団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★戦艦大和の真の姿 〜隠された本当の最期〜

2023年07月14日 | ゼロ戦・大和

 戦艦大和程の美しい軍艦は無いと思うのは日本贔屓だけではないでしょう。あれ程美しい船は殆ど無いのじゃないでしょうか。それだけに、日本の誇りとして復元して欲しいものです。

  その大和の最後の意味をねずさんが、むすび大学チャンネルで報告してくれています。


  「ガリレオ Ch」がその大和を詳しく取り上げてくれています。


  やっぱり大和は美しい。それは、大きいからでなく、その装備を小さく纏めてあの大きさに収めたことが美しさの意味なのです。
  やはり、零戦と共に復活させて貰いたいものです。


★ゼロ戦パイロットその魅力を語る

2022年05月03日 | ゼロ戦・大和

 大好きなゼロ戦を2015年11月16日の「★飛べぬ帰ってきたゼロ戦」等で取り上げた時の日本人パイロット方がゼロ戦の魅力を語ってくれています。
  何と、長尾さんがインタビューしてくれています。フェイスブックにアップしてくれています。

  ゼロ戦がジュラルミンを採用した世界初の飛行機だそうです。その機体の軽さも実現されたそうです。
  八尾の空港でエンジンの音だけでゼロ戦と解った人がいたというのも感動です。



  やはり、ゼロ戦は良いですね。一機でも多く復元して日本の空を堂々と飛んで貰いたい。
  ついでと言ってはなんですが、大和の復元も実現してもらいたい。

  日本の誇る大和とゼロ戦の復元をする余裕を持てる日本であって欲しいものです。


★戦艦大和の真の姿 〜隠された本当の最期〜

2021年10月03日 | ゼロ戦・大和

 戦艦大和の最後には深い意味があったと、2019年8月22日 、第1891回の「★沈みゆく戦艦大和、1​7歳のあの日」などで、ねずさんに教えてもらいました。
  そんな大和の最後を今度は動画で語ってくれています。


  それにしても、ねずさんの活動のお陰で多くの平和ボケ日本人が目を覚ましてくれたことを考えると本当に有難いことです。
  今や常識になりつつあるシラスの復活などは国の根幹に関わることだけに本当に素晴らしい仕事です。
  これからも、体に気をつけて長く活動してもらいたいものです。


★戦艦大和 主砲の旋盤を展示へ 大和ミュージアム

2021年09月06日 | ゼロ戦・大和

 昨日の刀の話題も日本の物を大事に使うことに感動させられますが、これも驚かされる記事がありました。
  何と、戦艦大和の主砲を作ったとされる旋盤がまだ残っているのだそうです。それを大和ミュージアムに展示するので寄付をクラウドファンディングで募集したらあっという間に予定額を突破したそうです。
  やはり、こういうことには日本人の心意気が現れるような気がします。もしかしたら、宇宙戦艦ヤマトじゃなく本物の大和の復活を希望する日本人は多いのじゃないでしょうか。

  大和は日本人の誇りだということを思い知らされました。元気を無くした日本人を元気づけるためにも是非復活させて欲しいものです。

それ位の余裕が欲しい!

零戦、6機目が新造作業中

2018年01月04日 | ゼロ戦・大和

  自虐史観に犯され劣化してしまった日本人の中にも、2017年12月19日、第6652回の「倉敷の男性が戦闘機『飛燕』落札」で、取り上げたような気骨のある方もおられることを喜びましたが、その一方、折角修復して日本の空で飛んだゼロ戦の維持費もままならない情け無い日本の現状にがっかりもさせられました。

  そんなゼロ戦の6機目の修復が行われているのだそうです。ところが、これも残念ながら、日本でのことではないようです。

  産経ニュースより    2017.12.20

 【い まも飛ぶ大戦機】零戦、6機目が新造作業中 2018年の初飛行を目指す

 戦国時代の甲冑や刀剣類は歴史遺産もしくは美術品だが、零戦は忌まわしい兵器である、と、解釈する日本人は決して少なくな いだろう。しかし、かつての刃を交えたアメリカでは、零戦は航空史に名を刻むべきマイルストーンであり、後世に伝承すべき技 術遺産と認識されている。したがって飛行可能な零戦は、すべて米国登録機であり、もっか5機が現存している。そして現在、 2018年中の初飛行を目指して、6機目となる零戦の組み立て作業が進んでいるのだ。

 米ワシントン州エバレットのレジェンド・フライヤー社は、マーシャル諸島タロア島で回収した零戦4機分の残骸から、部材の 形状・寸法を割り出すリバース・エンジニアリングを駆使して、零戦の新造作業と取り組んでいる。同社は以前、飛行可能な独 メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機の新造作業を手掛けただけに、技術力は米大戦機業界で高く評価されており、この 零戦も高度な完成度・忠実度が期待できる。しかも型式は、わずか343機しか生産されなかった稀少な32型で、飛行可能機と しては初となる。ちなみに零戦32型は、本機以外に筑前町立大刀洗平和記念館(福岡県朝倉郡)の収蔵機が現存するのみだ。

 2001年に始まったこの零戦再生プロジェクトは、当初、エンジンも栄21型発動機を再生して搭載する予定であった。とこ ろが途中で所有者が替わり、当時の再生エンジンでは長時間稼働に耐えられないとの判断から、米国製P&W R-1830ツイン・ワスプへの換装が決定した経緯がある。そのため機首周りの構造、カウリング全面変更など、大幅な改修が必要となり、なんと17年間に も渡る長期プロジェクトとなってしまったのだ。しかし、筆者が今年9月末に取材した段階で、ようやく2018年中に初飛行を 実施する見込みが立ったという。

 なお飛行可能な零戦再生プロジェクトは、本機のみならず筆者が把握している情報だけでも、他に複数機が進行している。この ように零戦が、故国ではなくかつての“敵国”で再生され、現代の大空を翔けている事実を、日本人として素直に喜んでいいの か、それとも歴史認識の格差を憂えるべきなのか。(文・藤森篤)

 【プロフィル】藤森篤(ふじもり・あつし)

 日本大学理工学部航空宇宙工学専修コースで、零戦設計主務者・堀越二郎博士らに学ぶ。30余年間、飛行可能な第二次大戦機 の取材・撮影をライフワークとする。著書は「零戦五二型・レストアの真実と全記録」「現存レシプロ戦闘機10傑」(エイ出版 社)など。


  こうやって、修復されていることは嬉しいですが、やはり、日本の冷淡さにはがっかりさせられます。
  これも、結局は、自虐史観のなせる業であることは間違い無いでしょう。先人の素晴らしい技術を日本人の手で残すことは絶対に必要です。
  本来なら、国が率先してやるべきことでしょうが、今の劣化した腰の引けた政治家達では無理でしょうね。
  こういう話題が出れば、日本中が一丸となって立ち上がるようにならなければならないですね。そんな日が来るのでしょうか。
  それには、やはり、日本人が目覚めることが必要です。憲法改正と同じです。独立が成れば、こんなことも直ぐにできるのじゃないでしょうか。その時には大和の復活も期待したいものです。

日本人は目覚めるでしょうか!

倉敷の男性が戦闘機「飛燕」落札

2017年12月19日 | ゼロ戦・大和

  ネットオークションに出ていると話題になっていた「飛燕」を、倉敷の方が落札したそうです。誰か日本人に買う人はいないものかと期待していましたが、やはり、有志はおられたようです。
  自分で、復元もされるようです。非行は無理のようですが、その意気は素晴らしいですね。川崎のオートバイの修理をやられているそうですから、川崎が手助けしてくれることを期待したいものです。

  山陽新聞より     2017年12 月01日
   
 倉敷の男性が戦 闘機「飛燕」落札 “帰国”の機体「復元したい」

 今秋ネットオークションに出品され話題になっていた旧日本陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を、倉敷市広江でオートバイ部品 の製造販売会社を経営する武浩さん(53)が落札、30日に納品された。太平洋戦争の南方戦線で任務中に胴体着陸したらし く、主翼や胴部が大きく破損しているが、エンジンなど機体のほとんどが残された状態で、武さんは七十数年ぶりに“帰国”した 機体を前に「自分たちの手で復元し、いつか多くの人に見てほしい」と意気込んでいる。

 機体はパプアニューギニアのジャングルで発見され、1970年代にオーストラリアのコレクターが入手した。今年10月、愛 媛県の代理人を介してオークションサイト「ヤフオク!」に出品。川崎重工業製オートバイのレストア(復元)やドレスアップを 手掛ける武さんが、原点ともいえる川崎航空機工業(現川崎重工業)が開発した「飛燕」を「何とか日本に戻したい」と入札。 1500万円で落札した。

 国内に現存する「飛燕」は他に、日本航空協会(東京)が所有する1機のみで、経済産業省の近代化産業遺産群に認定されてい る。同機を収蔵する「かかみがはら航空宇宙科学博物館」(岐阜県各務原市)によると、当時の日本では数少ない液冷エンジンを 搭載した軍用機で、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などの空冷エンジン搭載機に比べ、スマートで流麗なデザインが特徴という。同博 物館の島崎芳雄学芸員は「貴重な機体が日本に戻るのは喜ばしい」と歓迎する。

 機体は30日、コンテナに収められて倉敷に到着。武さんは今後、オートバイでの経験を生かして復元に取り組む。「日本の機 械技術の歴史を伝える“証人”として憧れの存在だった。かつての姿を取り戻したい」と話している。

 飛燕 正式名称は「三式戦闘機」。ドイツの戦闘機「メッサーシュミット」の液冷エンジンをライセンス生産した「ハ40」を 搭載し、1943年に採用。速度と運動性を両立させた戦闘機として約3千機が生産され、フィリピンやパプアニューギニア戦線 に投入された。しかし、動力系統の故障に悩まされ、45年には空冷エンジンに変更した「五式戦闘機」も登場。「飛燕」ととも に本土防空戦に当たった。


  飛燕と言えば、2014年12月02日、第 5553回の「帰っ てきたゼロ戦」で、取り上げたゼロ戦が、維持費に苦労されているようです。
  ここでも何度か取り上げさせていただいている長尾たかしさんが応援されているようです。大山さんが、「虎ノ門ニュース」で紹介もされていました。

   それにしても、こうした貴重なものを保存する気配も無い日本政府にはがっかりさせられますが、こうして、長尾さんや青山さん達がそうした働きかけをしてくれれば動き出すでしょうか。
  これも、反日売国左翼・在日共が反対と騒ぐのでしょうね。やはり、日本人が目覚める以外、こんなことも実現できないのですね。 

余りにも情け無い!

★大和・沖縄特攻について

2017年04月17日 | ゼロ戦・大和

  大和の沖縄への特攻は、絶対に不可能であることを分かっていながら実行されたのは、特攻隊と同じで、それをやることにより、日本人は日本の国を守る為にはここまでやるのだという矜持をを見せ、日本人の後世の再生を祈ったものだとねずさんに教えてもらって目から鱗でした。

  その悲劇的な最後についての、驚くべき裏話を上島さんが【Front Japan 桜】で語ってくれています。

  何と、アメリカの第5艦隊指揮官ス プルーアンスが、大和の覚悟に対して、敬意を票して、艦隊で対応するつもりだったというのです。
  その裏には、ニミッツさんと同じで、東郷元帥への尊敬があったようです。

  これは、驚きです。この素晴らしい心意気に涙が出そうです。やはり、上層部のハンモック順位の日本と実力主義の差かも知れないですね。

  大和の話題は、17分過ぎから

 


  サーチしてみたら、何時もの「国際派日本人養成講座」さんが書いてくれていました。全文は、是非リンク元で読んでください。

   
  国際派日本人養成講座より    H12.03.05
 

                               
  ■1.ニミッツ提督■

  チェスター・W・ニミッツは、日本軍による真珠湾攻撃後に更迭されたキンメルの後任として、アメリカ太平洋艦隊司令 長官に任命された。
   
     開戦直後から終戦に至る全期間、米海軍の太平洋方面の最高指揮官を努め、延べ5千隻の艦船、1万5千機の飛行機、2百万の将兵を統率して、米国に勝利を もたらした。
   
     そのニミッツ提督が尊敬してやまなかった海軍軍人が、皮肉にも敵国日本の東郷平八郎元帥であった。日本敗戦後の9月2日、ニミッツはアメリカ合衆国の全 権の一人としてミズーリ艦上で、日本降伏受託書に署名した。

     彼は調印式の前日、東郷元帥が日本海海戦を指揮した旗艦三笠が、どんな様子になっているか、気になって自分自身で確かめるため、横須賀に赴いた。そこに 見たのは、荒れ果てた三笠の姿であった。

  ■2.東郷元帥を尊敬するものの一人として■

     その時のことを、ニミッツは後に「文芸春秋」に寄稿した文章の中でこう述べている。

         管理人の話では、真鍮や銅の付属品は戦争中に軍需資材として、全部取り除かれたとのことだった。そのほかに歴史的価値ある部分がどさくさに持ち去られた 跡もみられた。
        東郷元帥を尊敬するものの一人として、昔から有名なこの軍艦が、これ以上荒らさるべきでないと思い、私は米海兵隊に命じて歩哨(営門などの警戒・監視に任 ずる兵)を立て、三笠を破損したり、歴史的な物品を持ち去ることを防ぐことにした…
       
     しかし、その後も続いた三笠の荒廃にふれて、この有名な軍艦がダンスホールに使用されたとは嘆かわしい…

         どういう処置をとれと差出がましいことはいえないが、日本国民と政府が全世界の海軍々人に賞賛されている東郷提督の思い出をながらえるため、適切な方法 を講ずることを希望する…

         この一文が原稿料に価するならば、その全額を東郷元帥記念保存基金に私の名で寄付させてほしい…(「文藝春秋」昭和33年2月号)…以下略

  素晴らしい話ですが、その裏で、日本人の劣化を見せつけられているような気もします。

  こんな感動的な話なのに、顰蹙を買うかも知れませんが、大和の最後には、思い切り主砲を撃たせてあげたかったですね。


★心神飛行試験開始

2016年12月12日 | ゼロ戦・大和

  日本を引っ張って貰いたいと期待している三菱重工の最近の体たらくを、MRJのもたもたや心神は大丈夫かと、 11月09日、第6247回の「三菱重工の失墜・CMにコンス」で書きました。

  あの韓国の挨拶コンスをCMに仕込まれるようでは、まだまだ危機感がないのでしょう。と思っていたら、何と、心神の飛行試験が始まったようです。

  これで、名誉を挽回してもらいたいですね。

  産経ニュースより     2016.11.29

  国 産ステルス戦闘機が飛行試験 引き渡し後初めて

 防衛装備庁は29日、国産初のステルス戦闘機「先進技術実証機」(通称・心神、正式名称・X2)の飛行試験を岐阜試験場 (各務原市)で行ったと発表した。6月に心神が同庁に引き渡されて以降、初めての飛行試験。速度センサーの確認などを行っ た。

 飛行試験を行ったのは同日午前8時53分からの約1時間。今後は約50回飛行試験を行い、ステルス性や高運動性を確認す る。試験結果は、将来戦闘機の開発に向けた判断材料とする。防衛装備庁はこれまで、飛行中に機体に加わる力を計算するセン サーの機能を地上で確認する作業などを行っていた。

 心神は平成22年から試作が始まり、炭素繊維の電波吸収材や形状により、レーダーに映りにくいステルス性能を備えている。 機体は全長14.2メートル、全幅9.1メートル、全高4.5メートル。開発費は約400億円。

  日本が独立して、心神から産まれたジェット戦闘機が日本の主力として飛び回る姿を見たいものですが、こればっかりは、こちらの命が持ちそうもないですね。

そんな日は何時でしょう!

★心神が遂に飛んだ

2016年04月28日 | ゼロ戦・大和

  昨日、三菱自動車の問題で、心神の初飛行も大 丈夫 だろうかと書いた途端に、初飛行のニュースが飛び込んできました。素直に、嬉しいですね。又、待たされるのかと心配していま したが、これで、後は、テスト飛行などを楽しみにできます。

  それにしても、これ程待っていた初飛行の時に、自動車の不正問題が明らかになったのは、何となく、裏で何かが働いて いる のじゃないかと思ってしまいますが、考えすぎでしょうか。
  とは言いながら、そんなことにとらわれず、是非、世界が追いつけない素晴らしい国産戦闘機を作り上げて、世界に日本 の凄 さを思い知らせてもらいたいものです。

   産経ニュースより     2016.4.22

  【日 本版ステルス機初飛行】「平成の零戦」心神、初めて大空舞う…30分飛行、レーダー映りにくい性能

    防衛装備庁は22日午前、国産初のステルス戦闘機開発に向けた「先進技術実証機」(通称・心神)の初飛行を実施した。航空自衛隊・小牧基地(愛知県小牧 市)を飛び立った心神は30分後、空自・岐阜基地(岐阜県各務原市)に着陸した。

 心神は平成22年から試作が始まり、炭素繊維の電波吸収材や工夫を凝らした形状により、レーダーに映りにくいステルス 性能 を備えている。防衛省の発注で三菱重工業などが製造した。

  こちらは、心神を詳しく取り上げてくれていますが、結構長いので、全文は、リンク元で読んでください。

   産経ニュースより    2016.4.22

  【日 本版ステルス機初飛行】大空に舞った「平成の零戦」 米軍「F-35」を凌駕する「心神」 「軍事情勢」野口裕之記 者レ ポート

  驚くほど細身で、しなやかささえ漂う「白地に赤く」彩られた機体は、前脚が滑走路から離れるや、グイと大 空を 見上げた。「空の青」に鮮やかに溶け込み始めた、操縦席直下に映える「日の丸の赤」に感動したのも瞬く間、頼もしい爆音とと もに、かなたへと消えていった。国産初となるステルス戦闘機開発に向けた《心神》は22日、初陣を飾ったが、眼下に広が る濃 尾平野が「若武者」の門出を祝った。心神は、防衛省の発注で三菱重工業などが製造する《先進技術実証機》の愛称であるが、誰 が付けたか分からぬものの、富士山の別称とは心憎い。航空自衛隊・小牧基地(愛知県小牧市)を飛び立った心神は30分 後、空 自・岐阜基地(岐阜県各務原市)に着陸を果たしたが、国戦闘機開発の再生は緒に就いたばかり。わが国を取り巻くキナ臭い情勢 を観察すれば、かつてわが国が掲げたスローガン《翼強ければ国強し》を、再び強力に実行する時代を迎えた。

 日本航空史の屈辱「大学の応用力学科」

 心神が、零戦と縁(えにし)が深い三菱重工業の愛知県内の工場で生まれたためかもしれぬ。心神の晴れがましい姿が見え なく なると、水を差す言葉が頭をよぎった。…以下略

  動画を探しましたが、実際に飛んでいるのはこれしか見つけることができませんでした。

  どうしたのかなと思ってたら、やはり、時間が経つに連れて増えて来ているようです。

 

 

  本論とはずれますが、心神が富士山の別称というのは、初めて知りました。変 わった名前だと思ってはいましたが、まさか、富士山とは思いもしませんでした。

  ということで、サーチしてみましたが、これというのを見つけることができませんでした。辛うじて参考になりそう なのがこちらでした。

  日 本心神 文化遺産オンライン


  それにしても、どんな人が、心神と名付けたのでしょうか。益々、好きになりました。

 いよいよ、日 本の時代が来るか!

心神納入遅れへ

2016年03月21日 | ゼロ戦・大和

  去年の一月の初飛行が延期された、2月28日 (日)、第 5992回の「『平 成の零戦』開発で24万人雇用創出も」などで、何度も取り上げてきた心神の初飛行が、又しても延期のようで す。
  MRJのもたもたの後なので、今度こそは大丈夫かと期待していたのですが、やはりダメでしたね。何となく、三菱への 信頼感が薄れてきてしまいます。大丈夫なのでしょうか。
  とはいいながら、ここまで来たのですから、何とか、無事な初飛行を見せて欲しいものです。

   産経ニュースより  2016.3.13

  ス テルス試作機納入遅れへ 4月中旬以降の見通し

    国産初となるステルス戦闘機開発に向け、防衛省の発注により三菱重工業などが製造する試作機「先進技術実証機」の納入が、期限である今月末に間に合わな い可能性が高いことが13日、防衛省関係者への取材で分かった。

  納入の前提となる地上滑走試験や初飛行を含む飛行試験の終了が予定より遅れているためで、機体の納入は4月中旬以降 になる見通し。試作機をめぐっては、エンジンや操縦系統でさらなる検証が必要となり、昨年3月末だった納入期限を延長し た経緯がある。

  関係者によると、試作機は今後、数回の滑走試験を経て、飛行試験を2回行うことを計画している。1回目は愛知県営名 古屋空港(愛知県)から航空自衛隊岐阜基地(岐阜県)までの間で、2回目は岐阜基地周辺空域を飛行する予定だ。

  機体の納入後は、防衛装備庁が試作機のデータを分析し、2018年度までに空自のF2戦闘機の後継機を国内開発にす るのか、国際共同開発にするのかなどを決める方針。

  4月の中旬以降も、延期の可能性もありそうですね。一体、何時まで待てば良いのでしょう。中韓の崩壊とどちらが早い のでしょうか。

  いずれにしても、何とか一年以上生きながらえて待っていたのですから、何とか、この目で見させてください。

  それにしても、やはり、飛行機の開発というのは大変なようですね。一企業が手を出すのは、並大抵のことじゃなさそう です。やはり、国がバックアップして育てる体制を整える必要があるでしょうね。
  反日売国左翼が、騒ぐので、ここでも、国の腰が引けているのでしょうね。やはり、政府・自民党の覚悟が足らないの じゃないでしょうか。

国のために働いてもらいたいも のです!

「平成の零戦」開発で24万人雇用創出も

2016年02月28日 | ゼロ戦・大和

  今月中かと期待していた心神の初飛行は来月のようです。MRJの件もあったので、どうなることかと心配していたのですが、地上滑走試験は行ったようなので、一応3月には間違いようです。
   
   何とか、上手く行ってもらいたいものです。これで、日本が本格的に日本での製造を決定すれば、いよいよ日本の時代になりそうです。

  産経新聞が、期待を込めて書いてくれています。
 
    SankeiBizより  2016.2.24

  「平成の零戦」開発で24万人雇用創出も 航空機産業復活へ

  ステルス戦闘機開発に向け、三菱重工業などが製造している試作機「先進技術実証機」=28日午後、愛知県豊山町【拡大】

     防衛省の発注で三菱重工業などが製造する《先進技術実証機》の地上滑走試験を視察した中谷元・防衛相は、実証機が背負う「重み」をよく理解しているようだ。中谷氏は強調した-

  「(開発が)順調に進展していることを確認した」

  「将来のわが国の戦闘機開発や航空機産業全体の技術革新、他分野への応用に大変期待が持てる」

  「重み」を語る前に、敬意を込め、また親しみを込めて、《心神》と愛称(富士山の別称)で呼びたい。さて「重み」について。中谷氏が「順調な進展」に言 及した背景には、平成7年の研究開始以来、技術的にほぼ未開の、しかも高度な分野に踏み込み、克服しつつある安堵感が横たわる。何しろ、米軍のF-35と いった《第5世代》戦闘機の上をうかがう、将来の《第6世代》戦闘機開発に備えた開発・製造なのだ。30万点もの部品を組み合わせ、国産化率9割超の軍用 機を造り上げた技術陣や参加企業220社は誉められてよい。

  特徴の第一は、炭素繊維を駆使し、形状を“彫刻”し、敵レーダーに探知されず敵を捕捉するステルス性で、国産成功例は米露中3カ国だけ。繊維▽耐熱素材 ▽電子機器▽小型燃料装置…、わが国の得意技術を活かした点も特筆される。強い向かい風を受けても失速せず、旋回半径の著しい短縮を可能にしたエンジンの 開発も、担当のIHIが成功した。結果、軽量化を図り高い運動性を実現した。

  2つ目の「重み」は、中谷氏の言葉にもあるが、将来の戦闘機開発や航空機産業全体の技術革新に資する展望だ。

  22年3月に国内企業群が試作を始めた心神は、3月末の防衛装備庁引渡しを控え、初飛行を終える。その後、研究中だった最新技術を追加→試験飛行を反 復→問題点をあぶり出し→分析→改善を施し→新たな技術を付加→再び飛行する。回転を止めず進化を求め続ける、以上の過程の繰り返しを軍事の要諦《スパイ ラル・セオリー》と呼ぶ。実戦で使う兵器の不具合は「自衛官の死」を意味する。従って、セオリー途中での不具合や問題点は貴重な発展的改善材料で、次の次 の戦闘機開発にも性能アップした上で導入される。

  加えて「学び取った技術・ノウハウは、許される範囲で最大限民間にも伝授できる」(三菱重工業の浜田充・技師長)。

  経済効果も絶大だ。武器輸出3原則緩和や防衛装備庁設立と相まって、期待は否が応でも高まる。心神には220社が関わったが、戦闘機量産ともなれば、 直接従事する企業(孫請け、ひ孫請け…を含む)ばかりか、工場建屋建設はじめ、工場の社員食堂に食品や白衣を納入する業者まで、さらに企業数が増える。小 欄の認識で、広義の「防衛産業」とは関連業者も入り、兵器によっては総計数千社が恩恵を受ける。開発資金の不足以外、良いことづくしだ。

  ところで、航空自衛隊のF-2戦闘機の後継機を国産にするか共同開発にするかが注目されているが、大事な視点が抜けている。心神が与えてくれる数々の技術の完成度が、将来型戦闘機の生産・開発形態を決めるからだ。

  関係者は「未定でよい」と言い切る。国産戦闘機製造への総合力を持てば、外国が注目し擦り寄ってくる。逆説的に言えば、国産戦闘機製造への総合力を持 たぬと軍需大国に相手にされず、共同開発には参画できない。この関係者は「国産戦闘機の製造段階にのぼった時点で、防衛技術基盤の発展や費用対効果、企業 収益など国益を冷静に勘案し、国産か共同開発かを判断すればよい」と、まずは「国産力」蓄積を目指す方向が基本と考えている。

  仮に国産にすれば開発費は5千億~1兆円超。一方で防衛省は、最低でも4兆円の新規事業誕生+8・3億円の経済波及効果+24万人の雇用創出を試算する。

  他方、共同開発であれば費用・技術上のリスクを、同盟・友好国とシェアできる。

  国産・共同開発いずれにしても、海外に売り込むスキームは早期に構築しなければならない。

  スキームといえばもう一つ必要だ。前述した武器輸出3原則緩和や防衛装備庁設立による「副作用」対策。3原則に縛られ兵器貿易と貿易管理面で「鎖国」 状態だったぬるま湯時代とは違い、「開国」し、日本政府が外国との輸出入に乗り出した現在では不可欠となった、人材(ヒト)・技術(モノ)・利益(カネ) の流失を防ぐ法的管理スキームがないのだ。別の関係者は日本メーカーの具体名を挙げ(仮にA社)、「A社と提携関係を切って、ウチに来ないか?と、外国企 業に手を突っ込まれる日本企業は次第に増えている」と証言。「開国」がもたらした現状を「舌なめずりするオオカミがうろつく荒野で、ヒツジが閉じこもって いた檻の扉が開いた」と表現した。

  航空自衛隊出身の宇都隆史参院議員は「戦闘機開発は国家の体制を守る礎の一つになる。礎の構築は、わが国が独自の技術力をしっかりと確保して、初めて 達成する」と、小欄に期待を語ったが、心神の「白地に赤い」機体と、操縦席直下の「日の丸」に「国家の体制を守る」頼もしさを感じる。

  そう感じるのは、零戦と縁(えにし)が深い三菱重工業の愛知県内の工場で生まれた心神の出自と無縁ではない。心神こそ、戦後、大日本帝國陸海軍の傑作機復活を恐れる連合国軍総司令部(GHQ)がズタズタにした日本の航空機産業を蘇生させる先駆けと成るのである。

  少しは溜飲が下がった。(野口裕之)

  取りあえずは、納入の飛行だけのようですが、納入すれば、実験が本格的になるでしょうから、これからは、飛行している映像も増えるのじゃないでしょうか。

3月は延ばさないで欲しい!

「零戦里帰りプロジェクト」報告と御礼

2016年02月12日 | ゼロ戦・大和

  1月29日、第209-1回の「青山さん日本の闇を告発」で動画だけを挙げていた、ゼロ戦里帰りプロジェクトの石塚さんと水島さんの対談の報告と御礼の動画がアップされました。

  石塚さんは海外で会社を立ち上げ成功されていたようですが、その資金を全て、このゼロ戦里帰りプロジェクトの為に使い果たしたようです。
  その心意気によって、私のようなゼロ戦大好き人間を喜ばしてくれただけじゃなく、多くの日本人に感動を与えてくれたのじゃないでしょうか。

  本当に、並の心意気じゃ、到底できないことです。本当に、ありがとうと御礼を言いたいですね。

  今後も、日本の空を自由に飛べるような体制を政府にお願いしたいものです。

  そして、三菱が所有していると思われるもう一機も一緒に飛んでもらいたいものです。当然、心神とのそれも、見て見たいものです。

 

  それにしても、本当に、感激します。先人は、こんな凄い技術を戦前に確立していたのです。それにもかかわらず、戦後、日本の技術は安かろう悪かろうと洗脳されていました。本当に、悔しいですね。

今こそ、目を覚ましましょう!

「日本版ステルス機」お披露目

2016年02月02日 | ゼロ戦・大和

  帰ってきたゼロ戦の初飛行を、29 日(金)、第209-1回の「青山さん日本の闇を告発」で取り上げましたが、もう一つの期待である、2015年11月29日 (日)、第5901回の「心神年内初飛行は厳しい」などで取り上げて来た「心神」がお披露目されたそうです。
  いよいよ、こちらも初飛行が実現しそうです。早ければ、今月中かもしれませんね。何とも、楽しみです、去年の一月から待ちに待っていたので、何とか、見たいものです。

   産経ニュースより     2016.1.28

  【「日本版ステルス機」お披露目】 米軍「第5世代」を上回る「心神」! 「軍事情勢」野口裕之記者特別レポート「先端技術を集めた兵器は美しい」

     報道陣に公開された先進技術実証機=28日、愛知県豊山町(彦野公太朗撮影)

  「先端技術を集めた兵器は美しい。秘密のベールに包まれた技術も神秘性をただよわせる」

  とは、官民の防衛関係者が兵器をお披露目するにあたり、一様に抱く感慨だ。愛知県内に在る三菱重工の工場で28日、同じ感慨を共有した。

  同日午後に公開されたのは、米軍のF-35といった「第5世代」戦闘機の上をうかがう、将来の「第6世代」戦闘機開発に備えた研究実験機《先進技術実 証機》。富士山の別称「心神」という愛称の方がすっかり有名になった。三菱関係者が命名したとの言い伝えもあるが定かではない。

  ともあれ、零戦と縁が深いこの工場で生まれた心神が、武器輸出3原則緩和や防衛装備庁設立と相まって、戦後、大日本帝国陸海軍の傑作機復活を恐れる連 合国軍最高司令官総司令部(GHQ)がズタズタにした日本の航空機産業を蘇生させる先駆けと成る…そんな確かな手応えを感じた。

  特徴は、炭素繊維を駆使した敵レーダーに探知されず敵を捕捉できるステルス性能はじめ、耐熱素材や電子機器、小型化した燃料装置の導入に象徴される、 わが国の得意技術を生かした点。結果、軽量化を図り高い運動性を可能にした。機体が失速しやすい姿勢を強いられようと、失速し難く工夫されたエンジンも、 担当のIHIが開発に成功した。

  航空自衛隊出身の宇都隆史参院議員は「戦闘機開発は国家の体制を守る礎の一つになる。礎の構築は、わが国が独自の技術力をしっかりと確保して、初めて達成する」と、小欄に期待を語った。

  平成22年3月に国内企業群が開発を始めた心神は、今年3月の防衛省引渡しまでに初飛行を終える。その後、研究中だった最新技術を追加→試験飛行を反 復→問題点をあぶり出し→分析→改善を施し→新たな技術を付加→再び飛行する。回転を止めず進化を求め続ける、以上の過程の繰り返しを軍事の要諦「スパイ ラル・セオリー」と呼ぶ。セオリーは心神が直接、空自の将来型戦闘機となるわけではない傍証でもある。

  むしろ「心神が生み出す数々の技術の完成度が、将来型戦闘機の生産・開発形態を決める」と言った方が正確だろう。日米両国は米国より技術情報供与を受 け空自の次期戦闘機F-35を日本国内で組み立てる方針で同意したが、F-35導入後の将来型戦闘機を国産にするか、費用・技術上のリスクをシェアすべく 外国との共同開発に踏み出すかは未定だ。

  関係者は「未定でよい」と言い切る。国産戦闘機製造への総合力を持てば、外国が注目し擦り寄ってくる。逆説的に言えば、国産戦闘機製造への総合力を持 たぬと軍需大国に相手にされず、共同開発には参画できない。この関係者は「国産戦闘機を製造できる段階に昇った時点で、防衛技術基盤の発展や費用対効果、 企業収益など国益を冷静に勘案し、国産か共同開発かを判断すればよい」と、まずは「国産力」蓄積を目指す方向が基本と考えている。

  もっとも、膨大な国防費にあえぐ米国からの共同開発に関する打診は今のところない。が、「国産・共同開発いずれにしても、海外に売り込むスキームは早期に構築しなければ」とも提言する。

  仮に国産にすれば開発費は5千億~1兆円超。一方で防衛省は、最低でも4兆円の新規事業誕生+8・3億円の経済波及効果+24万人の雇用創出を試算する。

  スキームといえばもう一つ必要だ。前述した武器輸出3原則緩和や防衛装備庁設立による「副作用」対策。3原則に縛られ兵器貿易と貿易管理面で「鎖国」 状態だったぬるま湯時代とは違い、「開国」し、日本政府が外国との輸出入に乗り出した現在では必要となった、人材(ヒト)・技術(モノ)・利益(カネ)の 流失を防ぐ法的管理スキームがないのだ。

  別の関係者は日本メーカーの具体名を挙げ(仮にA社)、「A社と提携関係を切って、ウチに来ないか?と、外国企業に手を突っ込まれる日本企業は次第に増えている」と証言。「開国」がもたらした現状をこう表現した。

  「舌なめずりするオオカミがうろつく荒野に置く、ヒツジが閉じこもっていたおりの扉が開いた」(野口裕之)

  鹿屋のゼロ戦をセスナから撮った動画を桜チャンネルがアップしてくれています。

【零戦里帰りプロジェクト】鹿屋基地~鹿児島空港間の飛行が実現![桜H28/2/1]


  この両方を一緒に飛ばすところも見たいものですね。それにしても、先人が作り上げた素晴らしい技術のゼロ戦を飛ばすのを非難する左翼やマスコミって、本当に可哀想ですね。
  青山さんは、昔、三菱の工場で、保存しているゼロ戦を見せてもらったそうです。その当時も、これを飛ばすことは反対が怖くてできなかったのだそうです。多分、今でもあるはずだと言われてました。

  こんな、バカな反日売国左翼を日本から一掃して、日本の技術で世界に誇れる航空機の製造を本格的にしたいものです。
  その時こそ、ゼロ戦だけでなく、飛燕や隼など戦前の戦闘機とジェット戦闘機を心置きなく一緒に飛ばすことができるでしょう。早く、そういう時代を取り戻したいものです。
 
ワクワクしますね!

★青山さん日本の闇を告発

2016年01月29日 | ゼロ戦・大和

  25日第 205-1回の「メ タンハイドレート 隠岐周辺から初採取」の報道について、青山さんが、【虎ノ門ニュース 8時入り!】で、語ってくれるかなと期待していました。

  ところが、青山さんが、最初に取り上げたのは、意外にも小保方さんの本の件でした。何でだろうと不思議でしたが、聞 いていて、納得しました。
  何と小保方さんの研究が潰されたのは、日本が抱える大変な問題があるということを熱く語ってくれました。
  それは、メタンハイドレートにも繋がる問題でした。日本は素晴らしい国ですが、大きな欠点も持っているようです。

  この動画は、何時ものように、暫くして削除されると思われるので、是非、今の内に見てください。青山さんの怒りが良 く分かります。

  メタンハイドレートは、どうやら、国に期待するのは止めて、独自に開発するようです。だから、国が何をしようと関係 ないとの考えのようです。何とも、情けない国です。

  


  この中で、2016年1月26日 (火)、第 5959回の「MRJ は大型にすべきだった」で取り上げた2015年11月16日 (月)、第 5888回の「飛 べぬ帰ってきたゼロ戦」でも取り上げたあのゼロ戦が飛んだ話題も同じ問題があると語ってくれています。
  どうやら、日本には、とんでもない問題があるようです。日本人が戦前から抱える大きな欠点のようです。と言うか、日 本人が元から持っている欠点なのかもしれません。

  ゼロ戦の記事は産経新聞が詳しく取り上げてくれています。

  産経WESTよ り   2016.1.27

  元 零戦パイロット「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」鹿児島鹿屋市でテスト飛行、フェンス越しに歓声

   再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地【鈴木健児撮影】

  翼よこれが故国の地だ-。零式艦上戦闘機(零戦)がテスト飛行した27日、零戦が飛び立った海上自衛隊鹿屋航空基地 (鹿児島県鹿屋市)の周辺には、雄 姿を一目見ようと、大勢の見物客が訪れた。福岡市在住の元零戦パイロットは、基地を訪れることはできなかったが、「元搭 乗員の友人と、零戦が鹿屋の空を飛 んだ喜びを分かち合った」と語った。(奥原慎平)

  午後2時、零戦のプロペラがエンジン音とともに回り出した。操縦席には米国人パイロット、スキップ・ホルム氏 (72)が乗り込む。機体は滑走路を滑らかに加速し、鹿児島の空に飛び立った。滑走路近くのフェンスに集まった、100 人近い見物人から歓声が上がった。

  2回目の飛行では最高で、高度約1650メートルに達した。

  この日飛行した零戦は、ニュージーランド在住でフライトジャケット製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(55)が所 有する。石塚氏は、2010年2月に米国人バイクレーサーから購入した後、日本国内での飛行を目指して、資金集めや、関 係省庁との交渉を進めた。

  当初、戦後70年である昨年の実現を目指したが、安全保障関連法案の審議をめぐり、「戦争賛美の誤解を受けかねな い」と複数のスポンサーが撤退し、関係省庁も消極姿勢だった。

  石塚氏はようやく飛んだ零戦を見上げ「感無量だ。部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっている。飛ぶ姿を見て、今 の日本人に自信を取り戻してもらいたい。この機体を、日本のいろいろな場所で飛ばしたい」と語った。

  スポンサーの1人で、埼玉県在住の陸上自衛隊OB、和泉洋一郎氏(66)は「世紀の瞬間に立ち会えた。零戦は日本人 の技術力が詰まったものであり、日 本人が所有する零戦が飛ぶ姿をみると、感動しきりです」と涙ながらに語った。冠婚葬祭業、サンセルモ(東京)の安田幸史 社長は「この感動を多くの人と分か ち合いたい。飛行を一般公開してほしい」と述べた。

  福岡市南区に住む、零戦の元搭乗員、池田一彦氏(91)は残念ながら鹿屋に赴くことはできなかった。それでも、零戦 が旧海軍ゆかりの鹿屋を飛ぶという 話を、搭乗員仲間と電話で語り合ったという。池田氏は産経新聞の取材に「零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った。零 戦の技術力も知ってほしいが、あの 戦争において、傾きゆく天を支える気持ちで戦った仲間の思いを、若い人が知るきっかけにしてほしい。いつか日本人が操縦 し、編隊で飛ぶ零戦をみたい」と 語った。

  何と、桜チャンネルが、このゼロ戦の所有者石塚さんと水島さんの対談をアップしてくれています。やはり、ここまで来 るのは並大抵のことでは無かったよ うです。日本の問題が凝縮されているようです。素晴らしい国を本当に素晴らしい国にしたいものですね。これも、自虐史観 の影響でしょうか。


【石 塚政秀】いよいよ明日!ゼロ戦 日本上空を飛ぶ![桜H28/1/26]


MRJは大型にすべきだった

2016年01月26日 | ゼロ戦・大和

  心神の初飛行が待ち遠しい毎日ですが、MRJが主翼の強度不足で納入が1年延期という話を聞くと、心神も大丈夫だろうかと心配になります。
  どうも、MRJや豪華客船のトラブルなど、天下の三菱も怪しくなってきましたね。そんな不安を振り払って、世界をアッと言わせてもらいたいものです。

  その航空業産業について、石原慎太郎さんが面白い話を産経に書いてくれています。裏話も驚かされます。

  産経ニュースより    2016.1.18

  【石原慎太郎の日本よ ふたたび】 航空機産業は国家の命運を握る…MRJは米国に気兼ねせずもっと大型にすべきだった

  昨年の暮れ近く久し振りの国家的快挙として日本製のジェット旅客機MRJが誕生した。慶賀に堪えないが私自身にはいささかの不満がある。世界全体の需要からすれば本来ならばかつて活躍したYS11よりもう一回り大きな中小型の旅客機を作るべきだった筈だ。

  私は知事在任中アジアの大都市のネットワークを造り毎年一度の国際会議を催していた。アジアの大都市間で協議統合すべき問題は多々あるが、実は本当の 密かな狙いは航空機を製作出来る能力を保有している国同士の連帯で一番需要の高い中小型の純アジア製の旅客機をなんとしてでも作り世界に飛ばしたいという 念願だった。

  飛行機を作る可能性を保有する国は日本の他にすでにジェット戦闘機を製作している会社ハルを所有するインドや私と同じ試みで施策を試みていたバンドン に本社を持つインドネシアの会社に加えて航空機に不可欠な部品を製作可能な台湾まであった。そのサイズの飛行機なら日本からアメリカやヨーロッパまで飛ぶ 必要はなく、せいぜい東南アジア圏内を飛び回れればいいのだ。インドのような亜大陸でも未だ国内の行き来にジャンボのような大型機での往来のニーズには 至っていないから中小型機の方が需要が高いし、発展の可能性を秘めているアセアン諸国間の行き来にも適しているはずだ。ということで大都市ネットワークの 本会議とは別にそれぞれの国の航空関係者の別個の会議を頻繁に持つことにしたが集まった専門家たちの全てが私の提案に大賛成だった。インドネシアの会社の ごときは同じ発想で新型旅客機の製作に手をつけていたがアメリカの強い横槍で計画は潰され訪れたバンドンの本社の前庭には完成されるはずだった新型機の外形だけのドンガラが飾られていたものだ。

  という経緯もあって日本の官僚たちはアメリカに気兼ねして新しいアジア製旅客機のサイズを縮小させてしまった。今回の経緯を目にして、私が思い出した のはかつて日本製のYS11が思惑が外れて生産継続が挫折したいわれは、YSの性能の良さとその売れ行きを懸念したアメリカが東南アジアで手を尽くして日 本製飛行機の販路を潰したというまぎれもない事実だった。そのつぶさな実態を私は当時、商社丸紅のインドネシア支店長をしていて、後には社長になった同窓 の親友鳥海からつぶさに聞かされていた。その作業に暗躍していたのは他ならぬロッキードスキャンダルで表にたったコーチャンとクラッターなどという手合い だったそうな。

  自動車での競争で日本に敗北したアメリカは太平洋戦争の緒戦での日本製のゼロ戦が、ドイツが自慢のメッサーシュミットが撃ち落とせなかったB17を簡 単に撃墜させたトラウマを抱えていたせいで日本の航空機産業の台頭を絶対に許せずに、中曽根内閣時代に三菱重工が従来のいかなる戦闘機の性能をも上回る次 期支援戦闘機FSXの計画を発表した時、強引にこれを潰してしまった。この戦闘機の性能は旋回と宙返りの直径が従来の半分でいかなる相手との空中戦で優位 にたてるという絶対的なものだった。

  ちなみにアメリカの高性能の軍用機のコックピットはほとんど日本製の部品でなりたっている。他の大型旅客機の半ばも日本で作られてもいるが、アメリカ 側の製造部分が粗雑で繋がらなかったという事実もあるほどだ。故にも航空機産業はこの国の命運を左右しかねぬ可能性を秘めている。先般の火星にまで飛んで いき惑星の一部を採取して見事帰還した宇宙船ハヤブサの快挙も含めてわが国の先端技術の開発こそが国家を支える致命的な意味を持つということを我々は熟知 すべきなのだ。

  これって、本当ですかね。日本の技術がそこまで優秀だとは思ってませんでしたが、良く考えたら、そうであっても不思議はないですね。
  それにしても、YS11にもそんな工作が働いていたとは、やはり、アメリカは腹黒いですね。

  こうなると、やはり、日本の官庁は日本の足を引っ張ることしかしていないことに怒りを覚えます。国の為に命を懸ける何て骨のある官僚はいないようです ね。尤も、これは、政治家にも言えるし、日本人全てに言えるのかもしれません。これも、戦後の日本人の堕落を現しているのでしょう。

  その、優秀だった戦前の人達が作った2015年11月16日 (月)、第5888回の「飛べぬ帰ってきたゼロ戦」でも取り上げたあのゼロ戦が明日飛ぶそうです。

  産経ニュースより  2016.1.20

  戦後初 零戦、再び日本の空を舞う 「先人が築いた技術をみよ」 1月27日、鹿児島県鹿屋市
 
  零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛 省などの調整が終わったことが20日、わかった。日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、思い をはせるきっかけにしてほしい」と語った。(奥原慎平)

  飛行予定日は27日、周囲から見学を

  飛行予定日は27日で、28、29を予備日としている。基地内への立ち入りは禁止だが、周辺で飛ぶ様子を見ることはできる。パイロットに、零戦の飛行免許を持つ米国人を招く。

  機体は、ニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(54)が所有する。

  現在、飛行可能な零戦は世界中に6機ある。所有者のうち日本人は、石塚氏だけという。平成22(2010)年5月、国内で零戦を飛ばす「零戦里帰りプロジェクト」を設立した。

  トラブルから夢実現へ

  プロジェクトのきっかけは、トラブルだった。

  19年半ば、石塚氏のもとを、北海道小樽市の関係者を名乗る男性が訪れた。博物館で展示するために、零戦を入手したいが、その交渉を手伝ってほしいという依頼だった。

  石塚氏は、米国の飛行機収集家やパイロットに人脈があった。石塚氏は仲介を引き受けた。

  零戦を保有する米カリフォルニア州の有名バイクレーサーと売買契約を結んだ。彼が所有する機体は、パプアニューギニア・ラバウル近郊に放置されていた零戦22型で、米国人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。

  だが、契約後にリーマン・ショック(2008年9月)が発生した。男性が持ち掛けた零戦展示構想は、景気悪化のあおりを受けて、中止になったという。

  売買を取りやめれば、米国人レーサーから億単位の違約金を求められる。石塚氏は訴訟も考えたが、相談した弁護士に「零戦を生かす方法を考えた方が、自分の人生のためではないか」と諭された。

  石塚氏はもともと、飛行する零戦を日本人に見てもらいたいと夢を抱いていた。「それなら、日本で零戦を飛ばそう」。腹をくくった。

  3億5千万円かけて零戦を購入した。ニュージーランド・クライストチャーチにある牧場や自宅、車などを売り、借金もした。

  購入から4年半が経過した平成26年9月、機体が横浜港に到着した。駐機先は、隊員の研修用機材にすることを条件に、鹿児島県の鹿屋航空基地に決まった。

  鹿屋市までの輸送費などとして、インターネット経由で寄付金約2340万円を集めた。昨年7月初旬にエンジンテストも終え、いざ公開飛行を待つだけになった。

  省庁との交渉難航

  だが国内で零戦の実機飛行は前例がない。関係省庁との交渉は難航した。

  しかも、安全保障関連法案の国会審議が進む中で、戦中を思い起こさせる零戦の飛行に、関係省庁の中には難色を示す担当者もいた。

  安保法成立直後、機体の設計図や復元の課程を示す資料を全てそろえて国土交通省に飛行許可を申請した。実機検査を11月末に終え、12月18日、1カ月以内を目安に飛ばすことを条件に、飛行許可が下りた。基地上空の飛行も今月19日、鹿屋航空基地と調整を終えた。

  石塚氏は「単に零戦が好きだからではない。先人が作り上げ、終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術をみてほしい。彼らの努力が、現在の日本の繁栄を築いたことを多くの日本人が気がつくきっかけにしたい」と語った。

  ようやく公開飛行にこぎ着けたが、米国人パイロットと整備チームの滞在費や機体の送料などを考えると、まだ約2千万円が足りないといい、プロジェクト ではスポンサーも募っている。問い合わせは同プロジェクトウェブサイト(https://www.zero-sen.jp/)から。

  【用語解説】零戦

  三菱重工業が開発し、同社と中島飛行機が計1万機以上、生産した。制式採用された昭和15(1940)年が、皇紀2600年にあたることから、零戦と呼 ばれた。旋回など運動能力に優れ、航続距離は最高3千キロと、米グラマン社のF4(ワイルドキャット)の2倍以上あった。

  終戦後、日本ではGHQ(連合国軍総司令部)によって航空機研究が禁じられた。零戦技術者の多くは、ほかの産業に移り、日本の経済復興に尽力した。例えば、零戦の燃料噴射装置を開発した杉原周一氏は東洋陶器(現TOTO)の社長となって、同社の中興の祖と呼ばれる。

  腰の引けていたスポンサーが集まったのでしょうか。いずれにしても楽しみです。と言うか、あの特攻隊の鹿屋とともに一度は見て見たいものですが、極貧の私としては諦めざるを得ません。

  できることなら、心神と一緒に飛ばしてほしかったですね。

  それにしても、石原さんが言われるように、日本の航空機が世界を席巻する日が来ることを期待したいですね。

まさに、日本の時代です!