料理の写真が、InstagramやPinterestなどのWEBサイトに数多くアップされている。
つくった作品などを公開するという行為は、クリエイションの基本活動だ。
クリエイターだって、つくった作品を周囲の人間達に見せたり、WEBで公開したり、あるいはギャラリーで公開するという活動がある。それは学術論文を雑誌に公開して専門家達のご意見を伺う研究者の構造と同じだ。つまり公開したり第三者にみせたりするのは、それがクリエイションの基本的性格なのだろう。それを肴に一花咲かせることも、クリエイションの面白いところだ。
先日ある会合で、私がつくったパスタ料理の画像をiPhoneで送った。その後の酒宴のささやかな笑い話にしようという魂胆だった。
酒宴の席で女達が放った言葉がすごい。
「なに!、それって!、家事で忙殺されているこの私に料理つくれっていうこと!!」
私は、はぁーー!?、という気分だった。そんな言葉を耳にタコができるぐらいに何回も聞かされた。さて、どうして人間は、こんな勘違いをしてくれるのだろうかと、うるさい会話を他所に考えていた。
つまり江戸時代の町火消しが、自分で放火して火を消しに行くようなモノなのだが深読み外れの勘違いではなかろうか。
さて、そんな面白い出来事を契機として、これまで深読み勘違いをされてきた個人的経験が、他にもいくつかあった事を思い出させてくれた。
つまり書かれた文章の行間を読む、あるいは文章の単語や筋道を広いながら、書かれた文章とはことなる裏のストーリーを組み立てて、相手の真意を探ろうとするわけだ。隠喩とか暗喩といった文学の技法といってもよいから、深読みは文科系の手法なのだろう。
そうして貴方は表向きはそう言っているけど、真意はこっちでしょうと言い当てたつもりになって一人悦に入っているというわけだ。どこかお寺のクソ坊主の説法とでもいったらよいか。そんな表の言葉に表出されない裏側のストーリーや意味を探り出すのが深読みなのだが、深読みした結果が正解である場合と、不正解である場合とがある。また深読みストーリーが複数登場してくる場合もある。大方は、裏側の最初のストーリーがつくられた時点で、正解と不正解とが検証されることなく真実だと思い込んでしまう。こうした検証されない解読方法を深読み勘違いと定義しておこう。
しかし、私は工学系の立場で論文を書いてきたので空間や数値と比べれば言葉は、表記通りの意味しか付加できないことを知っている。だから私の文章は言葉通りであり、仮に深読みをされれば何通りもの解釈が発生することになる。発生した多数の解釈を哲学的知見、つまり正と反を一つずつ検証し、残ったのはこれですいうところまでやるとか論拠を探れば正解に近づくのかもしれないが、普通の人はそんな面倒な操作はしない。だから私達の社会は、深読み勘違いが乱発され満ちあふれているのではなかろうか。様々な社会現象で発生する偏見や誤解も、そんな深読み勘違いが関与しているのかもしれない。
つまり私にいわせれば深読み勘違いは、文科系的所産だと結論づけられるかもしれない。
文科系かぁー、それじゃ人工衛星を惑星まで飛ばせない学問だよな。といって高校までの学校教育の大方が文科系教育学部の教員によって行われているから、日本人の半分ぐらいは文科系志向か。そりゃ深読み勘違いでこの世の中は満ちあふれるし、偏見や差別といったことも登場するわけだ。このあたりの社会問題は文科系にまかせて、私は工学を足場にして文章を書き続けよう。もしも深読み勘違いの他に解釈の可能性があるとすれば、それは男と女の意識の違いがあるかな。これは別の機会に。
さて、昨日の京都も朝から寒くダウンコートとストーブが必要だった。連休は、寒い休日からスタートした。既に沖縄で休暇をとったので、Macを駆使して仕事に没頭していた。休日の仕事も、回りが静かだから結構よいものだと思った。こんなことを感じるのは、連休の最初だけだろうけど。次第に連休も飽きてくるんだよね。
クロッキー帳NO42.