団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★皇統後継は、新井白石の歴史の教訓が活かされるべきだ

2024年04月30日 | 国体・皇室・シラス

 

優柔普段総理が高等問題を解決出来るとは期待していませんでしたが。どうやら相変わらず有識者任せのようです。

  宮崎さんが取り上げてくれています。有識者なら宮崎さんこそ選ばれるべきでしょう。いずれにしても、優柔不断総理ではまともな仕事をすることはないでしょう。  

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和六年(2024)4月27日(土曜日)
 通巻第8229号  

 やっと自民党の見解がまとまった。だが、この意見書は不十分である
  皇統後継は、新井白石の歴史の教訓が活かされるべきだ

 4月26日、自民党は衆参両議長に対して「安定的な皇位継承のための皇族数確保策」に関連した「有識者会議報告書」の2案を「必要」とした見解を提出した。
(1)「旧宮家の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる。養子縁組後に生まれた男子は皇位継承資格を有する」(2)「皇族女子が結婚後も身分を保持」の二案だ。

 このうち(1)は当然の方針であるものの、(2)は女系天皇に繋がりかねない懸念が残る。

 有識者会議の報告書では、上記2案で皇族数を確保できない場合、(3)「旧皇族の男系男子を法整備により直接皇族とする」案も示されている。

 自民党の見解では「〈1〉と〈2〉で確保できない場合の方策」として第三案を位置づけている。
嘗て新井白石が示し、将軍が認めたことにより、実際に後年の光格天皇へと繋がって皇統は維持された。したがって自民党のいうに何が適切、必要というだけではなく三案も併記するべきではないのか。

 新井白石は、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機を想定し、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。

 将軍家宣は白石の建言を受けいれ、直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。
はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。

 そこで東山天皇の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。

 後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。

 自民党の見解がまとまったが、この意見書は不十分である。
皇統後継は、新井白石の歴史の教訓が活かされるべきであろう。臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。

  反日売国左翼・在日共が国体破壊を狙っているだけに、何を仕掛けてくるかわからないだけに油断できない。
  この国体を守ることが出来なければ日本は間違いなく消滅することでしょう。何としても、阻止しなければならない。出来るでしょうか。


★やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった

2024年04月21日 | 国体・皇室・シラス

 もう収まったかと思っていた後継硬質問題ですが、反日売国左翼・在日・マスメディア共はまだ諦めてないようです。
  何としても、日本を崩壊させたいのでしょうか。それとも特亜3国の指令でうごいているのか。

  宮崎さんが詳しくとりあげてくれています。それにしても、極左はしぶとい。油断はできない。
 
  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和六年(2024)4月19日(金曜日)
  通巻第8221号  

 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった

 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。

 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。

 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天 皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。

 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。

 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。

 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。

 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。

そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
https://www.amazon.co.jp/dp/4898318983/

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 (再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。

 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれ ば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家 (徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太 子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむ に至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に 至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。た だ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)

 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意 味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代 遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇 極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。 (『月刊日本』から再録です)

  「新日本文化チャンネル桜」でも、宮崎さんが取り上げてくれています。

 【Front Japan 桜】女性宮家創設は女系天皇を認めるのか / 小林製薬“紅麹”騒動の余波... 麹・発酵食品まで悪役に!?[桜R6/4/17]


  優柔不参総理では何時日本を裏切るか分からないだけに心配です。やはり、青山、高市さんの総理できちんと解決してもらいたいものです。
  放置しておけば、反日売国左翼・在日・マスメディア共がしぶとく付け込んでくるのは間違いないでしょう。
  それだけは防がなければなりません。

★イザナギの桃の実の物語から学ぶこと

2024年02月14日 | 国体・皇室・シラス

 人間は、誰しもが自分の人生を「主役」として生きているとねずさんがかいてくれています。
  それは、シラス国の日本だから言えることであって、ウシハク国にはそんな考えを持つことも出来ずに終わった人達が殆どじゃないでしょうか。
  やはり、日本はこの素晴しい国を何としても取り戻し、世界に広めることこそがやるべきことでしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本   2023/02/12 

  イザナギの桃の実の物語から学ぶこと

  ・・・略

  人間は、誰しもが自分の人生を「主役」として生きています。
そうあるべきなのです。

 そして、どんな人にも、必ず良心があります。
その良心を信じ、ひとりひとりを、まるで抱(いだ)くように、たいせつに、やさしさと愛情とおもいやりの心を持って接することを、根本から大切にしてきたのが、日本の文化の最大の特徴です。
これこそまさに、日本の神々の心です。
そういうことを古事記は、ここで説いているのです。

 そういう精神のもとに、帰国したイザナギは、禊を行なわれます。
そして余計なものをすべて捨て去ったときに生まれたのが三貴神であられる天照大神、月読命、建速須佐之男命です。

つまり、三貴神の神としての精神(あるいは霊(ひ)の根幹)にあるのは、まさにやさしさと愛情とおもいやりであり、人間として生まれたひとりひとりが、誰もが自分の人生を主役として生きることができる世の中です。

 この日本文化の精神は、時を越え、時代を超えて、まさにいま世界中の人々が求める偉大な人類の良心へと発展しようとしています。
我々日本人のひとりひとりが照らす一隅が、世界を変えるのです。

 これまでの西洋の歴史や東洋の歴史では、常に英雄がモブキャラを使って革命を起こすというスタイルでした。
そして革命の都度、多くの命が失われてきた。そういう歴史でした。
けれど、日本は違います。
だれひとり殺さない。英雄なんていない。主役はあくまでひとりひとりの庶民です。
その庶民が照らす一隅が、世界の良心を目覚めさせ、世界を良い方向に導いていく。

 もし、神々にお望みがあるのだとしたら、それこそが「神々の希望」であり、「神々の目指すもの」なのではないでしょうか。

  それにしても、こんな凄い国であることを教えなくなった今の日本は最悪・最低と言えるのじゃないでしょうか。
  やなり、日本人が目覚めてもう一度素晴しい日本を取り戻すことが急がれます。世界も、それを待っているでしょう。


★時間の概念の不思議

2024年02月01日 | 国体・皇室・シラス

 日本人の民度の高さは地の利とシラス国の所為のようです。そんなことをねずさんが教えてくれています。
  やはり、日本は世界とは違うようです、そこに、シラス国という究極の民主主義という素晴しさが原因としてあるようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。 

  ねずさんの学ぼう日本   2023/01/30

  光陰矢の如しと言いますが・・・時間の概念の不思議

 ・・・略

 日本人の歴史は、磨製石器の時代にまでさかのぼれば、4万年前にさかのぼります。
そして現代に至るまで、天変地異や疫病の流行によって多くの人命が失われることはあっても、戦争によって人々を皆殺しにして、文明文化をまた0から始めるという出来事が一度もなかった歴史を持ちます。
つまり祖代から知識や経験や思索を積み上げてきたという、稀有な歴史を持つのが日本です。

 王朝が交替するたびに、すべてが徹底的に破壊されて、またいちからやりなおすことを余儀なくされてきた国と、万年の単位で文明文化を積み上げてきた国とでは、その思考の深さに違いがあるのが、むしろ当然です。

 私達の祖先が、知恵の限りを尽くして後世に残してくれた日本の古代の知恵を、私達はもっと大切なものとして考えるべきと思います。 

  やはり、日本人はシラス国の素晴しさを取り戻す必要がありますね。こんな素晴しい国に産まれたありがたさを知り誇りに思うべきです。


★舒明天皇から天智天皇、天武天皇、持統天皇までの流れの概括

2024年01月28日 | 国体・皇室・シラス

 昨日は日本の国体を造り上げた持統天皇の素晴しさを取り上げましたが、その裏には天智天皇の指導があったのじゃないかとねずさんが取り上げてくれています。  

  いずれにしても、この時代こそがシラス国を造り上げたようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本   2023/01/26

  舒明天皇から天智天皇、天武天皇、持統天皇までの流れの概括

   ・・・略

  不幸なことに、天武天皇のまさかの崩御によって、鵜野讚良皇后が持統天皇として即位されます。
そして持統天皇が、敷いたレール、それは、反対派を粛清したり抹殺したりするのではなく、文化と教養によって、我が国をひとつにまとめていくという大方針でした。

 万葉集も、そのために持統天皇が柿本人麻呂に命じて編纂を開始させたものです。
こうして我が国の形が固まっていきました。
それは高い民度の臣民によって培われた、民度の高い国家という形です。

 我が国が、国家形成の揺籃期に、このような素晴らしい天皇をいただいたことは、我が国の臣民として、たいへんに幸せであったことだと思います。
爾来1300年、我が国は、庶民の高い民度によって支えられる盤石の国家が築かれてきました。

 すなわち、私達が取り戻すべき日本というのは、民度の高い国家です。
いまのメディアのように、庶民を見下し、デタラメを刷り込もうとするような存在は、我が国には馴染まない。
  
  この究極の民主主義であるシラス国を日本がもう一度取り戻すことが必要です。そして、それを世界に広めることこそが日本が取るべき道でしょう。


★昭和天皇の凄さ

2024年01月13日 | 国体・皇室・シラス

 歴代の天皇陛下で最も苦労されたお一人が昭和天皇じゃないでしょうか。その終戦後の国民の為の行動には本当に感動させられます。
  これぞ、シラス国です。

  ねずさんが何度も取り上げてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。  


  ねずさんの学ぼう日本   2023/01/10

  昭和天皇行幸

  ・・・略
  
  宮中にお帰りになられた陛下は、次の歌を詠まれました。

 みほとけの
 教へ まもりて すくすくと
 生い育つべき 子らに幸あれ

 お腹を空かせた者にパンを与えること、パンを得る方法を教えること以外の第三の道。それは、互いに心を通わせ、同苦し、信じあい、励まし続けることでした。
そのことを、昭和天皇は、見事に体現してくださいました。

 敗戦のショックで打ちひしがれていた人々は、この昭和天皇行幸を境に、国土と産業の復興のために全力をあげ、日本はその後わずか15年で、東京オリンピッ クを開くまでに国土と産業を復興させ、そしてそこから戦後の高度経済成長を果たして、世界第2位の経済大国へと発展していきました。

天皇の行幸は、政治権力でしょうか。それとも上下関係でしょうか。
パンを与えたのでしょうか。パンを得る方法を教えたのでしょうか。

 違うと思います。
それらとは明らかに一線を画する、もっとはるかに高度なものです。

 これが、天皇の「しらす」です。
日本古来の姿です。

   2023/01/11

  マッカーサーを心服させた昭和天皇

  ・・・略

  日本の四世紀から五世紀といえば大和朝廷の発展期です。
大和朝廷は弥生時代に倭国を築いた朝廷がそのまま大和地方に本拠を移したものに他なりません。
弥生時代は縄文時代の延長線上にあります。
弥生人は決して渡来人などではなく、縄文時代からずっと日本に住み続けた同じ日本人です。
そしてその弥生時代がまさに卑弥呼の登場する時代です。
その倭国が東上しながら古墳時代をつくり、そして奈良県の大和盆地に都を構えたのが大和時代です。

 その大和朝廷は、第三回の遣隋使で
「東の天皇、つつしみて西の皇帝にもうす」
と書いた国書を持参しました。
これが日本が対外的に「天皇」を名乗った最初の出来事です。
西暦六〇八年の出来事です。

 この大和朝廷が「日本」を名乗ったのが六八九年です。
つまり天皇の存在は日本という国号よりも「古い」のです。
そして万世一系、昭和天皇は第百二十四代の天皇です。
ご在位は歴代天皇の中で最長です。昭和の時代は世界恐慌から支那事変、先の大戦、戦後の復興、東京オリンピック、そして高度成長と、激動の時代を生きられたのが昭和天皇です。

 その昭和天皇の辞世の御製です。

 やすらけき世を 祈りしも いまだならず
 くやしくもあるか きざしみゆれど

 この御製は昭和六十三年八月十五日に陛下が全国戦没者遺族に御下賜遊ばされたものです。
「安らかな世をずっと祈り続けたけれど、
 それはいまだなっていない。
 そのことが悔しい。
 きざしはみえているけれど、
 そこに手が届かない」
という意味と拝します。

 昭和天皇は崩御される直前に、「悔しい」と詠まれておいでなのです。
どこまでも国民のためを思うご生涯を遂げられた昭和天皇の思いに、わたしたちは日本国民として、ちゃんと答えているのでしょうか。  

  この天皇の素晴しさもシラス国を教えられてない国民には伝わらないのじゃないでしょうか。
  何とも勿体ないことです。まずは教育改革からです。それで初めて昭和天皇の思いに答えられるじゃないでしょうか。


★教養と文化の国・日本

2023年12月31日 | 国体・皇室・シラス

 日本の素晴しさを教えてくれたねずさんが、大化の改新の真実をおしえてくれています。
  シラス国の凄さを改めて思い知らされます。それにしても、日本は本当に凄いですね。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本   2023/12/29

  教養と文化の国・日本

  ・・・略

  天智天皇は大化の改新によって、実に革命的に多くの改革を行いました。
当然、そうした改革は、ものごとが良い方向に向かうようにするために行われるものです。
しかし、短兵急で強引な改革は、必ず改革によって不利益を被る者を生じさせるのです。

 そうした反天智天皇派の人たちの期待は、当然のように弟の大海人皇子の皇位継承に集まります。
そして大海人皇子が軍を起こして、天智天皇の息子の大友皇子を追い、みずから天武天皇として即位するとします。

 反天智天皇派の人たちは、よろこんで天武天皇に従ったことでしょう。
そして天武天皇が即位されると、もともと天智天皇派だった人たちは、もとよりご皇室中心の日本を大切に思う人達なのです。
このことが意味することは重大です。
つまり、天武天皇の旗揚げ(壬申の乱)によって、実は国がひとつにまとまるのです。

 正史は、天智天皇亡き後、天武天皇が兵を起こしたことになっています。
そして天智天皇の子の大友皇子は、人知れず処刑されたことになっています。
けれど、大友皇子の処刑を観た人はいないのです。

 天智天皇の崩御にも疑問が残ります。
天武天皇の正妻は、持統天皇です。
その持統天皇は、天智天皇の娘です。
そして天武天皇が、皇位に即位されたあと、事実上の政務の中心となって改革を継続したのが、その持統天皇です。
しかも持統天皇は、なぜだか31回も吉野に行幸されています。

 これは正史には書かれていないことですが、個人的には、おそらく天智天皇は生きておいでであったのだろうと思います。
生きていても、当時の考え方として、出家されれば、この世のすべてを捨てて、今生の天智天皇としては崩御したことになるのです。
そして吉野に隠棲し、そこで僧侶となる。

 弟の天武天皇に皇位を継承させるためには、天智天皇に集中した国内の不満分子を、まるごと天武天皇が味方に付けてしまうことが一番の選択です。
そして皇位継承後は、娘の持統天皇が、皇后として政治に辣腕を揮う。
幸い、きわめて優秀な高市皇子が、政務を執るのです。
天智、天武、持統、高市皇子のこの強い信頼関係のもとに、あらためて日本は盤石の体制を築いたのではないか。
そのように個人的には観ています。

 天智天皇と天武天皇が兄弟であったことさえ疑う意見があることも承知しています。
しかしそのことを示す史料はなく、この不仲説の根拠となっているのは、万葉集における天智天皇、天武天皇、そして天武天皇の妻であり一女まである額田王の歌が、根拠となっています。
しかしその根拠とされる歌も実は、その意味をまるで履き違えた解釈によって、歪められていたという事実は、このたびの拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』で詳しく述べた通りです。
(まだお読みでない方は、是非、ご購読をお勧めします)

 不幸なことに、天武天皇のまさかの崩御によって、鵜野讚良皇后が持統天皇として即位されます。
そして持統天皇が、敷いたレール、それが、反対派を粛清したり抹殺したりするのではなく、教育と文化によって、我が国をひとつにまとめていくという大方針です。

 万葉集も、そのために持統天皇が柿本人麻呂に命じて編纂を開始させたものです。
こうして我が国の形が固まっていきました。
それは高い民度の臣民によって培われた、民度の高い国家という形です。

 こうした一連の流れの中に、有間皇子もおいでになります。
そこだけが突出して、残酷な事件のように考えるのは、やはり無理があるのです。

 我が国には、国家形成の揺籃期でさえ、このように素晴らしい思考があったのです。
爾来1300年、我が国は、庶民の高い民度によって支えられる盤石の国家が築かれてきました。
このことは、臣民として、たいへんに幸せなことです。

 我が国の歴史を、あたかも権力者による血塗られた横暴の歴史のように語る人がいます。
とんでもない間違いです。
我が国には、権力者が自分が逃げるためにと、大型のダムを決壊させて100万人もの民間人を一気に水死させたり、大統領が自分が逃げ伸びるために漢江に架 かる橋を、まだ民衆が避難のために橋を渡っているのに、橋にいる民衆ごと橋を爆破するような残虐な文化は、歴史上まったく存在しないのです。



  それにしても、ねずさんの考察には何時もながら日本に対する愛があふれています。こういう歴史こそひつようなのでしょう。

  何といっても、読んでいて嬉しく誇りを感じられます。これこそが愛国心を作ってくれるものです。


★「私が」「俺が」は悪口や対立しか生まない

2023年12月23日 | 国体・皇室・シラス

 日本こそが民主主義の究極を達成したシラス国を作り上げていたことを知ったのは、ねずさんが教えてくれたからでした。
  それまでは自虐史観で日本の民主主義は西洋に到底及ばないものだと信じていました。何とも、ばかなことです。

  「希望の日本再生チャンネル」で、ねずさんがその素晴しさを教えてくれています。


  つくづく日本の素晴しさを思い知らされます。今こそ、日本人がそれに気付くべき時が来ているのじゃないでしょうか。世界もそれをまっているのじゃないでしょうか。


★ 権力から文化へ 庶民の力が世界を変えていく

2023年12月17日 | 国体・皇室・シラス

 日本がシラス国という素晴しい国体を持つくにであることを教えてくれたねずさんが、その素晴しさを、希望の日本再生チャンネルで語ってくれています。
  つくづく、日本の凄さを思い知らされます。やはりこの国を何としても取り戻す必要があります。

 
  それにしても、シラス国は本当に素晴しい。本当の民主主義が世界に広まる時が来るのを期待しましょう。


★赤穂浪士の討ち入り事件

2023年12月14日 | 国体・皇室・シラス

  年末になるとねずさんが赤穂浪士を取り上げてくれることが多くなります。その事件は子供の頃にもテレビ等で良く見る機会があったものです。
  何も知らないので、単なるバカ殿の仇を浪士達が打つという単純な物語として見ていたものです。
  ところが、その裏には日本の国体に関わる問題が関わっていることをねずさんが教えてくれています。
  これを知って、新にもう一度忠臣蔵をじっくりと見てみたいものです。きっと、子供の頃とは全く違った感動があるのじゃないかと期待してしまいます。

  と言うか、日本人が国体を忘れた今こそこの忠臣蔵を放映する意義があるのじゃないでしょうか。

  ねず さん のひとりごとより   2023/12/11

  赤穂浪士の討ち入り事件

  ・・・略 

  ドラマ化しています。しかし浅野のお殿様は赤穂五万三千石のお殿様です。そのお殿様ともあろう方が、年寄りにすこしイビられたくらいで、逆ギレして刃 傷に及んだというのなら、それはあまりにも浅はかだったということになります。赤穂藩の藩士たちや、その家族、そして藩の民に対して、それは殿様として、 あまりに無責任とはいえないか。さらにいえば、そのような殿のために、家臣が討ち入りまでしているということは、すこし筋が違うのではないか、という疑問 です。

 なるほど鋭い指摘です。赤穂浪士の物語の醍醐味【だいごみ】は、実は、そんな疑問から始まるのです。そして浅野内匠頭と赤穂浪士の活躍は、実はその後の日本の歴史を変えたのです。・・・中略

 播州赤穂藩の浅野家は、そうした日本古来の思考を重要視した山鹿素行【やまがそこう】によって、藩の教育が施された藩です。山鹿素行は陸奥国会津藩の白 河浪人山鹿高道の子で、六歳で江戸に出て、九歳のときに林羅山の門下生となって朱子学を学び、十五歳からは小幡景憲【おばたかげのり】、北条氏長【ほう じょううじなが】のもとで甲州流軍学を学び、さらに廣田坦斎【ひろたたんさい】らから神道を学んで、山鹿流兵法の私塾を開いた人です。その山鹿素行の著し た『中朝事実』は、「万世一系の天皇陛下を中心に仁政と平和が続く本朝こそ中華なり」と説く書で、これが江戸で大人気となるのですが、これが徳川将軍家の 権威を貶【おとしめ】るとされて江戸所払いとなり、赤穂藩の二代目藩主だった浅野長友【ながとも】に招かれた人物です。
 その山鹿素行の教えは、
「君、君たらずんば自【みずか】ら去るべし」というものであり、
「凡【およ】そ君臣の間は他人と他人の出合【であ】いにして、其【そ】の本【もと】に愛敬【あいけい】すべきゆゑんあらず」というものです。つまり「主君 の為に死ぬことは愚【おろ】か」だと説き、武士は命を大事にして蛮勇【ばんゆう】に走らず、正しく生きるべきであるという教えです。
 このような教えを心胆【しんたん】に刻んだ播州【ばんしゅう】赤穂藩【あこうはん】の三代目藩主の浅野内匠頭【あさのたくみのかみ】が、吉良上野介とい うお年寄りにイジメられたからといって、こらえきれずに江戸城内で刃傷沙汰に及ぶ。もしそうであるのなら、それははっきり言って「バカ殿」です。そのよう な主君なら「さっさとその藩から立ち去りなさい」というのが山川素行の教えです。ましてそのような「バカ殿」のために江戸市中で討ち入りなどという狼藉を 働くなど、山鹿素行の教えではあり得ないことです。にもかかわらず、元赤穂藩城代家老の大石内蔵助【おおいしくらのすけ】以下の赤穂四十七士は、山鹿流陣 太鼓を叩いて、吉良上野介【きらこうずけのすけ】邸に討ち入りをしています。これはいったいどういうことなのでしょうか。…中略

  それにしても、あの忠臣蔵にこんな日本にとっての根幹の問題があったとは想像もしませんでした。
  こうして、戦後の日本は徹底的に貶められてきたことに改めてアメリカ人の意地の悪さを思い知らされました。


★天皇と日本

2023年12月03日 | 国体・皇室・シラス

 ねずさん達にネットで出会い、日本がこれほどに素晴しい国であることを知ったものです。
  どうして、これほどの素晴しさを知らなかったのかと思ったものですが、何のことはない学校で教わらなかったことが大きいようです。
  それにしても、こんな自国の誇れる面を教えない教育とは一体何なのでしょうか。

  ねずさんが取り上げてくれています。戦後に仕掛けられたことを未だに護っている政府・文科省には愛国心というものが無いのでしょうか。
  どうかんがえても、正しい国家観も歴史観も持たない奴等を日本の教育が育ててきた結果でしょう。見事に敵の狙い通りです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねず さん のひとりごとより  2023/11/30

  天皇と日本

  ・・・略 

  世界中どこの国でも、学校で自分たちの住む国の建国の歴史や建国宣言の内容を教えます。
あたりまえのことです。
国があるから国民なのです。
自分たちの所属する国の建国の歴史や経緯、また建国の理念を教えることは、国家として当然のことです。

 チャイナやコリアのように、たとえその建国の経緯や理念が荒唐無稽な絵空事であっても、彼らは彼らなりに、最低限の建国の歴史や経緯や理念をしっかりと学校で教えます。
もちろん米国でも建国の歴史や理念を教えます。…中略

  日本は教育を憲法で義務化している国です。
国家の行政機関として文部科学省もあります。
日本という国があるから憲法があり文部科学省もあります。
ところが憲法で義務化している小中学校で、我が国の建国の経緯や理念、あるいは建国宣言を、その文部科学省の所轄する小中学校で教えていません。
教科書にも書かれていません。
文科省はいったいどこの国の教育監督庁なのでしょうか。…中略

  こうした栄えある国号を、現代の日本でも使っています。
およそ1400年前に用いられていた国号を、いまなお使っている国は、世界の中で日本だけです。
そしてこのことは、日本が世界最古の国として、いまも続いていることを意味します。
世界で最も古い国が日本です。
子どもたちにこのことを教えないのは、ほんとうにもったいないことです。  

  この教育を改正できないようでは日本に未来は無いでしょう。本当に、このまま放っておくのでしょうか。余りにも情けない。


★★昭和天皇とマッカーサー

2023年11月23日 | 国体・皇室・シラス

 この昭和天皇とマッカーサーの話は何度見ても感動させられます。これこそ今の日本の経営者達が忘れてしまった心じゃないでしょうか。
  と言うか、こういう指導者が世界にどれくらいいることでしょうか。

 むすび大学チャンネルでねずさんがとりあげてくれています。 


  竹田さんも取り上げてくれています。


  世界の指導者がこの昭和天皇の精神を引き継ぐことが出来れば世界は一気に変わるでしょう。
  どうやら、そんなことを期待するのは無理のようです。

  これこそがシラス国の真骨頂でしょう。そんな世界は来るのでしょうか。


★天皇とは何か?

2023年11月20日 | 国体・皇室・シラス

 戦後の自虐史観で教えられなくなった天皇です。一体天皇とは何かとの疑問が常にあります。
  そんな疑問をねずさんが「むすび大学チャンネル」で、竹田恒泰さんに聞いてくれています。

 


  それにしても日本は素晴しい国を造り上げてきたものです。このシラス国をもう一度取り戻したいものです。


★サミュエルソン経済学と日本

2023年11月17日 | 国体・皇室・シラス

 ねずさんがサミュエルソン経済学を教えてくれています。どうやら静養の経済学はウシハクの典型のようです。
  なる程、そうだったのか。どうにも好きになれない経済でしたが、こういう訳があったんですね。
  やはり、日本人にはシラス経済が納得の行くものでです。と言うか、人類にとってもシラスこそが理想の経済じゃないでしょうか。
  そんな時代は来るのでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。 

  ねず さん のひとりごとより   2023/11/14

  サミュエルソン経済学と日本

 ・・・略 

  天皇は、日本の象徴であり、日本国民統合の象徴です。
そしてその天皇により、日本国民は「天皇のおほみたから」と規程されます。
これにより、ひとりひとりの国民が、国家最高の「宝」となります。

 ひとりひとりが「宝」なのですから、自分も宝、周囲の人々もみんな宝です。
そこに他人への思いやりの精神や、協同の精神が育まれます。
これにより、人と人との間に社会的地位の上下や富の大小があっても、すべての人が対等な存在という国柄が生まれます。

 また政治は、人々を支配するためではなく、天皇のおほみたからである国民が豊かに安全に安心して暮らせる社会を担うことが責任となります。
責任ですから、政治は、実現できなければ責任を取らされることになります。
それが本来の日本の仕組みです。

 これにより我が国では、たとえば昭和の頃には、社長さんの給料は、どんなに儲かっている会社であっても、新入社員の10倍までとされてきました。
これは西欧の体制とは異なります。
西欧では、社長さんの給料と平社員では、百万倍違います。

 そして世の中で偉いのは、社会的地位のある人ではなくて、現場の第一線で汗を流している人という概念も生まれます。
なぜなら、その人達こそ、圧倒的多数の「おほみたから」だからです。

 世の中を階層構造(ヒエラルキー)と捉え、その階層の頂点に立つ人の利益の極大化を図れば、サミュエルソンの経済学になります。
世の中を球体構造として捉え、誰もが主役であり、誰もが脇役であるといった視点に立つと、サミュエルソンの経済学は否定され、日本型経済モデルになります。

 高度成長期の日本経済は、極端な言い方をすれば、「豚は太らせて食え戦略」に乗っかったものであったといえます。
いまは、その太らされた豚が、食われている状態です。
他国への依存をいつまでも続けていれば、当然、そのような形になります。

 真の自立を果たし、日本が日本人による日本人のための政治を実現できるようにしていくこと。
日本には、それを実現するときが来ています。

  さて、そんな理想の時代は来るでしょうか。所詮人間なんてそれ程高尚な精神を持てないのかもしれません。何とも情けないですね。


★素性法師と玉井浅一司令

2023年11月14日 | 国体・皇室・シラス

 シラス国の軍の司令というのはウシハク国のそれとは心構えが違うようです。  と言うか、その心を持たないトップにしたがう部下は悲惨でしょう。これこそがシラス国の真骨頂なのでしょう。

  ねずさんが今回も玉井司令を取り上げてくれています。 

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねず さん のひとりごとより   2023/11/11

  素性法師と玉井浅一司令

 ・・・略 

  武将であれば、国を護るために戦わなければなりません。
けれど戦えば、敵味方を問わず、尊い命をたくさん失うのです。
戦えば人が死ぬのは当たり前と、人の命をなんとも思わない将軍や王が、世界の歴史にはたくさん登場します。
しかし日本の将は、昔も現代も部下たちの命を、どこまでも大切にしてきたのです。
素性法師の歌は、そういう日本の武人の心を、見事に象徴した歌です。

 この歌を百人一首に選んだ藤原定家は、この歌の詠み手の名前に、元の左近将監だった頃の良岑玄利の名ではなく、そっと「素性法師」と添えています。
その心、それが、古来変わらぬ、日本人の心なのだと思うのです。

 人には言葉にできない思いがあります。
その言葉にできない思いを描くために、万言を用いるか、それとも短い言葉にその思いを凝縮するか。
それは文化の違いといえるかもしれません。

 日本人は、たった三十一文字の和歌の中に、伝えたい思いを凝縮する技術を築きました。
そしてその和歌の心が、いまなお、多くの日本人の心の中に息づいているのです。

  こういう心を大事にしてもらいたいものです。これはシラス国であるにほんだからこそ持つ心意気なのかもしれません。
  それを忘れないというか取り戻す日本であって欲しいものです。出来るでしょうか。