第 5099回の「おかしなシャープ」で散々面倒を見たサムソンに裏切られたと書きましたが、サム ソンに裏切られたシャープの佐々木さんは孫正義にも裏切られているようです。
日本人の心情としては侍の心として良く分かるのですが、韓国の人には通用しないようですね。まさに戦 後、日本人が受けた仕打ちの代表のような話ですね。日本人なら絶対に許せない話です。
いつもの「ひとりごと」が孫さんのことを書いています。
ひとり ごとより
孫正 義は企業家ではなくタレントですね 2012年5月7日月曜日
・・・略
僕は10年前の2002年に孫正義と会っている。
孫正義の恩人の佐々木正さんにもお会い した。
この方がいなければソフトバンクはな い。
日本人が大切にしてきた精神を持った 人。
シャープ副社長の頃に孫正義に手を差し 伸べた。
その優しさを孫正義は踏みにじったの だ。
孫正義覚えてるか?
佐々木正さんが訪ねて来た後に顔を出し た時のこと。
恥ずかしそうな顔して僕の前に現れた。
知られたくない人に知られてしまった。
佐々木正さんはなんとかならないかと頼 んで来た。
僕自身も自らやめてくれればと思ってい た。
おまえは多くの人の思いを踏みにじっ た。
「許せん」
「クズ野郎め」
…以下略
と言うことで、サーチしてみた。佐々木 さんの記事がありました。
東 洋経済オンライン
佐々木 正 (1/4) 若き日のジョブズと孫 あふれる才能との出会い
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孫(正義)君を初めて知ったのは米国です。大学でコンピュータやパソコンの勉強会をやっていた彼に、偶然会っ たんですわ。熱心な学生で、すぐに親しくなりました。そんなとき、テキサス・インスツルメンツが、翻訳機を出し たんです。次の時代はこれや!と感じた。孫君もそうだったそうです。
そ れからしばらくしてからです。技術本部長兼中央研究所長をしていた私の所へ、孫君のお父さんが公衆電話から連絡 してきて「息子と一緒に会いたい」と。翻訳ソフトを買ってくれないかとのことでした。
初めに、松下電器産業に行ったがけんもほろろだったそうです。「うちはスタンフォード大学の教授を所長にした 研究所も作って、翻訳機なんかもうできとるよ。おまえがいるんなら売ってやろうか?」と言われたいうて、怒っと るんです。三洋電機では、「カネさえ出してくれたら、翻訳機なんていつでも作ってやるよ」と侮辱された。最後 に、僕を思い出したという。縁ですね。私は、彼の開発した翻訳ソフトを1億円で買い取りました。…以下略
佐々木 正 (3/4) “敵”と付き合う方法 サムスン・李さんと私
シャープと韓国サムスンの関係は長きにわたります。サムスンは商社から始まって、電器産業に進出したが、半導 体の開発で行き詰まった。それで、李 健熙さん(現会長)がわざわざ訪ねてこられた。1970年ごろのことです。
当時、日韓定期閣僚会議が始まり、両国 間で提携の機運が高まっていました。ところが、日本電気の小林(宏治・元会長)は、「韓国は技術を盗んでいく」 と警戒感をあらわにしていた。困った李さんが、「何とか小林さんを納得させてほしい」と。そこで駐日韓国大使と 小林さん、李さん、私とで食事する機会を作ったんです。その後、私以外の3人でゴルフに行ったら、小林さん機嫌 直しちゃったらしいんだ(笑)。
それ以降、李さんが頼りにしてこられる んです。半導体の開発にしても、「佐々木さん、辞めてこっちへ来ませんか。韓国籍にならんか」とまで言う (笑)。じゃあ、僕がシャープを説得するから、頭を下げて技術を教えてくださいと言ってくれ、と。数年間、4 ビットマイコンの製造技術の提携をしました。
サムスンが何かの記念式をするときは軍 隊式でしたね。社員が第1連隊、第2連隊……の順で並ぶ。第1連隊って、第1工場のことですよ。その根性で成果 を上げていった。
そうなると欲が出る。「今度は液晶を教えてくれ」と言ってきた。僕は断った。「依頼心はサムスンを殺す」と。 李さんは納得してくれたが、その部下になると、そうはいかない。盗んででもやるんだ。フライデーフライトでうち のキーマンを韓国に連れていく。連中は土日に働いて日曜夜、サンデーフライトで帰ってくる。シャープは最後には 技術幹部のパスポートを全部預かっちゃった。
そのときも、私個人は、「与えられるも のどんどん与えて、感謝してくれればいい」と思っていた。少なくともシャープの味方にはなるだろうとね。ところ が、李さんがトップを離れた時期に、サムスンがシャープを相手に特許訴訟を起こしたんです。あれはサムスンが情 けなかった。
李さんは、シャープに感謝しとるから ね。李さんがトップに復帰した後、直接話をして、和解しました。…以下略
恩人が告 白!なぜ私は「裸の孫正義」に賭ける気になったのか PRESIDENT 2010年12月13日号
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佐々木本人には認識はないようだ が、巻き添えで一緒に地獄へ落ちる寸前のところまでいったのだ。ハドソンとの独占契約を果たしたものの、運転資 金が枯渇した孫は第一勧銀(現みずほ銀行)に、1億円の「担保なし・保 証人なし融資」を依頼する。しかし保守的な銀行が、まだ会社の実績がなく、認知度の低いソフトウエアという 業種への融資に慎重になるのも無理もなかった。ここで再登場するのが佐々木。銀行にこう伝えたという。
「僕が個人保証しますから、ソフトバン クに融資してやってください」
無謀なことに、自分の給料、退職金、自 宅の不動産価格を確認し、万が一のときはそれらの資産をなげうつ覚悟を決めた。もし、本当にそうなれば人生は完 全に狂う。死んだも同然と言えるが、幸いソフトバンクの業績が上向き、財産没収は免れた。佐々木は、人生を賭け た「賭け」に勝ち、九死に一生を得たのである。だが、なぜ「赤の他人」にそこまでしたのだろうか。
「僕はね、彼のことが、かわいいんです よ。僕が死んでも彼を生かすほうが人類のためだと思ったの。人類が長い間生き残っていくためには、誰かにバトン タッチしていかないといけない。僕は彼にバトンタッチしたいんです」
30年に及 ぶソフトバンクの歴史の中で、孫はパートナーの裏切りや、自分がスカウトした人材に会社を牛耳られそうになった 経験もある。佐々木と工藤の言葉を借りれば、孫には「純情で頑固だが、人がよすぎる面もある」ということだ…… が、筆者の目には人がよすぎるのは佐々木と工藤のほうに思えてしょうがない。…以下略
すさまじい限りの仕打ちで すね。やはり付き合うことのできない人たちでしょう。
国交断絶しか ないでしょう!