☆戦争と人間 第一部 運命の序曲(1970)
『満蒙はわが日本帝国の生命線である』
この映画の肝は奉勅命令だ。満鉄付属地外への出兵は天皇陛下のご命令がいる、すなわち奉勅命令の伝宣が必要だと、中谷一郎演じる河本大作は、芦田伸介演じる満洲伍代にいう。
この満洲伍代は、甥の歓送会の席上、実業家の市来善兵衛の「蔣介石が北伐を始めるや否や日本は現地居留民の保護を名目に山東へ出兵したんだが、いや、これをもってまたぞろ中支線以南の反日感情を燃え上がらせて、おまけに北京の張作霖が負けるとなると、中南支はおろか満洲からもなんの収穫も期待できなくなるわけだ。よほど慎重にやってもらわんと」という慎重な意見に「いかんいかん、そんな弱腰じゃ」と活を入れ、在留邦人の生命財産が実際に侵されようとするときに、外務省の舌三寸や片々たる文書でこれが守れますかねと前置きし、昭和映画史に残る名台詞をぶっ放す。
「軍人さんの出番なんだよ」
芦田伸介の演技は特出すべきもので、北京の軍人や浙江財閥の要人とホテルへしけこんで情報を得ている謎の酒店オーナー岸田今日子が、太腿に足をからませて「ね、日本軍は山海関に出兵するの?」と尋ねたときも「しなけりゃ出させるまでさ」と嘯く。これに「どうやって?」と岸田今日子が被せれば、その股間に膝を突っ込んでみせる。岸田今日子も大した玉で「こうやって?」と股をしめれば、芦田伸介「そこのホテルに部屋をとってある。ひさしぶりにひと汗かかんか?」岸田今日子「いいわね」となるが、なんとまあおとなのやりとりだろう。そこへ現れるのが奉天総領事館の石原裕次郎なんだが、芦田伸介はいう。なぜ、こんにちまで満蒙の未解決問題を山積させておくのかね、あんたがたに任せておいたんでは満洲の夜明けは来ないねと。石原裕次郎は余裕を見せる。
「あなたがたのやり方では満洲の夜明けは血で染まりはしませんか?」
むつかしいところだ。伍代の次男中村勘九郎は、貧しい人の多さを嘆くが、総帥滝沢修はそのとおりだと頷くが、しかし、と息子を諭す。
「貧しい人は確かに気の毒だ。しかし、貧乏をするにはそれだけの理由がある。はじめから金持ちの人間はいない。人生の終わりまで貧乏なのは、その当人に責任の大半があるということだ。貧乏人が多いということは、国が貧乏だということだ。だから日本は豊かになろうと考えている。豊かになるにはそれに必要なちからを持たなければならない。今、日本の貧乏を解決するには、貧乏を泣くことではない。日本に当然の権利のある満洲をどしどし開発して、日本から貧乏をなくすように努力することだ」
滝沢修がいうとどんな強引な意見でも妙な説得力があるなあ。
ま、それで柳条湖事件。関東軍司令部に総領事館から石原裕次郎到着、軍出動命令について統帥権の発動を取りやめてもらいたいと交渉。しかし、領事館は関東軍の統帥に容喙干渉しようというのか、それが領事館の方針か。総領事代理があきらめて帰ろうとするとき、待ってくださいと石原裕次郎が止め、もうひとつの名台詞がほとばしる。
「今、日本の運命の決定的瞬間がわたしたちの上をよぎろうとしています。…わたしたち外交官は、軍の公道に関してそれが如何に理に適わない行動であってもなんらなすことができないと無力になってないでしょうか。もしそうだとしたら、わたしは今日かぎり外交官を辞めざるを得ません」
そして高橋悦史が「おんな!」と恫喝して栗原小巻を暴行しているとき、その恋人にして医者の加藤剛は、最後の名台詞をいう。
「戦争状態の人間には消毒の方法はないよ」
かくして満洲事変は為され、戦火は上海へ飛び火する。新興財閥伍代家の運命もろとも物語は進んでゆくことになる。
いや〜、ひさしぶりに映画を堪能したわ。