの証言(調寛雅著『天皇様が泣いてござった』)(教育社)
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/sasaki.pdf
               「史実を世界に発信する会

  政府・外務省は、今度こそ何時までも民間の動きに任せたままじゃなく、今までの態度を改め、真剣にこの事案を通してもらいたいものです。 
  好い加減に日本の名誉を守る仕事をしないと、益々、保守勢力が離れて行きます。そうなれば、最後のチャンスである憲法改正も不可能になり、日本は消滅するのじゃないでしょうか。


「南京大虐殺記念日」カナダの別の州でも法案

2017年11月14日 | 南京問題

  山本優美子さんが、8日、第 1611回の「慰安婦プロパガンダの国際性と悪質性」で、取り上げた動画「ユネスコで引き分けた慰安婦問題」の中で報告してくれていたオンタリオ州の隣のマニトバ州でも「南京虐殺記念日」制定の動きについて、産経新聞が取り上げてくれています。 

  産経ニュースより   2017.11.4

 【歴史戦】「南 京大虐殺記念日」カナダの別の州でも法案 事件80年で制定の動き拡大、今度はマニトバ州

  カナダ中部マ ニトバ州の州議会で、旧日本軍が1937(昭和12)年に中国・南京を占領した12月13日を「南京大虐殺記念日」 と定める法案を審査する手続きが進んでいることが3日、分かった。記念日制定を目指す動きは、同州に隣接するオンタリオ州議会で も動議が採択されたばかり。今年は南京事件から80年にあたることから、記念日制定を目指す動きが激しくなっている。

 中国国営新華社通信によると、マニトバ州議会の法案を提出したフィリピン系の女性議員は「マニトバ州にいる多くの中国系住民の 中には、親族に南京大虐殺の犠牲者がいる人も少なくない。記念日の制定は犠牲者を追悼し、歴史の教訓を学び、悲劇を繰り返さない ためだ」と語っている。

 カナダの州議会は、3段階の審議を行う「三読会制」を取り、法案は本会議での一読会と二読会、委員会審査、本会議での三読会の 後、州総督の署名を経て州法として発効する。マニトバ州議会は10月26日に記念日制定の法案について二読会を終えたという。

 一方、オンタリオ州では同じ日に同趣旨の記念日制定を定める動議が州議会で採択された。当初は昨年12月に法案として提出さ れ、法案は二読会まで進んだが、委員会で審議されない状況が続いていた。法案を提出した中国系のスー・ウォン議員が業を煮やし、 法案可決の実現に向けた機運づくりとして動議を提出したとされる。

 河野太郎外相は「(法的拘束力がない)動議に格下げになった」との認識を示しているが、ウォン議員は「まず動議を可決して、そ の後に法案の可決を勝ち取る」と中国メディアに語っており、法案の可決になお意欲をみせる。

 7月にオンタリオ州の状況を視察した自民党国際情報検討委員会の原田義昭委員長は「動議をステップアップの材料にして、法案可 決を目指す動きが激しくなる恐れがある」と述べ、警戒を強めている。

 オンタリオ州では、10月28日には州都トロントで、中国系団体などが「南京大虐殺文物資料展」を開催しており、南京陥落80 周年を前に中国と無関係の第三国で日本をおとしめる運動が活発化している。

  これは、政府・外務省に、何としても阻止してもらいたいものです。

  その政府・林芳正文科相が、ユネスコで演説をしたようです。

  産経ニュースより   2017.11.3

 【世界の記憶】「南 京」文書の開示促す ユネスコ演説で林芳正文科相、改革は歓迎

 【パリ=三井美奈】パリで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第39回総会で3日、林芳正・文部科学相が一般政策演説を 行い、日本が主導してきた「世界の記憶」(世界記憶遺産)の審査改革が先月決まったことを歓迎した。

 審査改革は、2015年に中国申請の南京大虐殺資料が登録されたことを受け、日本が進めてきた。ユネスコ事務局長が諮問機関の 勧告を受けて一方的に登録を決める方式を見直し、関係国の意見表明の機会を設けることを定める内容。先月、ユネスコ執行委員会で 決議された。林文科相は、新たな審査体制で「わが国は責任ある加盟国として役割を果たしていく」と述べた。

 また、「世界の記憶」について「重要な記録遺産の保存とアクセスを図ることで、相互理解を進めることが重要だ」と訴えた。ユネ スコは「世界の記憶」について、インターネットなどで広くアクセスを認めるよう奨励しているが、南京大虐殺資料は完全公開され ず、内容の確認ができないまま不透明な状態で登録されたことを踏まえた発言だ。

 林文科相はさらに、「わが国は、ユネスコが『人の心の中に平和のとりでを築く』という設立理念に基づいて、本来あるべき道を行 くように、新事務局長と協力していく」と述べ、15日にボコバ事務局長の後継者として就任するオードレ・アズレ新事務局長が、ユネスコ改革を進めることに期待感を示した。

  延期を勝ち取っただけで期待感なんて、のんきなことを言ってるんじゃなく、拠出金の停止を前面に打ち出して攻めるべきでしょう。当然、脱退もちらつかせて。
  
  ここは、河野外務相の強い動きを見たいものです。と言うか、ニセ慰安婦問題を解決しない限り総理の芽はないことを覚悟して取り組んでもらいましょう。


カナダ・オンタリオ州で「南京大虐殺記念日」

2017年11月06日 | 南京問題

  偶然でしょうか、今日、青山さんの動画で、「ポー ランドのジャパンディスカウント運動」を取り上げ、中国の執拗な工作の恐ろしさに呆れました。

  ところが、その程度では収まらないようで、カナダでもやったようです。何と、心配されていた、「南京大虐殺記念日」を、とうとう可決したようです。
  この執拗さを日本も真似する必要があるでしょう。ところで、全く逆にそんなことには、興味が無い反日売国左翼・在日外務省は、阻止の為にどのくらい動いたのでしょうか。
  もし動いていたとしても、単なるアリバイ工作だったと言えば言い過ぎでしょうか。と言うか、愛国心の無い者に、阻止する覚悟があるとは思えません。

  産経ニュースより     2017.10.27

 【歴史戦】カ ナダ・オンタリオ州で「南京大虐殺記念日」制定の動議可決

 【ニューヨーク=上塚真由】カナダ東部のオンタリオ州議会は26日、旧日本軍が1937(昭和12)年に中国・南京を占領した 12月13日を「南京大虐殺記念日」と定める動議について審議し、可決した。中国系の議員が主導し、州議会では制定の意義を強調 する意見表明が相次いだ。中国系人口が多い同州で、記念日制定を受けて反日運動などが高まる可能性もある。

 南京大虐殺記念日の制定をめぐっては昨年12月、中国系のスー・ウォン議員が法案を提出。しかし、現地で反対運動が起こるなど して採決には至っていない。ウォン氏は法案を取り下げないまま今回、法的拘束力のない動議に切り替えて提案し、26日に投票を経 ずに可決された。

 動議では、12月13日を記念日として定めることで、「オンタリオ州議会は、南京大虐殺の20万人を超える犠牲者を認めて追悼 し、遺族に敬意を表すとともに、南京大虐殺やほかのアジアで起きた第二次大戦の残虐行為についても理解を深めるべきだ」などと明 記した。

  この執拗な特亜3国の日本貶め作戦に対抗するには、一つ一つ、潰して行くなんてまどろっこしいことではどうにもならないでしょう。
  ここは、やはり、元から断つ為に、特亜3国を崩壊させるべきでしょう。できるかな。


完結「南京事件」

2017年09月16日 | 南京問題

  何時もの、中山恭子さんの【日いづる 国より】のゲストは先週に続いて水間さんでしたが、何時もと違って、 12日、第801回の「名門中学校に浸透する反日教育」での教科書問題の続きではありませんでした。

  最近、水間さんが心血を注いで出版された完 結「南京事件」ビジネス社の話題でした。これは、素晴らしい武器になりそうです。  


  何と、南京での虐殺と言われている40万人は、完全な嘘で、真実は34人だそうです。これは、面白い。世界にこれを広げたらどんな反応が帰って来るのでしょうか。
  これぞ、日本の本当の軍隊。  


  政府・外務省は、この本を世界に広めるべきです。間違ってもやらないのでしょうね。