Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング185. 画像と文書の関係

2019年04月30日 | drawing

 私の過去ログを見返してみると、クロッキーシリーズの時は真面目に原稿を書いている。そして書いた文章の内容と画像とが全く関係性がないのもこのシリーズの特徴だ。

 通例ならば、画像と文章とはタップリ関連づけながら書くのが定説だ。新聞小説はその典型例だろうし、それが詩人やアーティストの文章になると、原稿と画像との関係が少しずつ希薄になってゆく。希薄であっても隠喩や暗喩といった方法を用いて説明されれば、関係性がありそうだということがわかる。

 そうでなくても私のブログの多くは、タップリ画像と関係させながら他のブロガー同様に書いていることにあまりかわりはない。画像と関係づけるということは、その画像を撮影した状況を覚えているから文章化するし、画像を撮影した機材にこだわると、実はこれを撮影した時のレンズは解像力がいいじゃん!、等ということに気がついて、もうオタク気分になってしまう。

 しかし、このクロッキーシリーズだけは、画像と文章とが全く無関係な書き方をしている。特段裸婦について書くようなこともないので画像とは無関係に文章の方は真面目に評論などをしているわけだ。

 そんな風に、画像と文章の距離値は多様だということだ。その距離値を10段階で表現すれば、ぴったし1という場合もあれば、隠喩や暗喩という手法を用いて3とか5という場合もあるし、ドンドン離れてゆくと、私のクロッキーシリーズのように無関係だから10という場合もある。つまり画像と文章の距離値の取り方も実は編集上の手法のひとつなのである。

 だからある読者が私のブログから画像と文章との関係性を読み取ろうとすると、この人のブログは、よくわからない、という結論になる。そりゃそうだ、もともと関係性がないからだ。画像と文章との間には、関係性がある場合と、全くない場合とがあり、それらの間はゆるやかな変数なのだ。だから私の編集意図と反対のことをされたら、そりゃ私のブログはよくわからんでしょう(笑)。

 さて今日は、平成最後のブログだ。元号表記もHからRに変わる。そういえば元号発表に先駆けてCanon Rという撮影システムが登場していたなどという話はおいといて、私は西暦使用が多いので、あまり感慨もないのだが。せめて元号が変わる記念に、明日は画像と編集を少しかえてみようかな・・・。

 

クロッキー帳NO42.

 

コメント
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