Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング182.  AIでクロッキーが描けるか?

2019年04月27日 | drawing

 さてこのクロッキー・デッサンは、何を描こうとしたのかが明白で、2本の手を広げている両手で挟まれた空間をボディを使って描きたかったのだが、結果は、形に引きずられた。

 毎回一人のモデルさんで、時間を変えて14ポーズ描く。ところで、これをAIに描かせたらどうなるだろうかと考えた。

 多分測距点など多数取って人体のビッグデータをかませながらクロッキーすれば、AIにもこうしたデッサンは描ける。それは一人のモデルさんをいろんな方向から眺めても、ちゃんと一人の人間になるように正確なはずだ。

 AIが得意なのは、描いたクロッキーをレオナルド・ダ・ビンチ風とかヴァン・ゴッホ風のタッチにするとかである。しかし、そんな過去の画家風にして、デッサンとして何が面白いのだろうか。私にいわせれば、素人受け表現であり、すぐに飽きられることは容易にわかる。

 だが私は14ポーズを、一人のモデルさんとは思えないほど別人のように描いているわけ。そこがAIと全く違うところなのだ。人体は借りているに過ぎず、時間と鉛筆の走り具合の加減でモデルさんの頭も決まってくるのだが。

 もちろんちゃんとデッサンすれば複数のデッサンを同一人物のように描けるが、そうしていないのですね。そうした咄嗟の方向転換がAIでは不可能なんですね。

 別に写実的にかけなどという命題は与えられていませんから、写実的である必要はないし、当然似ている必要もない。そんなことを考えると、やはりAIにクロッキーは無理なのである。今社会的に騒がれているAIの実力は、その程度だ。

 クロッキーも、描いてゆくうちに鉛筆が滑ってゆくこともあるから、それはAIでは無理でしょう。人間がみたモノを感性というフィルターをタップリ通過させて描くわけだから。

 このブログで過去に書いた記述を再掲しておこう。

AI「あなたのこれまでの作品傾向と、全作家のビッグデータを元にして絵を描きました、いかがですか?」

私「なんでクラシックな具象画なの?」

AI「あなたのこれまでの作品傾向からクラシックな表現がみられたものですから」

私「だからAIの絵をみて私は気が変わったんだよ、今は抽象画にしたいんだよ」

AI「そんなのは、データにないので描けません」

私「ボケカスAI!、さっさと消えちまえ!」

 ビックデータといったって、それは全部過去のデータですから、未来のデータは予測式でつくるしかない。過去を現代に当てはめるのではなく、私は未来を現代にあてはめたいですね。だからAI程度の知能じゃアーティストやデザイナーは本質的に越せないことになります。

 実をいうとAIでデッサンや油絵を描かせたがっているのは、デザイナーや画家達だろう。「これ、どうせ売り絵だから、大衆の好きそうな要素を抽出してダビンチ風に描いといてよ!、その間に俺は個展の制作に勤しむからさ・・・」といった具合にである。AIが登場することで、画家は売り絵を描かなくてすみ、クリエイションに没頭できるわけ。

 こうした考え方をさらに進めると、画家の手業作品とAI作品とに当面は二極化するわけ。そしてすぐにAI絵画は飽きられ、量産されるので時には100均価格で販売されたりして陳腐化するわけ。そうなると人々の関心は手業作品に向かう構造になるわけ。つまり人間が行っている手業仕事の優位性はゆるがないという結論になる。


クロッキー帳NO42.

コメント
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