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海峡

2024年11月26日 18時08分35秒 | 洋画1981~1990年

 ☆海峡(1982年 日本 142分)

 staff 原作/岩川隆『海峡』

     監督/森谷司郎 製作/田中友幸、森岡道夫、田中寿一、森谷司郎

     脚本/井手俊郎、森谷司郎 撮影/木村大作

     美術/村木与四郎 衣裳/川崎健二 音楽/南こうせつ

     主題歌/南こうせつ『友ありて』作詞:阿木燿子、作曲:南こうせつ 

 cast 高倉健 三浦友和 森繁久彌 吉永小百合 大滝秀治 笠智衆 藤田進 伊佐山ひろ子

 

 ☆1985年(昭和60年)3月10日、青函トンネル本坑全貫通

 

 無性に、この映画が好きだ。

 世の中にはいろんな人がいて、ただトンネル掘ってるだけじゃねーかといわれそうだけど、でも好きなものは仕方がない。森谷司郎の作品では『八甲田山』と双璧なくらい好きだ。だから、数年おきに無性に観たくなる。まあ、そういう映画があってもいいわけで、たぶん、ぼくの中でいちばん感受性のつよい時期に観た映画だからかもしれない。竜飛岬には行ったことがないから、この映画で描かれてる風の強さや海の荒さは想像がつかないけど、おそらく、撮影も大変なんてもんじゃなかっただろう。

 当時、ぼくはまだ大学生で、周りの連中は、ゴダールだ、トリュフォーだ、ベルトルッチだ、ルイ・マルだ、アラン・レネだと、ほんとにわかってるのかどうか怪しいものながら、いっぱしの映画通を気取ってたりしてたのに、ぼくだけが、黒澤明や森谷司郎の新作を楽しみにしてた。なんとなく時代から置き去りにされたような気分だったけど、そんなことは趣味なんだから仕方がない。サントラも買ったし、ビデオなんて何度観たかわからないくらいで、

 まあそれはこの作品にかぎらず、当時の東宝のシャシンはどれもこれもよく観た。健さんの演じるストイックな主人公の映画や、吉永さんの演じるひたむきで健気なんだけどどことなく薄幸な女性の映画や、森谷司郎の演出するどでかそうに見える映画はことのほか好きだった。ところが、ふしぎなもので、熱病のようなこの趣味はにわかに始まりわずか数年で途切れた。たぶんこの作品のあたりが頂点だったんじゃないかしらね。ただ、思春期に観た映画にはなにかしら影響されるもので、いまでも実話をもとにした物語は嫌いじゃないし、大いに興味もある。

 あ、でもさ、ここ数年、こういうたぐいの映画ってないよね。ぼくたちの世代はもう化石の世代になっちゃったんだろか?

(以上 2014年11月5日)

 

 健さんも吉永さんも若いなあ。

『黒部の太陽』からバトンタッチされるように物語が進行してゆく。健さんが龍飛岬から船を出して海底から石を掘り上げて、百万年前に海に沈んだ石を取り出していくんだけど、この調査が進められているとき、黒部では破砕帯にぶちあたっていた。どちらの現場もそうだし、おそらく日本列島はどこもかしこも破砕帯が待ち構えていて、地中に挑んでくる者たちの志をたしかめようとしているのかもしれないね。

 なんにしても、トンネル掘りの現場には熟練工の親玉が要る。そいつが現場を取り仕切ってくれないかぎり誰も動かない。それが森繁久彌で、健さんが誘う。

「津軽海峡は、ちゃんとした陸続きだったんだ。10万年くらい前まで。北海道が寒くなると、マンモスは南へやってきた」

「10万年前、マンモスが行ったり来たりしとったか」

「そこに、もう一度、人間がこの二本の足で歩いて渡れる道を造りたいんだ」

 てな感じに予告編に使えそうな会話がなされて、会議でも、この象徴的な台詞が使われる。

「津軽の海の底にトンネルを掘り、やがて本州の風を北海道に抜けさせる」

 龍飛に到着した森繁組、龍飛というのは龍が飛び上がると書くんだと、なるほど、そのとおり龍が飛び上がっとると高波を前にして怖じ気、こんなところに十年も居られるか、親方、九州へ帰ってのんびり過ごそうと騒ぐ連中に対して、

「帰りたい者は帰れ。おれぁ、残るぞ。龍が飛び上がろうが逆立ちしようが、ここまで来て、今さら逃げて帰れるか。(おれのいうことをなんでも聞いて)ついて来たんなら、もういっぺん、おれと一緒にやれ。大昔、マンモスが通った道を、わしらの手で、この本州から北海道へ風を抜けさせてやろうじゃねえか」

「行け、行くんだ。北緯41度を越えて北へ行くんだ。人間の歩いたあとに道はできる」

「マンモスが移動してる。足音が聴こえる」

 もう、マンモスと風を抜けさせるってことに集中させるしかないって感じだけど、好きだったなあ、こういう感覚が。

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札幌オリンピック

2024年11月26日 03時34分17秒 | 邦画1971~1980年

 ◇札幌オリンピック(1972)

 

 最初のカット、頭上からジャンプがフレーム・インしてきたときは、びっくりした。けど、佐藤勝の音楽はやけに明るくてイメージがきつすぎた。

 笠谷幸生とジャネット・リンは懐かしかった。でも、これって当時を懐かしむ人間だけの愉しみなんだろうなあ。氷の上をエッジが擦っていく音がやけに耳に残るのは、どういうことだろう。エッジはスケートだけじゃなく、スキーもそうで、無音の中に効果音のようにぎしゅぎしゅ入ってくるのはちょっと疲れた。

 篠田正浩の興味はどうやら選手よりも会場の整備員や報道班員といった裏方にあるようで、選手たちの買い物やファッションまで執拗に追いかけている。札幌の歴史もクラークまで遡って語られたりと、監督の興味が延々と撮されるのはどのドキュメントもおなじだが、詩歌の朗読めいたナレーションはちょっとあざとい。陶酔度が高いというのか、酩度が高いというのか。その中でも、岸田今日子の朗読する「ああ、オリンピック」がなんともしつこい。オリンピックの映画を観たいという人たちはその競技について観たいわけで、なにも裏方や選手の日常風景を観ていたいわけではないんじゃないかっておもうんだけどね。

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