◇サムライ(1967年 フランス、イタリア 105分)
原題/Le Samouraï
監督・脚本/ジャン=ピエール・メルヴィル 音楽/フランソワ・ド・ルーベ
出演/アラン・ドロン ナタリー・ドロン フランソワ・ペリエ ミシェル・ボワロン カティ・ロシェ
◇小鳥を飼うビルに埋もれた薄暗い部屋
まあ、その冒頭がこの映画のいちばんの見どころなんだけど、カメラがフィクスされているようで実はそうではなく、時間と心象が混在したショットになってるのは、これまでにあまりにもたくさんの人達が批評してきたことだし、いまさらぼくごときがなにをかいわんやだ。だから、メルヴィルの侍のように孤独なこだわりをもった演出法やアラン・ドロンとの尊敬し合う仲についても、くだくだ書いたところで仕方がない。
で、ここでおもうのは、ふたりの女性だ。
恋人であるのか、それとも体よく利用されている娼婦なのか、よくわからない、頭が好いのか悪いのかもよくわからない、ただひたすら男好きする美形っていう存在のナタリー・ドロン。デビュー作なんだよね。凄いね。単に綺麗なだけじゃだめなんだね、雰囲気がないと。でも、こんなに身も心も好いオンナに、ドロンはまったく無関心を装っているのか見向きもしないっていうかともかく情けをかけない。都合のいい女っていう立場からまったくはずそうとしない。すんごいね。
いまひとりが、サロンのピアノ弾き、カティ・ロシェで、フランス人とどこの混血なのかはわからないけれど、もうとにかく人目を惹く。ドロンはたぶんひと目惚れしたんだろう。だから、彼女を殺せといわれようとが、殺害の目撃者になってしまわれようが、そんなことはどうでもよくどうせなら彼女の前で死にたいとおもったりするんだろうね。いや、知的かつ肉感的な女をこれだけちゃんと演じてるのに、彼女のほかの映画を僕は知らない。
まあ、いずれにせよ、男はボルサリーノひとつ被るにもかっこをつけないとあかんって教えられるような映画であるのは当時も今もおんなじで、殺し屋の部屋はこういうふうにストイックになっていないといけないし、あきらかに『冬の華』の健さんの部屋はこの映画の影響なんじゃないのかな。